姫路綾乃は悪堕ちヒロインを承諾する

悪堕ちとは、まだヒーローや変身ヒロイン達が大々的に活躍する前……つまり空想だと思われていた時代からあった単語である。



そもそも悪堕ちとは、愛する者を失ったり、悲しみや復讐心に囚われると起きやすい現象で、よくあるのは暴走する強大な力への覚醒や、敵の力を使って自身を強化したりする事が大体だ。


しかし、世の中の創作者達は、悪堕ちをそれだけに止まらせなかった。


例をあげると、変身ヒロインを捕らえては、洗脳や快楽による調教で、悪へと堕としたりする……謂わば成人向けの同人誌やゲーム等の作品ではよく使われるシチュエーションなどが多数有った。


そして、ヒーロー、変身ヒロインが活躍するこの時代にも悪堕ちというものは存在し、数多の悪の組織は正義のヒーロー達、特に新人ヒロイン達をターゲットに捕縛、洗脳、調教等の諸行は起きている。主に戦力の強化と、欲望の捌け口にだ。


そんな悪に堕ちたヒーロー、変身ヒロインを救出する為にブラックウィングにも依頼が来た事はあり、その時はブラックウィングでも救出に特化した戦闘員を連れて、総司が出向く事が多い。



総司は元がつくとは言え、悪の科学者。蛇の道は蛇という事で国から依頼が来る総司は悪に堕とされたヒーロー達の洗脳状態を解除する治療を施したり、汚された体を元に戻し、まともに暮らせる様に出来る限りの事をしている。


そんな治療等を施す側にいる総司が何故綾乃に対して悪堕ちヒロインにならないかと告げたのか遥香が強い口調で問いただす。


「貴方、どうして綾乃ちゃんを悪堕ちヒロインにさせるのかしら?貴方は今迄治療してきた子達の事を忘れてるのかしら?幾らうちが悪の組織だとしてもそれだけはしないって決めたわよね?」


綾乃に向けた時と同じような鋭さをもつ真剣な表情を見せる遥香。しかし総司は平然としながら説明する。


「そう決めたが……彼女の強い意志を聞いた時に気づいたんだ。龍馬の、ブラックドラゴンの隣に立つのが完全なる正義の味方だと不味い事にな」


「どうしてかしら?」


「ブラックドラゴンに正義のヒロインは似合わないからだ!何故ならブラックドラゴンは我々ブラックウィングが悪の敵としての象徴になるように生み出したんだ!故に悪の敵象徴の隣に立つヒロインがバリバリの正義の味方では見栄えが悪い!だからこそ悪の敵に見えるヒロインが必要なんだ!」


「あ、そ、そうなの……」


悪としてのプライドと情熱が籠った力説に妻の綾乃もどう言葉にして良いかわからなくなりながらも相槌を打つ。


「だからこそ姫路綾乃さんには、名義上は悪堕ちヒロインとしてブラックウィングで活躍してもらいたいんだが……どうだろうか?」



「えっ、えっと……」


この時話の展開について行くの必死だった綾乃は突然話を振られてテンパって言葉が上手く出ない。


「まあ、無理にとは言わない。君が望むのなら普通に正義の変身ヒロインにすることも出来る。ただ、私の提案を受け入れてくれると嬉しいかな。君のその熱い思いに応えるために全力を尽くしたいからね」


「わ、私は……」


綾乃は総司を見る。彼からは優しい笑みでこちらを見ている。ずるい笑顔だと綾乃は思う。


(あんなに力説されたら……なるしかないじゃないっ思っちゃいますよ。彼の隣に立つのに相応しい自分になりたい気持ちを利用するなんて……流石元悪の科学者ですね)


綾乃は総司の事をずるい人だと認識しつつ、先程の自分の決意を思い出す。


彼の隣に立ちたい。


その思いを再認識すると、自然と口が動く。


「私を……立派な悪堕ちヒロインにしてください」


綾乃は強い意志を込めて頼む。その言葉で総司は待っていましたと言わんばかりに立ち上がる。そしてその表情は子供の様な満面の笑みで満ちている。


「そう言ってくれて助かるよ!早速君だけの力を!変身アイテムを作ろう!安心してくれ、悪堕ちヒロインと言っても姿と力だけだ。他の悪の組織がするような事はしないから。遥香、後のことを頼む。私は早速彼女の変身アイテムを作ってくるよ」


