閑話 スイレンの歌う希望
昔から、歌うことが好きでした。
誰も居ない静かな場所で、何もかも忘れて一人で歌う時間だけが私の幸せで、それだけの為に生きてると言ってもいいくらいに私には何もありませんしでした。
私の出身はヌロスレアの小さな商家。
年々重くなる税で借金を重ねていつか破産するような弱々しいそれを商家と名乗っていいものかは分かりませんが、少なくとも父は見栄を張って大商家と名乗っていたようです。
小さなプライドの塊で、嘘が息をしてるような父と、同じく見栄っ張りで若い愛人に貢ぐことに夢中になってる母。
そんな二人の間に生まれた私は控えめに言っても優れたものはほとんど持ち合わせて居ませんでした。
強いて言うなら顔とスタイルが悪くないくらいでしょうか?
人よりも成長が少し早くて、早熟と言われていて、同年代に比べて大人っぽかったので、割と早くから私は父に縁談を組まされていました。
相手は父の借金相手で、成人したら嫁ぐことになっており、私に拒否権はありませんでした。
家のために嫁ぐというのは周りを見ても普通のことだと分かってますが、それでも父と同じかそれ以上の年上の方に嫁ぐのはちょっと抵抗が無いわけでもありません。
成人まで待ってもらえるだけ有難いと考えるべきでしょうか?
嫁いだとしても私はきっとこれまでと変わらぬ日常が待っているのでしょう。
聞く限り、私が嫁ぐその方には他に6人の奥様がいて、私は七人目。
軽く顔合わせした時には裏で嫌がらせをされるくらいには向こうの奥様方からの私への印象は良くないようでしたし、私を毛嫌いして日々憂さ晴らしに嫌がらせをしてくる母と似た人達に囲まれて、父のように娘としてではなく道具として扱われるような毎日。
身体を売って暮らすことになるよりはマシと達観するべきなのでしょうね。
それでも、たまに憧れてしまいます。
何不自由ない温かな家庭に生まれて、両親から愛情を持って育てられて、好きな殿方と結ばれる人生。
お相手は……年下がいいですね。
かわいい系の顔立ちで、普段は優しいのにいざと言う時は凄く頼もしい男の子。
年上に嫁ぐからか、年下に夢を見てしまいます。
きっと現実はそんなに甘くないのでしょうが、白馬の王子様が迎えに来てくれる……なんて夢を見ても誰にも迷惑はかかりません。
思うだけならタダですから。
ある日、酔っ払った父に寝込みを襲われそうになりました。
寝ていた時に乱暴に部屋に入ってきた父が、私の服を脱がそうとした時は心から恐怖して思わず蹴っ飛ばしてしまいました。
それで酔いが少しは覚めたのか、私と認識した途端に父は怒り狂って何度か蹴られましたが……少し痛いだけなので襲われるよりは何倍もマシです。
『けっ。アイツは初物じゃないと満足しないからな』
吐き捨てるように忌々しそうに部屋を出ていく父。
逆らえない相手に差し出す品に傷があるのは困ると見えない部分を蹴ったのだから意外と理性的です。
まあ、痛いのには変わりないですが。
父にとって、私は都合の良い道具。
分かっていても、愛されてない現実にやり場をなくして、私はこっそり家の外に出ます。
夜遅くに一人で出歩くのは危険ですが、私の家の近辺は他の場所に比べればすこぶる治安が良い方だったので、家の裏の小さな空き地でこっそり歌います。
この場所は周りの喧騒が程よく、私の声くらいかき消してくれて、私自身が歌うには理想的な場所でした。
こうして歌っていると何もかも忘れられます。
朝起きた時に愛人の臭いを纏った母に舌打ちされたこととか、さっきの父のこととか。
母を見てるとたまに思います。
私もあんな風になるのかと。
母も比較的家庭環境には恵まれてなかったみたいですし、私も嫁いでから愛人でも作ってあんな風に醜くなるのか。
いえ、そんな真似を許すような人に嫁げるのならもっと気持ちは楽なのでしょう。
私が嫁ぐ相手は所有権が強いタイプなので、きっとそんな真似をしたら遠慮なく娼館にでも売られるでしょう。
父の借金はあの様子から相当な額であると分かるくらいに借りてるようですし、私に魅力が無くなった時には浮気なんてしてなくても身体を売らされるかも。
真っ暗な現実は考えれば考えるほど浮かんできます。
だからこそ、歌って少しの間忘れます。
現実は逃避する以上に私には対処が出来ません。
一人で生きていくための武器が私には何もない。
学も中途半端、教養も、伝手も何もかも足りません。
そうなるように育てられたと気づいたのはいくつの時だったでしょうか?
