ホタルに願いを込めて…… ③

 愛美と珠莉は、思わずのけ反る。


「……もしかしてさやかちゃん、気づいてなかったの? わたしですら気づいてたのに」


「うん、全然。だって、まさかお兄ちゃんなんて……。ねえ珠莉、いつから?」


「五月に、原宿でお会いした時からよ。あの時からずっと気になっていて……」


「その時は〝恋〟って気づかなかったんだ? わたしもおんなじだったから分かるよ。初恋なんでしょ?」


 愛美も初恋だから、一年前は自分では恋に気づかなかったのだ。さやかに言われて初めて、「これが恋なんだ」と分かった。

 きっと、今の珠莉も同じなんだと思う。


「私もまさか、高校生になってから初めて恋をするなんて思ってもみませんでしたわ。今までにも男性と知り合う機会はありましたけど、治樹さんはその誰とも違ってましたの」


(……あ。わたしが純也さんに言われたこととおんなじだ)


 愛美は思った。セレブの人たちって、一体どんな異性と知り合うんだろう? と。

 みんながみんなお金目当てとか、打算で近づいてくるような人ばかりだったら、恋なんてできるわけがない。

 したところで、本気で自分を好きになってくれない人を好きになったって虚しいだけだし……。


「お兄ちゃん……ねぇ。言っちゃ悪いけど、あんまりオススメできないよ? 可愛い女の子には目がないし、愛美だってターゲットにされたもん。秒でフラれたけど」


 兄の性格を知り尽くしている妹としては、さやかも珠莉と兄がくっつくことをあまりよくは思っていないらしい。

 それは兄のためではなく、珠莉があの兄のせいで泣くところを見たくないという、友情に基づいての忠告だったのだけれど。


「あら! でも、少なくともあの人には打算っていうものはないでしょう? それに、好きになった女性のことは絶対に大事にする方なんでしょう? でしたら何の問題もありませんわ」


「う……、まぁ。お兄ちゃんはそういう人だけど……」


 〝恋は盲目もうもく〟というのか、珠莉はすっかり治樹さんが「女性を大事にできるステキな男性」だと思い込んでいるようで。


「さやかちゃん。こうなったらもう、珠莉ちゃんの背中押したげるしかないんじゃない? 親友として」


「…………だね。しょうがないかぁ」


 さやかは渋々、愛美の言葉に頷いた。


「――ところでさ、愛美。ここでのんびり喋ってていいの? もうゴハンは食べ終わってるみたいだけど、午後から部活じゃなかったっけ?」


「えっ? ……わあ! もうすぐ一時!? ごちそうさまでした! わたし、もう行くねっ!」


 愛美はイの一番に部室へ行って、文芸コンテストに応募する短編小説の構想を何作分か練っておくつもりだったのだ。


「さやかちゃんは、まだ行かなくていいの? 部活出るんじゃ……」 


 自分の食器を片付け、スクールバッグを取り上げて食堂を出ていこうとした愛美は、ふと思い出した。


「うん、あたしはまだいいの。部活は二時からだから」


「そっか。今日も暑いから気をつけてね。じゃあお先に!」


****


 ――愛美は来た道を引き返し、文芸部の部室へ。


「あ、愛美先輩! こんにちは」


 部室内には、すでに一年生の部員が一人来ていた。彼女は大きな机の前に座り、資料として置いてある小説を読んでいたけれど、愛美に気づくと立ち上がって頭をペコリと下げた。