「わかったわ。行ってらっしゃい、貴方」


「では姫路綾乃さん。次は変身アイテムが出来た時に会おう」


そう言い残すと、総司はリビングを出て行く。


「ごめんなさいねぇ。ウチの主人、研究バカで思い立った事を実行する人なの。面接中でもお構いなしにね」


「た、大変そうですね……」


「慣れたから大丈夫よ。それに、可愛らしくて良いわ」


「良い夫婦なんですね。お二人は」


うふふと笑う遥香の姿に思わず綾乃も笑みが浮かぶ。


その後は面接という名の雑談をしながら時間が過ぎて行く。特に綾乃にとって喜ばしかったのは、龍馬の好物が少し甘めの卵焼きと肉じゃがという少年らしい好物を知れたこと。更に二人の呼び方が遥香さん、綾乃ちゃんへと変わっていた。そして、空が夕方の茜色から、漆黒の闇の中に輝く月夜へと変わりかけていた。


「あら?もうこんな時間?ごめんなさいね。話に付き合ってもらって」


「いえ!色々お話聞けて嬉しかったです。特に黒野君の事とか……」


「龍馬の好物で良かったらいつでも教えるわ。やっぱり男を落とすのはまず、胃袋からよねぇ」


「成る程…勉強になります」


「それじゃあ龍馬を呼ぶから送ってもらいなさい」


「いえ!そんな事をしてもらわなくても、家の者に連絡して……」



「それじゃあ龍馬を落とす事は無理よ?あの子とのプライベートな時間を作らないと、落とせないわよ?」


「そ、そうなんですか?」


「ええ。私も夫と一緒になるために色々したもの……最終的には押し倒したりしたけど。いい、綾乃ちゃん?男はね、自分から手を出さないとダメな子も居るの。特に龍馬は自制心強いみたいだからグイグイ行かないとダメよ」


「べ、勉強になります」


遥香の年長者と女としてのアドバイスは綾乃にとってとてもためになるものだった。


男を自分のものにする事を実践してきた遥香の体験談は姫路家の人間からは何一つ聞いた事が無い。未知なるものだからこそ、綾乃の胸に刻み込まれる。


「私、頑張ります!」


「そう!その意気よ綾乃ちゃん!」


えいえいおーと二人が意気込み、腕を天へと突き出していると、リビングに入ってくる存在が居た。龍馬だ。


「父さん、母さん。面接は終わった……って、父さん居ないのか。…何してんの母さん?姫路さんまで」


溜息を吐きながら半目で二人を見る龍馬を遥香が気づくと、彼にお願いをしてくる。


「あら龍馬じゃない。丁度良かったわ。これから綾乃ちゃんを家まで送ってきなさい」


「そのつもりで来た」


「よろしくね。お父さんも綾乃ちゃんの変身アイテムの研究に行っちゃったし」


「ああ、もしかして姫路さん合格?」


「ええ。合格も合格よ。だからお父さんが綾乃ちゃん専用のアイテムを作りに行ったの。さあお話はこの辺にして、さっさと送ってきなさい」


「分かってるよ。それじゃあ姫路さん、行こうか」


「よ、よろしくお願いします。黒野君」


そう言って龍馬が綾乃を連れてリビングから出ようとした時、遥香が注意する。


「あ、龍馬。送り狼だけはまだダメよ。せめて高校卒業してからしなさい」


「そんな事しないよ……ゴメン姫路さん。家の母さんこんな感じで」


「いえ!寧ろ遥香さんには色々教えてもらえたので有り難かったです!」


「……それなら良いけど」


綾乃の遥香へのフォローに若干何を吹き込まれたか気になったが、龍馬の男としての本能が今は聞くなと囁き、躊躇いながら綾乃を連れて玄関へと向かい、外への扉を開けて二人は夜の住宅街を歩き出した。




夜の住宅街を龍馬と綾乃は歩いて行く。その際二人は色んな事を話した。


龍馬は明王町が住みやすくて良いところだと説明したり、自炊してるなら明王町にあるデパートよりも、商店街の方が安くて新鮮な物が買える事等、生活関係の事を話した後、綾乃は龍馬の交友関係、特に女性関係について聞いてくる。


「それで黒野君は今女性の友達とかはいるんですか?」


「いや、居ないけど」


「これから作るつもりとかありますか?」


「……まあ、友達の友達でなる事はあるかもしれ無いけど、俺から作る事は無いかな」


「そう、なんですね」


龍馬が女性の友達を求めてないことに、綾乃は心中でガッツポーズする。


(黒野君に女性の友人が居ないことから、彼を狙う女性は居ないと……)


転校生の綾乃にとってその情報は白金よりも貴重だった。今日会った自分よりも親しげな女性が居たら、きっと龍馬は其方に意識が向いてた筈だから。


そもそも龍馬はまともな恋愛より、政略結婚やお見合いを求めているが、そこは若い男の事だから、身近に異性がいれば恋愛感情の一つは持っていたかもしれない。その点、龍馬の近くには同い年の女性は居ないことを知れた事で、綾乃はこれからの頭の中で作戦を組み立ていく。


