第2章・高校二年生

純也の来訪、再び。 ①


****


『拝啓、あしながおじさん。


 わたしが横浜に来て、二度目の春がやってきました。そして、高校二年生になりました!

 今年は一人部屋じゃなく、さやかちゃんと珠莉ちゃんと三人部屋です。お部屋の真ん中に勉強スペース兼お茶スペースがあって、その周りに三つの寝室があります。でも、ルームメイトだったらそれぞれの寝室への出入りは自由なんだそうです。

 そして、わたしは文芸部に入ることにしました。小説家になるには、個人で書くだけじゃ多分、人から読んでもらう機会は少ないと思うので。もっとたくさんの人の目に触れるには、その方がいいと思うんです。

 今年は一年生の頃よりもたくさんの本を読んで、たくさんの小説を書こうと思います。

 一年前、わたしは孤独でした。でも今は、さやかちゃんと珠莉ちゃんという頼もしい親友がいるので、もう淋しくありません。

 ではまた。これからも見守っててくださいね。    かしこ


             四月四日    二年生になった愛美    』


****


 ――新学期が始まって、一週間が過ぎた。


「愛美、結局文芸部に入ることにしたんだ?」


 夕方、授業を終えて寮に帰る道すがら、さやかが愛美に訊いた。――ちなみに、もちろん珠莉も一緒である。


「うん。せっかく誘ってもらってたしね。あの時の部長さんはもう卒業されちゃっていないけど、大学でも文芸サークルに入ってるんだって。たまに顔出されるらしいよ」


 愛美は春休みの間にそのまま茗倫女子大に進学した彼女を訪ね、わざわざ大学の寮まで出向いた。

 大学の寮〈芽生めばえ寮〉は、この〈双葉寮〉よりもずっと大きくて立派だった。外部からの入学組も多いため、収容人数も高校の寮の比ではない。


「へえ、そっか。喜んでたでしょ、先輩」


「うん。二年生だけど、新入部員だからなんかヘンな感じだね」


「そんなことないよ。むしろ新鮮だって思うべきだね、そこは」


 上級生になったからって、いきなり先輩ヅラする必要はない。一年後輩の子たちとも、新入部員同士で仲良くなれたらそれでいい。そうさやかは言うのだ。


「そうだね。――ところで、二人はもう部活決めた?」


 一年生の時は、それぞれ学校生活に慣れるのに必死だろうからと、部活のことは特に言われなかったけれど。二年生にもなれば、各々おのおの入りたい部活ややりたいことも見つかるというもので。

 ――もっとも、この学校は部活に対しても生徒個人の意思に任せる校風なのだけれど。


「あたしは陸上部かな。中学でも三年間短距離スプリンターやってたし、小さい頃から運動得意なんだよね」


「へえ、スゴい! 珠莉ちゃんは?」


「私は茶道部かしら。お茶とお花は大和やまと撫子なでしこのたしなみですもの」


 対照的な性格の親友たちは、部活を選ぶ基準も対照的だ。運動神経のいいさやかと、「さすがはお嬢さま」という珠莉。それでも仲良くできているのだから、世の中は不思議である。


 ところが、そんな珠莉にさやかが茶々ちゃちゃを入れる。


「そんな優雅なこと言ってるけど、ホントはお茶菓子が食べたいだけなんじゃないのー?」


「……んなっ、そんなことありませんわ! さやかさんじゃあるまいしっ」


「どうだかねえ」


 珠莉はムキになって否定したけれど、本当のところはどうなんだろう?


(まあ、楽しめたら理由なんて何でもいいよね)


 本当に茶の湯を学びたかろうが、お茶菓子目当てだろうが、どちらでもいいと愛美は思う。


「――あら?」


「……ん?」


 〈双葉寮〉の手前まで来た時、珠莉が寮の前にたたずむ一人の男性の姿に気がついて声を上げた。

 百九十センチはありそうな身長といい、ナチュラルブラウンの髪の色といい、あれは――。


「やあ。久しぶり」


「純也さん……」


「おっ、叔父さま!」


 やっぱりその男性は、ベージュ色のスーツをビシッと着こなしている純也さんだった。

 今日は何やら箱を持っている。――あの中には何が入っているんだろう?


「今日はどうなさいましたの? ご連絡もなしでいらっしゃるなんて」


「いや、仕事の用事で横浜まで来たから、ついでに寄ったんだ。連絡しなかったのは、ビックリさせようと思ったからだよ」


 叔父と姪の会話に入っていけない愛美の背中を、さやかがポンと叩いた。


「……えっ?」


「ほら、行っといで」


「わわっ!」


 そのまま文字通り背中を押された愛美は、純也さんの目の前で止まった。


(~~~もう! さやかちゃんのバカ!)