学ぼうと頑張っても、阻まれて久しい。
出来るのは残るカウントダウンの間を少しでも心を保つためにこうして歌うことだけ。
人様にお聞かせ出来るような上手さでもあれば違ったのでしょうか?
いえ、例えその道を選んでも父は私を逃がさないでしょう。
母だって、私が成功するのは望ましくないと更に嫌がらせをされるのがオチ。
「……愛かぁ。どうやったら貰えるのでしょうか」
まともな親子愛すら貰えてない私がそれを手にできるのか……しても、母のようになるのなら欲しない方がいいのかもしれませんが、それでも欲してしまいます。
刻一刻と成人が近づいてきます。
あと数ヶ月もすれば私は15歳になります。
見た目は比例しないように大人の女に見えるみたいですが、全く嬉しくありません。
会う度に、御相手の方からねっとりとした視線が向けられるようになってきました。
化粧で更に年上に見られるようになったので、あまり化粧は好きじゃないですが、お相手は盛モリをご所望のご様子。
口に引いた紅が日々、嫌になります。
そんな風にして15歳の誕生日を迎えて、嫁ぐとなった時のことでした。
御相手の方が突然亡くなって、私の結婚話は経ち消えてしまいました。
私はあまり詳しくありませんが、元々かなり偏食家で持病もあったようなので暗殺とかではなさそうですが、嫁ぐはずだった家は跡継ぎ争いで忙しくなり、それはそれとして私の縁談の破談ととに父へ貸した借金の催促が加速しました。
返せる宛なんて当然なく、新しく縁談を組もうにも相手が悪すぎました。
好色で、結婚前に手を出したなんて悪評さえもある人だったからか、父の悪評も手伝って私の嫁ぎ先が見つかる宛が消えました。
私自身、よく手を出されなかったものだと思いながら密かに心の中で安堵していたのですが……それは本当に一瞬でした。
好事家の貴族御用達のお店に売られることが決まりました。
少しでも金になる方法で売られるようです。
母の楽しげな顔が忘れられません。
きっと、忌み嫌っていた娘が自分よりも最悪に落ちるのが愉快なのでしょう。
きっと母もそのうち売られるのでしょうが……まあ、皺も増えてきて、愛人から病気も貰ってるみたいなので私より安値になるのでしょうが、そう考えてしまう私は性格が悪いのでしょう。
残された猶予は一日。
嫁ぎ先が消えてホッとしたら、身体を売る方面へ変わってしまった。
どちらも最悪ですが、拒否権もなく逃げても生きていく術がありません。
受け入れるしかないのかと思いながら、思い足取りで私はいつもの場所にこっそり向かいます。
父は私が逃げるような勇気がないと思っているのか、抜け出すのは簡単でした。
こうして歌えるのも最後かと思い、私は目を瞑って歌います。
『それは 思ふ夢 叶わぬ夢』
温かな家庭に確かな愛情。
『私は 一人じゃない そんな言葉を貰う』
白馬の王子様なんて来ない。
『温かな手を 優しい眼差しを』
分かってる。でも希う。
『その瞳に――私は――』
誰か。
『恋を――した――』
誰か……私を連れ出して。
パチパチパチと拍手が聞こえます。
驚いて目を開けると、視界が霞んでしまいます。
涙でしょうか。ダメですね。
そう思ってとっさに拭って視線を向けると、さっきまで誰も居なかったそこに、一人の少年が立っていました。
何処か落ち着く茶色の髪をした、優しい瞳の大人びた少年。
まるで、いつか夢見た理想の王子様像そのもの。
……ちょっとだけ、幼さが強めな気もしますが、それでもその子のそれは私の夢見た理想の王子様に近いものでした。
「素晴らしい歌声だね。思わず聴き入っちゃったよ」
育ちの良さそうなその少年は優しい笑みを浮かべてそう褒めてくれます。
「……ありがとう、ございます」
そういえば、初めて人に歌を聞かれた気がします。
まあ、これが最初で最後なのでしょうが……理想の王子様像をした少年に出会えたのは神様の最初で最後の奇跡でしょうか?
