ホタルに願いを込めて…… ④

 ――そして、いよいよ七月二十日。今日から夏休みが始まる。


「じゃあさやかちゃん、わたしたちもう行くから。部活頑張ってね☆」


 愛美は新横浜駅まで、珠莉と一緒に行くことになっている。


「うん、頑張るよ。どこまで進めるか分かんないけどね。……あ、愛美の恋の進展具合も教えてよ」


「……もう! さやかちゃんシュミ悪いよぉ。――分かった。ちゃんと教えるよ」


 女の子同士の友情なんて、こんなものじゃないだろうか。からかわれても、やっぱり親友には恋バナを聞いてほしいものなのだ。


「ところで愛美さん。荷物はそれだけですの?」


 珠莉は愛美の荷物がスーツケースとスポーツバッグ、それぞれ一つずつしかないことに首を傾げた。

 一年前にはこの他に、段ボール箱三つ分の荷物がドッサリあったというのに。


「うん。大きな荷物は先に送っといたの。去年より一箱少ないけどね」


 千藤農園にお世話になるのも、今年で二度目。先に荷物が届けば、向こうもあとは愛美本人の到着を待てばいいだけ、ということだ。


「そうでしたの? じゃあ、そろそろ参りましょうか」


「うん。――さやかちゃん、行ってきま~す!」


「行ってら~~! 二人とも、気をつけて。楽しんどいで!」


「「は~い☆」」


 ――愛美と珠莉の二人は、まず地下鉄で新横浜駅まで出た。

 その車内で、愛美は多分初めて珠莉と二人、ゆっくり話す機会に恵まれた。


「そういえば、初めて会った時から思ってたけど。珠莉ちゃんって肌白いよねー」


「まぁね。私、今まで話したことありませんでしたけど、実はモデルになりたいと思ってますの。そのためにスタイル維持だけじゃなく、美白にも気を遣ってますのよ」


 愛美は彼女の夢を始めて聞いた。でも、スラリと背が高く、スタイルもいい珠莉らしい夢だと思う。


「へえー、そうだったんだ。珠莉ちゃんならなれるよ、きっと。でも、グアムに行ったら焼けちゃうんじゃない?」


「ええ、そうなのよ。私がグアムとか南国に行きたくないのは、それも理由の一つなの。あれだけ日差しが強いと、日焼け止めなんていくらあっても足りないもの」


「そうだよね……。でも、今回行きたくない理由はそれだけじゃないもんね?」


「ええ。治樹さんも東京にお住まいだってお聞きしてるし、東京にいれば街でバッタリ会うこともあるかもしれないでしょう? でも……、海外に行ってしまったら、帰国するまでは絶望的だわ……」


「うん……」 


 愛美は純也さんの連絡先を知っているから、たとえ会えなくても電話で声を聴いたり、メッセージのやり取りもできる。だからあまり「淋しい」とは思わないけれど。

 珠莉は治樹さんの連絡先すらまだ知らない。妹であるさやかに訊く、という手もあったけれど、それでは彼の方が珠莉の連絡先を知らないし、たとえ身内であっても第三者を巻き込むのは珠莉も気が退けるのだろう。


「珠莉ちゃん、そんなに落ち込まないで。早めに日本に帰ってこられたら、治樹さんに会うチャンスもあるかもしれないから。ねっ?」


「……そうですわね。落ち込んでいても、何も始まりませんわね」


 愛美の一言で、暗かった珠莉の表情は見る見るうちに明るさを取り戻していく。


「ところで、お肌が白いっていえば愛美さん、あなたもじゃなくて?」


「うん、そうなの。わたし、小さい頃から全然焼けなくて。元々そういう体質なのかなぁ? 去年夏も、外でいっぱい農作業とか手伝ってたのに日焼けしなかったんだよ。わたしはこんがり小麦色に日焼けする子たちが羨ましくて仕方なかったなぁ」


