もしかして……。 ②

「わたし、卒業後はこのまま大学に進もうかどうしようか迷ってたんです。で、担任の先生から奨学金の申請を勧められて。申請したんですけど」


「うん」


「奨学金が受けられるようになったら、これから先の学費はかからないって。もちろん、大学に進んでからも。……ただ、おじさまが許してくれるかっていう心配はあったんだけど」


「うん」


 純也さんは途中で口を挟むことなく、相槌を打ちながら愛美の話に真剣に耳を傾けてくれている。


「でもね、おじさまは許してくれたんです。わたしが奨学金を受けることも、大学に進むことも。学費はもう出してもらわなくてよくなるけど、お小遣いだけはこれからも受け取るつもりでいるって、秘書さんには伝えました」


「うん。……えっ? それが僕に相談したいこと?」


 ここまでの話だと、むしろ喜ばしいことなんじゃないかと純也さんは思ったようだけれど。


「あ、ううん。そうじゃなくて……。わたしは逆に、コレでいいのかなぁって思っちゃって。せっかくのおじさまの厚意を途中でムダにして、おじさまのメンツっていうか……立場を潰しちゃったりしないかな、って」


「ああ、なるほどね。君は田中さんに対して遠慮があるわけだ。『せっかく援助を申し出てくれた彼に申し訳ない』って」


「はい……。こんなの、わたしのワガママじゃないかな……と思って」


 愛美は純也さんの解釈に頷く。

 別に、純也さんにどうこうしてほしいわけじゃないけれど。聞いてもらうだけで気持ちが軽くなるということもあるわけで。


「僕の知る限りじゃ、彼はそんなことで気を悪くするような人物じゃないけど。むしろ、喜んで申請用紙も書いてくれたんじゃないかな」


「えっ? ……はい。秘書さんもそう言ってました。あと、わたしが恋をしてることも、おじさまは嬉しく思ってるって」


「愛美ちゃん……、もしかして僕のことも田中さんに?」


「はい、手紙では何度も。――何かマズかったですか?」


「…………いや、別に」


(純也さん、今の溜めはナニ?)


 愛美はちょっと首を傾げた。もしかして純也さんは、愛美と付き合うことになったので、彼女の保護者にあたる〝あしながおじさん〟と顔を合わせづらくなるんじゃないかと心配している? それとも……。


(やっぱり彼が〝あしながおじさん〟本人で、この先わたしとの関係がこじれることを心配してる?)


 そう思うのは、愛美の考えすぎだろうか?


「実はこの話、純也さんと両想いになれるまではするのやめとこうって思ってたんです。どうしてもあなたのことに触れなきゃいけなくなるし、告白する前に話しちゃったらわたしの気持ち、あなたにバレちゃうから」


「うん、なるほど。だから話すのが今日になったわけだね? っていうか僕は、君の気持ちにはだいぶ前から気づいてたけど」


「え……。もしかして、珠莉ちゃんから聞いたんですか? それともわたし、思いっきり態度に出てました?」


 初めて恋をして一年やそこらでは、恋心を顔に出さないというスキルは簡単には身に着かないんだろうか?


「ふふふ。まぁ、それはノーコメントってことで」


「え~……? なんかズル~い!」


 純也さんもうまく逃げたものである。これでは答えが「イエス」なのか「ノー」なのか、愛美には判断がつかない。


「えっと、話戻しますけど。――おじさまって、わたしにとっては父親代わりみたいな存在なんですよね。だから、わたしに好きな人ができたことも、あんまり面白くないんじゃないかなって思ってたんです」


「そりゃあ、本当の娘だったらね。たとえば、珠莉に好きな男ができたとしたら、兄は――珠莉の父親は面白くないと思うよ。でも、田中さんはまだ若いし、君の〝父親代わり〟であって〝父親〟ではないから」


「はあ……、なるほど。そうですね」


 純也さんの話には妙な説得力があって、愛美は納得した。


「――純也さん、色々とありがとう。なんかわたし、話を聞いてもらったらちょっとモヤモヤが晴れた気がします」


「そっか、よかった。僕なんかで愛美ちゃんの役に立てたみたいで」


「僕〝なんか〟なんて卑下して言わないで下さい。わたしは純也さんがいてくれて、すごく心強いです。――じゃあ、そろそろ失礼します。おやすみなさい」


 純也さんも疲れているだろうし、あまり長居しても申し訳ない。愛美が原稿を持って、ベッドから腰を上げると……。


「あ、待って愛美ちゃん」


「……えっ?」


 純也さんに呼び止められた。そして彼は顔を赤真っ赤に染めて、愛美のコットンワンピースの裾をつかんでいる。


「どうしたの? 純也さん」


 困惑して、思わず敬語が飛んでしまった愛美に、純也は照れ隠しなのかボソッと問うた。本当に、聞こえるか聞こえないかくらい小さな声で。


「あの。…………キスしていいかな?」


「……は?」


だいの大人が何を言い出すのかと思ったら、そんなこと?)


 愛美は面食らった。そんなの、本人に断りを入れる必要もないだろうに。


「その……、相手は未成年だし。一応、ひとこと断りを入れた方がいいかと思って」


 彼の弁明を聞いて、愛美はクスクス笑い出した。


(純也さんって、ホントに律儀な人だなぁ)


 三十歳にもなった男の人が、まるで中学生の男の子みたいに見えて、なんだか微笑ましかった。


 そして愛美は、笑顔のままで頷いた。


「はい……!」


 純也さんは愛美をもう一度ベッドに腰かけさせると、自分もその隣りに腰を下ろした。座ることにしたのは、自分と愛美との身長差を考えてのことのようだ。


 愛美はそっと目を閉じた。実際の経験はないものの、小説やTVドラマなどでキスシーンの時にはそうしているのを知っていたから。


 そして、純也さんは愛美の唇に優しくそっと自身の唇を重ねた。


 愛美にとって初めてのキスは、ものの数秒で終わったけれど。彼女はそれだけで何だか幸せな気持ちになった。

 でも心臓はバクバクいっているし、同時にかぁっと顔が火照ほてっていくのも感じていた。


「ありがと、愛美ちゃん。じゃあ、おやすみ」


 愛美の柔らかい黒髪を指先で撫でながら、純也さんがそう言うのが彼女には聞こえた。


「……おやすみなさい」


 愛美はしばらく金魚みたいに口をパクパクさせていたけれど、やっとそれだけ言って自分の部屋に戻っていった。


 自分の部屋のベッドでしばらくゴロゴロと寝返りを打っていた愛美だけれど、まだ心臓の鼓動はおさまらず、なかなか寝付けない。


「う~~~~っ、寝られない……」


 これまで、心配ごとが原因で眠れなくなることはあったけれど、幸せすぎて眠れなくなったのは初めてかもしれない。


「コレがよく恋愛小説に出てくる、〝恋わずらい〟ってヤツなのかな……」


 愛美は目を閉じて、さっきキスしてくれた純也さんの唇の感触や、髪を撫でてくれた時の彼の指の感覚を思い浮かべていた。

 彼は今、隣りの部屋で何をしているんだろう? 彼もまた、愛美の事を考えてくれているんだろうか――。


「~~~~っ! ダメ、眠れない! ……よしっ! こんな時こそ、おじさまに手紙を書くべきだよね」


 時間は有効に使わなければ! 愛美はベッドからガバッと起き上がり、机に向かってだいぶ中身が薄くなってきたレターパッドを広げた。


****


『拝啓、あしながおじさん。


 今日はわたしにとって、忘れられない日になりました。特に夜から色々あって……。さて、何から書こう?

 夕食後、わたしは純也さんと二人で近くの川にホタルを見に行きました。

 純也さんはその時、わたしに言ってくれました。「ホタルっていうのは、亡くなった人の魂が生まれ変わったものなんだ」って。「だから、ここにいるホタルの中に、わたしの亡くなった両親がいるかもしれないね」って。

 わたしもそう思いました。きっと、わたしの両親もあの場所にいて、わたしのことを見守ってくれてたんだって。

 そしてわたしは、そこで思いきって純也さんに告白しました。男の人に自分の想いを伝えるなんて初めてだったから、最初はどう伝えていいか分からなくて途中で詰まってしまったけど、でもちゃんと最後まで伝えられました。

 そしたらね、おじさま。純也さんもわたしに「好きだよ」って言ってくれたんです! 「付き合ってほしい」って! もちろん、わたしはOKしました。

初めての恋が、ついに実ったんです! やったぁ☆ わたし今、すごく幸せです!!

 そして彼は、なんと五月からわたしと付き合ってるつもりだったって言うんです! さやかちゃんからは「そうなんじゃないか」って言われてましたけど、まさかその通りだったなんて……! わたし、ビックリしました!

 夜九時ごろになって、わたしは純也さんのお部屋を訪ねました。公募に出す小説一作を、純也さんに決めてもらうためです。

 心配しないで、おじさま。純也さんは誠実な人だから、わたしが夜にお部屋を訪ねて行ってもいきなり押し倒すようなことは絶対にしません(わたしをからかって、あたふたするわたしを見て楽しんではいましたけど……)。おじさまは彼と知り合いなんだから、それくらい分かってますよね?

 わたしの小説に対する彼の評価は、本当に辛口でした。でも、一番最後に書き上げた短編のノンフィクションは「なかなかいい」って言ってくれたから、わたしはその原稿で挑戦することに決めました。明日、この手紙と一緒に郵便局で出してきます。

 それでね、おじさま。……これは、おじさまに打ち明けていいのか分からないんですけど。純也さんはわたしがお部屋を出る前に、わたしにキスしてくれました。もちろん、わたしにとってはファーストキスです。

 その後のわたしは幸せな気持ちと、心臓のドキドキとで顔が火照っちゃって、今もまだフワフワしてます。今夜はもう眠れない気がするんです。

 恋が実って、恋人ができるってこんな気持ちになるんですね。

 彼と一緒にいるとホッとして、彼になら何でも話せる気がします。

 これからはきっと、おじさまに手紙でご相談してたことを、純也さんに聞いてもらうことが増えるかもしれません。

 でもそうなったら、わたしとおじさまとの関係は、これまで築き上げてきた信頼関係は崩れてしまうのかな……。それはわたしも不本意なので、これからもちゃんとおじさまに手紙は送り続けます。

 この封筒の厚み、おじさまはビックリなさったんじゃないでしょうか? 純也さんが来て下さってから、手紙を出せないままずっと書き溜めてたんです。もう一週間くらいかな? だから、だいぶ長い手紙になっちゃいましたね。

 それじゃ、そろそろおしまいにします。次はきっと、奨学金の審査の結果についてのお知らせになると思います。


    八月十三日    愛美    』


****


「――ホント、すごい厚み……」


 折り畳んだ便箋を封筒に収めた後、愛美はフフッと笑った。


 純也さんと渓流釣りに行ったこと、近くの山に登ったこと、キャッチボールをしたこと。雨の日に二人で読んでいた本のこと、純也さんもパン作りを手伝ってくれたこと――。愛美はすべて、日記のように手紙に書いていた。


 でも出すタイミングが延ばし延ばしになり、気がつけばこれだけの量になってしまったのだ。


 スタンドライトの明かりだけがついている机の上にはもう一通、A4サイズの茶封筒が置いてある。この夏に愛美が執筆し、四作ある中から純也さんに選んでもらった文芸コンテストへの応募作品だ。


(明日これを郵送したら、あとは運を天に任せるだけ……。お願い、入選させて! 佳作でもいいから!


 願かけするように、愛美は封筒の表面をひと撫でした。


「――さてと。ボチボチ寝られるかな……」


 手紙を書いているうちに、少しずつ眠気が戻ってきた。気持ちが落ち着いてきたからかもしれない。


 愛美はスタンドの明かりを消すと、再びベッドに潜り込んだのだった。

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