そんな事を考えていると、その子は私の隣に座ると何処からか飲み物を取り出して渡してきました。
「飲む?」
「……いただきます」
見ず知らずの人からの貰い物。
いつもならやんわり拒否するそれを、何故か受け取っていました。
きっと、好みのタイプな子だからでしょうか?
いえ、きっとこの優しい瞳のせいでしょう。
これまで私を見てきた瞳の中で、一番優しくて温かみを感じるその視線に全く邪気がなかったからでしょう。
ゆっくりと貰ったそれを飲むと、ほんのりと甘さが口に広まって喉を潤しました。
自分でも気づかないくらいに歌い続けていたのかもしれません。
「凄く綺麗な歌声だった」
「そう……ですか?」
「うん。だけど、なんだか悲しみが篭ってるみたいだった」
悲しみ……そうかもしれませんね。
「自分の不甲斐なさとこの世の理不尽さが篭ってたのかもしれませんね」
自分で道すら選べない。
不甲斐ない自分と、まるでそれを加速させるような両親。
「本当にそれだけ?」
その言葉に思わずピクリとします。
「なんだか、俺にはこう聞こえたよ。『誰か、助けて』って」
驚いて視線を向けると、その子は先程と変わらぬ温かな瞳のまま問いかけてきました。
「何があったのか俺には分からないし、なにかして上げれるかも分からないけど……話くらいは聞けるからさ。良かったら聞かせてよ」
偽善のような言葉だけど、その子の瞳は本心からそう口にしていた。
そこに下心はなく、あるのは純粋な善意のみ。
その瞳と言葉に……私は思わず全てを口にしていました。
長年、積もりに積もった全てがすらすらと口に出てきます。
隠してきた母や父への醜い気持ちも、愛に飢えてる本性も何もかも。
そして言ってしまいました。
『誰かに連れ出して欲しい』――っと。
「じゃあ、俺が連れ出してあげるよ」
全てを吐き出した私にその子はそう言いました。
正直、こんな子供に何が出来るのかという気持ちが湧くと思ってました。
でも、浮かんできたのは「……本当に?」という言葉だけでした。
何故か、この場にいる異質なこの子なら何か変えてくれるかもしれないという漠然とした希望のようなもの。
それが見えたからか……それとも理想の王子様が来たことへの舞い上がりか。
定かではありませんが、私は情けなくも縋るような視線をその子に向けてしまいます。
「歌は好き?」
そう問われて私は……頷きました。
それだけが私の心の拠り所でしたから。
「なら、良かった。家の事とか諸々の事は任せてよ。その代わりという訳じゃないけど、君には君の歌を歌って欲しいんだ」
「私の歌を……?」
「うん。その歌で君のように苦しむ人に希望を見せて欲しいんだ」
そう言って、その子は私に手を差し出してきました。
「俺はシリウス。シリウス・スレインド。一応、スレインド王国の第3王子だよ」
「君の名前を聞かせてくれる?」と笑いかけてくるその子に……私は驚いて出ない声を必死に絞り出して答えました。
「スイレン……です……」
理想の王子様だと思っていたら、本物の王子様でした。
しかも、私でも名前を知ってる凄く有名な大国スレインドの第3王子殿下。
でも、それよりも驚いたのは……
(な、なんで……なんでこんなに……)
繋いだ手の温もりで心が落ち着いて、私は思わず泣き崩れてしまいました。
いつもの大人びた自分ではなく、本当の自分を全て見せるようにみっともなく泣き崩れる私を……シリウス様は優しく撫でて落ち着かせくれました。
シリウス様は本当に私を連れ出してくれました。