「こんにちは。あらら、一番乗りはわたしじゃなかったかぁ。残念」


「でも、先輩だって二番目に早かったですよ。私はこの秋の部主催のコンテストに向けて、作品の構想を練ろうと思って」


「へえ、そうなんだ? わたしもなの。でもね、わたしは雑誌の文芸コンテストに応募するつもりなんだよ」


 部活動に熱心なのは、この後輩も同じらしい。もちろん張り合いたいわけではないので、愛美はあくまで控えめに彼女に言った。


「スゴいなぁ。先輩、公募目指してるんですか? 志が高くて羨ましいです」


「別に、そんなことないと思うけどな。小説家になるのが、わたしの小さい頃からの夢だったから」


「いえいえ、ますますスゴいですよ! もしかしたら、この部から現役でプロの作家が誕生するかもしれないってことですよね?」


「……こらこら。おだてても何も出ないよ、ちゃん」


 和田わだはら絵梨奈。――これが彼女の名前である。

 絵梨奈は愛美と同じ日に入部した女の子で、新入部員の中では愛美のことを一番慕ってくれている。


「じゃあ、絵梨奈ちゃんは自分のことに集中して。わたしも何か参考資料探そうかな……」


「はーい☆」


 絵梨奈がまた本に意識を戻したのを見届けて、愛美も本棚を物色し始めた。


****


 ――その日部室で、四作ほどの大まかなプロットを作り終えた愛美は、ちょっとした達成感を得て寮の部屋に帰った。


「ただいまー」


「お帰りなさい、愛美さん」


「お帰りー。お疲れさん」


 部屋には珠莉と、部活を終えたさやかもいた。部屋のバスルームでシャワーを済ませた後なのか、さやかの髪は少し濡れている。


「さやかちゃんも、部活お疲れさま。大丈夫? バテてない?」


「ああ、平気平気☆ めっちゃ汗かいたから、先にシャワー使わせてもらったし。こうして水分と塩分補給してるから」


 さすがはアスリートだ。彼女が飲んでいるのは、水分と塩分が両方摂れるスポーツドリンクだった。


「愛美も飲む?」


「うん、ありがと。もらおっかな。グラス持ってくるよ」


 愛美がキッチンから取ってきたグラスに、さやかが五〇〇mlミリリットルのペットボトルからスポーツドリンクを注いでくれた。


「愛美さん、それを飲んだらお着替えなさいよ」


「うん、そうする」


 やっぱり、部屋に帰ってきてから制服のままでいるのは落ち着かない。


 ――着替え終えた愛美は、再び共有スペースの椅子に座り直した。


「部活はどうでしたの? 何かいいアイデアが浮かびまして?」


「えっとねぇ、とりあえず四作くらいのプロットが浮かんだよ。一応、全部小説として書いてみて、その中から応募する作品を選ぶつもり」


 雑誌の公募となると、どのジャンルが受賞しやすいかどうか、傾向を見極める必要があるのだ。


「そっか。じゃあ、その前に誰かに一通り読んでもらって、その人の意見とか感想も参考にした方がいいよね」


「でしたら、純也叔父さまに読んで頂いたらどうかしら? 叔父さまの批評は的確ですから。ただし、少々辛口ですけど」


「えぇ~~? それはちょっとコワいなぁ……」


 愛美はちょっと困った。自分が一生懸命書いた小説を、大好きな人からけちょんけちょんに言われるとヘコむ。


「まあ、そんなにおびえないで。よほどヒドい作品じゃなければ、叔父さまだってそんなに厳しいことはおっしゃらないと思いますわ」


「……そう? 分かった」


 自分のメンタルの弱さは十分自覚しているので、愛美はあまり自信がないながらも頷く。


(コレで全部「ボツ!」とか言われたら、わたし多分立ち直れない……。ううん、大丈夫!)


 それでも、どれか一作くらいは純也さんのお眼鏡にかなう作品があると思うので、全滅の可能性を愛美は打ち消した。


「――あ、そういえばわたし、今月に入ってからおじさまに手紙出してないや」


 前に手紙を出したのは、上村先生から奨学金の申請を勧められた時。あの時はまだ六月だった。


「今日は秘書さんからの電話もあったことだし、夏休みの予定も多分まだ伝えてないから。そろそろ書かないと」


 先月の手紙では、奨学金のことを伝えるのに精一杯だった。あの時はまだ、純也さんに電話する前だったし……。


「そうだよね。ちゃんと知らせて、おじさまを安心させてあげないとね。――珠莉、あたしたちはちょっと外そう。コンビニ行くから付き合って。あたし、洗顔フォームが切れてたの思い出したんだ」


 この寮の中には、お菓子などの食品・ドリンク類からちょっとした文房具や日用品、雑誌まで揃うコンビニもあるのだ。


「ええ? ……まあいいわ。私は特に買うものはないけど、時間潰しにはなるものね。――じゃあ愛美さん、ちょっと行ってきますわ」


「うん、行ってらっしゃい。二人とも、わざわざ気を遣わせちゃってゴメンね」


 ――二人が出ていくと、愛美は机に向かい、レターパッドを開いた。


****


『拝啓、あしながおじさん。


 今日のお昼、おじさまの秘書の久留島さんからお電話を頂きました。

 久留島さんは、おじさまがわたしの奨学金のことも、大学に進むことも反対されてないとおっしゃってました。わたし、何だか信じられなくて……。

 だってわたし、おじさまは反対するものだと思ってたんです。おじさまからの学費はいらない、でも大学には行きたいなんて、わたしのワガママかもって。そんなのスジが通らないから。

 でも、おじさまはそのワガママを聞き入れて下さったってことですよね? 

 あのね、おじさま。久留島さんにもお伝えしましたけど、わたしは奨学金を受けられることになってからも、毎月のお小遣いだけは変わらずに頂くつもりでいます。これなら一応、おじさまのメンツは保てるでしょう? そしてできれば、大学に入ってからはお小遣いも増額して頂けないかと……。

 あ、そうだ。おじさま、わたし、今年の夏休みも千藤さんの農園で過ごすことに決めました。

 というのも、今年の夏には純也さんも休暇を取られて、農園に来られるそうなんです。彼と一緒に過ごせるのが楽しみで! いつごろ来られるのかはまだ分かってないんですけど、また連絡を下さるそうです。

 そして、わたしはこの夏、ある文芸誌のコンテストに挑むべく、四作の短編小説を書くことに決めました。それぞれジャンルも、文体も、世界観も違う四作です。もうプロットはできてます。

 そして四作全部書きあがったら、純也さんに読んで頂いて、どの作品を応募するべきかアドバイスを頂こうと思ってます。珠莉ちゃんが「純也叔父さまの批評は辛口だ」って言ってたので、わたしはちょっとおびえてます。でも、きっとどれか一作くらいは彼のお眼鏡にかなう作品が書けると思うので、まずは自分の文才を信じようと思います。

 珠莉ちゃんは今年の夏はグアムに行くそうですけど、本人は日本に残りたいみたい。どうも、好きな人ができたらしくて。それが誰かなんて、わたしからはお話しできませんけど。

 さやかちゃんは所属する陸上部がインターハイ予選を順調に勝ち進んでるので、今年は夏休み返上で練習。ということで寮に残ることになりました。 

 さやかちゃんはすごくガッカリしてましたけど、わたしは部活を一生懸命頑張ってるさやかちゃんが大好きです。だから、遠く離れた長野から応援しようって決めました。

 最後になりましたけど、久留島さんはおじさまのことをすごく慕ってらっしゃるみたいですね。

 彼はお電話で、おじさまのことを「ボス」ってお呼びになってました。多分ですけど、おじさまよりだいぶ年上のはずなのに。

お二人の関係が良好で、お互いに信頼しあってるんだなって、わたしにもよく分かりました。

 ものすごく長い手紙になっちゃいましたね。すみません。

 今年の夏休みも思う存分楽しんで、そして執筆も頑張って、ステキな思い出をたくさん作ってこようと思います。ではまた。


    七月十日   愛美


P.S. 奨学金の審査の結果が出たら、またおじさまにお知らせします。夏休みの間に、事務局からわたしの携帯に直接連絡が来るそうなので。             』


****

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