 純也さんと話したいのに、緊張でなかなか言葉が出てこない。あたふたしている愛美の顔は今、茹でダコみたいに赤くなっているに違いない。


「あ……、あの。お久しぶりです」


「久しぶりだね。去年の夏に、電話で話したきりだったっけ?」


「はい、そうですね」


 千藤農園にかかってきた電話のことだ。もう忘れていると思っていたけれど、彼はちゃんと覚えていてくれた。


「体調はどう? 冬にインフルエンザで入院してたって、珠莉から聞いたんだけど」


「――あら? 私、そのこと叔父さまにお話したかしら?」


「えっ、どういうこと?」


 困惑気味に交わされた親友二人の会話は、幸いにも愛美の耳には入らなかった。


「もうすっかり元気です。一ヶ月以上も前のことですよ? でも心配して下さってたんですね。ありがとうございます」


「そっか、よかった。僕もお見舞いに来たかったんだけど、仕事が詰まっててね。ゴメン」


「いえ、いいんです。そんなに気を遣わないで下さい」


 病気でふうふう言っている時よりも、元気になってからこうして会いに来てくれた方が、愛美は嬉しい。


「――ところで叔父さま、その箱は?」


 珠莉が目ざとく、叔父の手にしているケーキの箱のようなものを指さして訊ねた。


「ああ、コレか? 差し入れに、横浜駅の駅前のパティスリーで買ってきたチョコレートケーキだよ。ちょうどいい。愛美ちゃんの全快祝いにもなるかな?」


 純也がいうパティスリーは、ちょっと値の張るケーキやスイーツが売られているお店で、中にはカフェも併設されている。でも、高級店のイメージが強いので、女子高生にはなかなか入りづらいお店でもある。

 ……それはさておき。


「えっ、チョコレートケーキ!? ありがとうございますっ!」


 チョコと聞いて、さやかが目を輝かせたのはいうまでもない。


「ねえ叔父さま、まだお時間あります? でしたら、私たちのお部屋で一緒にお茶にしません? そのケーキを頂きながら」


「うん、まあ……大丈夫だけど。愛美ちゃんはどうかな?」


「ああ、それいいねえ☆ ね、愛美?」


「ええっ!?」


 純也さんとさやかの二人に畳みかけられた愛美は、返事に困ってしまう。

 別にイヤではない。むしろ嬉しい。けれど、好きな人と何を話していいのか分からない。

 ……というか、さやかも珠莉も、面白がってけしかけているとしか思えない。のはおいておいて。


「…………ハイ。わたしも一緒にお茶したいです」


 多分まだ真っ赤な顔をしたまま、愛美も頷いた。


「ホントにいいのかい? イヤならムリにとは言わないけど――」


「いえ、大丈夫です。イヤなんかじゃないです。むしろ……嬉しいです」


 ちょっと食い気味に言って、愛美はやっと純也さんにはにかんで見せた。


「そっか……、よかった。でも、寮監の先生からは何も言われないのかな?」


「大丈夫だと思いますよ。心の広い人ですから」


 純也さんの疑問には、さやかが答えた。


「お帰りなさい。――あら。どうも」


 今日も笑顔で三人を迎えた晴美さんは、純也さんの姿を認めて目を瞠った。


「こんにちは。その節はどうも。――これから、姪たちの部屋でお茶会をしたいんですが、構いませんか?」 


 一年前の五月に一度、純也さんと面識のある晴美さんは、彼の顔をうっとりと見ながら答えた。


「ええ、どうぞどうぞ。ごゆっくり」


「ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて」


 純也さんが晴美さんに会釈をしてから、四人は寮のエレベーターに乗って三〇一号室へ。そこが愛美たちの部屋である。


「――晴美さん、純也叔父さまに見とれてらしたわね」


「単なる目の肥やしじゃないの? イケメンは目の保養になるからさ」


(イケメン……)


 エレベーターの中でさやかと珠莉のガールズトークを聞きながら、愛美は自分より四十センチも背の高い純也さんの横顔をおそるおそる見上げた。

 ちょっと切れ長の目に、すっと整った鼻筋。シャープな輪郭りんかく。――なるほど、確かにイケメンだ。晴美さんがうっとり見とれてしまうのも分かる。きっと、他の女性もそうだろう。


(でも、わたしは彼を顔だけで好きになったんじゃないもん)


 もちろん、彼がセレブの御曹司だからでもない。彼の内面にある優しさや穏やかさ、時々見せてくれる無邪気さに、愛美は惹かれたのだ。


「……? どうかした?」


 あまりにも夢中になって見つめていたら、ふと視線が合ってしまった。


「あ……、いえ。何でもないです」


 愛美ひとりが気まずくなって、ごまかしながら視線を落とした。

 恋愛経験が皆無で、異性に免疫のない愛美は、まだ男性と目が合うことに慣れていないのだ。

 純也さんはそれなりに女性との交際歴もあるようだから、これくらい何ともないだろうけれど……。


 ――エレベーターを降りてすぐ目の前が三〇一号室だ。


「さ、叔父さま。ここが私たちのお部屋ですわ」


 珠莉が先頭になって叔父を勉強スペースに案内し、愛美たちはフローリングの上にスクールバッグを下ろした。


「――さて、紅茶を淹れる前にケーキを切り分けようか。この部屋に包丁かナイフはある?」


「あ、果物ナイフならありますよ。キッチンはこっちです」


「ありがとう。じゃあ、それを使わせてもらうかな」


 純也さんは愛美に案内されて、勉強スペースの隅にもうけられた小さなキッチンへ。

 そこにあった果物ナイフを持って、テーブルの場所に戻ってきた。


「純也さん、お皿とフォーク出しときました」


「ああ、ありがとう。――えっと、君は……」


「自己紹介がまだでしたよね。あたし、珠莉とは二年連続でルームメイトになった牧村さやかっていいます」


「さやかちゃん、だね。よろしく。さっき、チョコレートケーキって聞いてすごく喜んでたね。チョコ好きなの?」


「え……、はい。見られてたんだ……」


 純也さんに笑いながら訊かれたさやかは、愛美とは違って恥ずかしさに赤面しながら呟く。

 恥ずかし過ぎて自らも笑い出した彼女につられて、キッチンでお茶の準備をしていた愛美も珠莉も笑い出し、室内はなごやかな空気に包まれた。

   

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