(最初は普通の友人として接して行き、時間を掛けて外堀を埋めてから……)


等と彼女が思考していると、龍馬から声が掛かる。


「姫路さん。姫路さん?」


「っ!?な、なんでしょうか?」


「姫路さんの家ってどの辺りなんだ?」


「あっ、家!家ですね!家は駅前のマンションです!住所はー」


龍馬の問いにビックリしながらも住所を答える綾乃に彼は「分かった」と返すと、携帯端末を取り出し、調べ始める。そんな龍馬を彼女は見つめながら疑問に思った事を考える。


(それにしても、黒野君って何故女性の友人が居ないのかしら?顔とかは女性が寄ってきそうな容姿をしているのに……)


目線を隠す程の長さのある髪に隠された鷹の様な瞳に、整った容姿とクールな雰囲気が女性を惹きつける筈の龍馬に近しい女性がまだ居ないことに安堵しつつも、この魅力に気づかない女性が居ないはずだと思いならが歩いていると、明王町を走る電車の止まる駅前迄来ていることにつく。


その後は龍馬が綾乃から聞き、調べた住所まで行くと、そこは明王町有数のセキュリティを持つ女性専用のマンションだった。


マンションには女性しか入れないので、エントランス前で龍馬は綾乃がマンション内に入るのを見送る形となる。


「黒野君。今日は本当にありがとうございました」


「別にお礼を言われる事はしてないよ」


「いえ、貴方のお陰で、私は今日は嬉しい事が沢山ありましたので……つい」


「そうか……まあそれなら良かったよ」


「ふふ、それじゃあ。また明日」


「また明日」



別れの挨拶をすると、綾乃はマンション内に入って行く。それを確認した龍馬は、もう一つの目的であるブラックウィングの支部へと向かうのだった。




綾乃はマンション内の自室の前まで来ると、鍵を鍵穴に差し込んでロックを解除して室内に入る。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


そこで綾乃を待っていたのは一人の女性。青いリボンで結ばれた黒髪のポニーテールに、端正な顔立ち、小柄な身体ではあるが、エプロンドレスの下の肉体は戦う事に特化したしなやかな身体だと感じさせられる彼女、中村奏は主である綾乃の帰りを喜ばしく、迎えた。


「只今戻りました、奏」


奏に帰還を伝えた綾乃は、彼女と共にリビングへ向かい、備え付けられた高級感あるフカフカのソファーに座ると、今日の出来事を話した。


奏に一日の出来事を報告して、それを両親に伝える事が綾乃の明王町への転校の条件だった。


一日の報告を終えると、奏は淹れていた紅茶を綾乃へと給仕しながら喜ばしく口を開く。


「それは大変でございましたね。この事は旦那様と奥様に報告しておきます。それにしても、良かったですねお嬢様。憧れと初恋の相手のいる組織へと入る事が出来て」


「不幸中の幸い、かしらね……」


「それにしても、悪堕ちヒロインでしたっけ?初心なお嬢様にしては大胆な決断をしましたね」


「そうかしら?」


「失礼ながら…お嬢様だったら断ると思いました。近年の悪に染まったヒロイン達は皆とても衣装が過激ですので」


「あっ……」


「何も考えてなかったのですね……」


綾乃のしまったという唖然とした表情にやれやれと首を振る奏。


(そういえばジャスティスセイバーに居た時に教わったではありませんか姫路綾乃!悪に堕ちたヒロイン達は皆とてもえっ、えっ、エッチなコスチュームになる事が多い事を!)


綾乃は自分が教わった様な悪堕ちヒロインのコスチュームを思い出す。


局部のみを隠し、胸部や臀部の殆どを露出した、肌を隠す部分などあまり無い蠱惑的なデザインはまるで男の本能を刺激して誘惑させる事に特化している事を。


(も、もし、もしですよ!私が習ったようなコスチュームになったらどうしましょう!?きっと、世の中の男性は皆私の事をえ、エッチな目で見ますよね!?それなら黒野君もきっと……)


私の事をそんな目で見てくれるはず。そう思った途端、笑みが止まらなくなり、声が漏れる。


「うふふ……」


財閥のお嬢様らしからぬ笑顔になる綾乃を見ていた奏は暖かい目で見守る。


(ここまでお嬢様に好かれている男性は幸せ者ですね。私も興味が湧いてきました)


奏は未だ見たことのない龍馬の存在に一眼見てみたいと思いながら、夕飯の支度をするのだった。


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