「まぁ、そうね。長野はあまり日差しが強い地域でもないし、あなたがお育ちになった山梨もそうでしょう? 育った環境にもよるんじゃないかしらね」


「なるほど……、そうかも」


 愛美は納得した。もし生まれ育ったのが沖縄おきなわみたいな南国だったり、ビルの照り返しの強い都会だったら、もっと日焼けしやすい体質になっていたかもしれない。


「でもね、愛美さん。私たちくらいの年齢になると、あまり日焼けはしない方がよくてよ。シミやそばかすの原因になりますもの」


「そうだよね。実はわたしも、去年おんなじこと考えてたんだ」


 年頃の女の子にとって――特に恋するオトメにとっては、日焼けはお肌の大敵なのだ。愛美だって珠莉だって、好きな人のためにもキレイなお肌を保ちたいのは同じ。


 ――二人がそんな会話をしている間に、「次は新横浜」という車内アナウンスが聞こえてきた。


「――あ、次だね。珠莉ちゃん、降りよう」


****


 ――JR新横浜駅で成田空港に向かう珠莉と別れ、愛美は去年と同じように新幹線の車上の人になっていた。

 去年は車内販売のサンドイッチで昼食を済ませたけれど、今年はお財布の中身に余裕があるため、乗り換えのために降りた東京駅で駅弁を買って長野新幹線の車内で食べた。


 その車内で、愛美は純也さんに、スマホから一通のメッセージを送信した。


『わたしは今、新幹線で長野の千藤農園に向かってます。

純也さんはいつごろ来られそうですか? 連絡お待ちしてます☆』 


****


 ――JR長野駅の前には、一年前と同じように千藤農園の主人(名前は善三ぜんぞうさんという)が車で迎えに来てくれていた。もちろん、助手席には多恵さんも乗っている。


「こんにちは! 今年もお世話になります」


「愛美ちゃん、こんにちは。待ってたわよ」


「よく来てくれたねぇ。もう荷物は届いてるから、天野君に部屋まで運んでもらってあるよ。――さ、乗りなさい」


「ありがとうございます。じゃあ、おジャマしまーす」


 礼儀正しく挨拶をした愛美を、善三さんはニコニコしながら白いライトバンの後部座席に乗せてくれた。


「――あ、多恵さん。いいお知らせです。純也さん、今年の夏はこちらに来られるそうですよ」


「あら、坊っちゃんが? でも、ウチには連絡なかったわよ。ねえ、お父さん?」


 驚いた多恵さんは、首を傾げて夫である善三さんを見た。


「ああ、電話はなかったねぇ。愛美ちゃんはどうして知ってるんだい?」


「実はわたし、五月から純也さんと個人的に連絡取り合えるようになったんです。で、わたしが先月かな、お電話した時にそうおっしゃってたんで」


「そうなの? 知らなかったわ。でも、あの坊っちゃんが女の子と個人的に連絡を取るようになるなんて……。愛美ちゃんは、よっぽど坊っちゃんに気に入られてるのね。――で、坊っちゃんのご到着はいつごろになるの?」


「あ……、それはまだ分かんないです。お忙しいのか、その後連絡がなくて。さっき、わたしからもメッセージ送ってみたんで、そのうち折り返しがあると思います」


 純也さんが、愛美からの連絡を無視するはずがない。連絡がないのは、本当に多忙だったからだろう。

 愛美はスポーツバッグのポケットからスマホを取り出した。メッセージアプリを開いてみると、新幹線の車内から送ったメッセージはちゃんと既読になっている。


(純也さん、ちゃんと見てくれたんだ……。よかった) 


 彼はきっと、今日も仕事に追われているんだろう。社長は社長で、それなりに忙しいものだ。

 それでも、愛美からのメッセージにはちゃんと目を通してくれている。愛美はそれだけで嬉しかった。


****


『拝啓、あしながおじさん。


 長野の千藤農園に着いて、十日が過ぎました。

 わたしは今年も農作業のお手伝いにお料理に学校の宿題に、それから公募用の原稿執筆にと忙しい夏休みを過ごしてます。そのおかげで、毎晩クタクタになってベッドに入っちゃうので、おじさまに手紙を書く時間もなくて。

 多恵さんは最近手作りパンにこってるらしくて、わたしも毎日、佳織さんと一緒にお手伝いしてます。生地をこねたり、多恵さんが買ったばかりのホームベーカリーでパンがふっくら焼けるのを、お茶を飲みながら待ったり。すごく楽しいです☆ そして、焼きたてのパンはすごく美味しいです! おじさまにも食べて頂きたい。きっと喜んで下さると思います。

 純也さんからは、まだ連絡がありません。わたしが送ったメッセージは見て下さったみたいなんですけど……。きっと忙しくて、返信する暇もないんだろうな。

 短編小説は、プロットのできた四作のうち三作はもう書き上げてあって、もう一作もあと少しで書き上がります。純也さんがこちらにいらっしゃったら、さっそく読んでもらうつもりです。それまでに原稿が上がるのか、純也さんが先に来られるのか。わたしはドキドキしてます。

 〝ドキドキ〟といえば……。わたし、この夏に純也さんに告白しようと思ってます。純也さんの方も、わたしのことを気に入って下さってるみたいだし。それよりも、この想いを抱えたままじゃわたし自身がおかしくなっちゃいそうで。だから結果なんて考えないで、自分の気持ちをそのまま彼に伝えます。

 おじさまも、わたしの恋を見守ってて下さいますよね? ではまた。


      七月三十日       愛美        』


****


「――愛美ちゃん! 佳織ちゃんと一緒にパン作り手伝ってー!」


「はーい! 多恵さん、今行きまーす!」


 夏休みが始まって十日。

 この日の午後も、愛美はキッチンで多恵さんのパン作りのお手伝い。最初はド素人丸出しだった生地のこね方も、もう十日目にもなるとだいぶ板についてきた。今では愛美も、この時間が楽しみになっている。


「……あ、そうだ。スマホは持って行っといたほうがいいかな」


 純也さんから、そろそろ連絡がくるかもしれない。愛美はスマホを自前のチェックのエプロンのポケットに入れて、キッチンへ下りていった。


「――わぁ! 愛美ちゃん、生地こねるのうまくなったね。あたしなんか、そうなるまでにあと一ヶ月はかかりそうだよ」


 佳織さんが粉まみれになってパン生地を相手に悪戦苦闘しながら、愛美の手つきを惚れ惚れと眺めて言った。


「そうですか? まあ、元々お料理も好きだったし、楽しいと上達もしますよ」


 手作りパンの経験はないし、もちろんパン屋さんで働いたこともないけれど。この後美味しいパンが食べられると思えば、こんなの苦労でも何でもない。


「――さ、こね方はこれくらいでいいでしょう。冷蔵庫で三十分くらい発酵させましょうね。二人とも、手を洗って」


「「はい」」


 愛美が先に手を洗わせてもらい、タオルで手を拭いていると……。


 ♪ ♪ ♪ …… 

 

 愛美のエプロンのポケットで、スマホが着信を告げる。五秒以上鳴っているので、電話の着信らしい。


「――あ、純也さんからです。もしもし? 愛美です」


『愛美ちゃん? 純也だけど、今大丈夫かな?』


「はい、大丈夫です。今、キッチンで多恵さんと佳織さんと三人で、パン作りしてるんです」


『パン作り?』


 純也さんがオウム返しにした。どうして多恵さんが急にそんな趣味にはしったのか、多分頭の中にクエスチョンマークを飛ばしているんだろう。


「はい。去年の冬くらいからハマってるらしいですよ。そのためにわざわざホームベーカリーまで買っちゃったって」


『……そうなんだ。善三さんも大変だな』


 電話の向こうで、純也さんが苦笑いしている。

 ホームベーカリーは決して安い買いものではないので、ねだられた善三さんに男同士の身として同情しているらしい。


「そうですね。――あ、多恵さんとお話しますか?」


『うん、代わってもらえるかな?』


「はーい。ちょっと待って。スピーカーにしますね」


 愛美は笑って答えながら、スマホの通話画面のスピーカーボタンをタップして、作業台の上に置いた。これで、手を放していてハンズフリーでも話ができる。


「坊っちゃん、多恵です。お元気そうで安心いたしました」


『うん、元気だよ。そっちは楽しそうだね。僕も混ぜてほしいくらいだ。東京はすっかり猛暑でね。ホント参ってるよ』


「愛美ですけど。純也さん、こっちにはいつごろ来られそうですか? 十日前にメッセージ送ったのに、既読スルーされちゃってるから」


 愛美はちょっと口を尖らせて彼に訊ねた。まだ付き合ってもいないのに(と、愛美本人は思っている)、これじゃ彼氏に知らん顔されている彼女みたいだ。


『あー、ゴメン! 仕事に忙殺されてて、ついうっかり返信するの忘れてたんだ。明日から休暇を取ったから、明日の……そうだな、午後にはそっちに着くと思う。ドライブがてら、車で行くから』


「分かりました。坊っちゃん、こちらではゆっくりおできになるんですか?」とは、多恵さんの言葉。


『さあ、どうだろう? それはそっちに着き次第かな。でも、愛美ちゃんもいるならすぐに東京に帰っちゃうのはもったいないな』


 つまり、純也さんはできるだけ長い時間を愛美と一緒に過ごしたいということだろうか。


「……そんな、もったいないお言葉です。じゃあ明日、お待ちしてますね。失礼しまーす」


 愛美は通話終了のボタンを押した後も、ドキドキしていた。


(明日、純也さんがこの家に来る……) 

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