その日のうちに私の家に乗り込むと、あっという間に父と話をつけてついでに母にも話をつけて、私は売られる道から歌う道へと進路を変えました。
シリウス様の指導は厳しいけど私を思ってくれてるのが分かって、どんどん私は自分でも歌が上手くなるのが分かりました。
シリウス様はヌロスレアを変えるために来たそうです。
私はそのために選ばれたのかと一瞬思いましたが、シリウス様の言葉で違うと分かりました。
シリウス様が私を見つけたのは本当に偶然だったそうです。
「本当に綺麗な歌声で思わず聴き入っちゃったよ」
嘘のない心からの言葉に……私は思わず照れてしまいます。
「スイレンの歌はきっと暗い気持ちのヌロスレアの人達を救えるよ。でも、それ以上にスイレンも好きな歌を歌える世界にしたいと俺は思ってるんだ」
真っ直ぐで、嘘のない言葉。
そしてその瞳に……私の胸がとくんと高鳴ります。
本当に理想の王子様が私を連れ出してくれた。
そんな気持ちとそれ以上にシリウス様のために歌いたいという気持ちが強くなります。
シリウス様は言葉通り、ヌロスレアを救ってくれました。
そして、私はヌロスレアの人達から歌姫と呼ばれて歌を聞いて貰えるようになりました。
シリウス様が私のたどり着く先を最初に示してくれたからこそ、まだまだだと分かります。
それでも一歩づつ進むことで、少しでも恩返しをしたい。
それ以上に……私はシリウス様の物になりたい。
物というと誤解があるかもしれません。
それでも、シリウス様の側に相応しくなりたい。
「それだったら、シリウスちゃんの歌姫になってみたらどうかしら?」
私の気持ちを理解してるアネPさんと話していると、ふとそんな提案をされます。
「シリウスちゃんはライバルが多いけど、彼は全てを受け入れるからむしろそれくらいガンガン行くべきよ!」
「シリウス様の歌姫……」
シリウス様だけのために歌う……それは……
想像するだけで心が凄くときめきました。
応援してくださる皆さんのために歌うより、そちらに考えが行く私はきっとシリウス様の望んだヌロスレアの歌姫とは異なってしまうでしょう。
いえ、それすらシリウス様は見越していたのかも。
だからこそ、シリウス様は私が歌える世界を作ると言ってました。
だったら、私が進む先は一つです。
世界一の歌手になって、シリウス様だけの歌姫になる。
勇気を持って、足を運んでくれたシリウス様にお願いしてみます。
どんな反応をされるのかとドキドキしていると、シリウス様は『俺の歌姫ってポジションはそれなりにハードだよ?』と笑って受け入れてくれました。
その笑みを見た瞬間、私は思わず心から嬉しくてつい子供みたいに笑ってしまいました。
シリウス様の歌姫のポジションはきっと私が想像してるよりも大変な道のりでしょう。
でも、私に恐れはありません。
それでシリウス様の隣にいれるのなら喜んでお傍にいれるように努力してみせます。
その日から、私は更にシリウス様を思って歌うようになりました。
そして――シリウス様に向かう気持ちもよく理解出来ました。
私なんかがお慕いするのは迷惑かもしれません。
母のようになるかもという恐怖もあります。
それでも……この気持ちだけはいつか伝えたい。
この歌と共に……貴方の歌姫となったら、きっと、伝えてみせます。
私は――シリウス様に恋をしています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます