純也の来訪、再び。 ②

「――さて、切り分けようか」


 ジャケットを脱ぎ、ブルーのカラーシャツの袖をまくった純也さんが、ホールで買ってきたチョコレートケーキを八等分に切ってくれ、四枚のお皿に二切れずつ載せた。


「二つも食べられるかしら……」


 四人分のティーカップを熱湯で温めていた珠莉が、キッチンから心配そうに言った。

 彼女はモデル並みのスタイルをキープしたいので、太らないか気にしているのだ。


「大丈夫だよ、珠莉ちゃん。珠莉ちゃんが食べられなかったらわたしがもらうし、わたしがムリでもさやかちゃんが喜んで平らげてくれるよ」


 さっきの喜び方からして、彼女ならチョコスイーツはいくらでも入るんだろう。


「……そうね。ところで愛美さん。私ね、先ほど叔父さまがおっしゃったことで、一つ引っかかっていることがあるんだけど」


「ん? 引っかかってることって?」


 愛美は首を傾げた。――彼は何か気になるようなことを言っていただろうか? と。


「…………いえ、何でもないわ」


 何か言いかけた珠莉は、言うのをためらったあと、結局やめた。

 愛美はますますワケが分からなくなり、頭の中には〝はてな〟マークが飛んだ。


(珠莉ちゃん、何が引っかかってるんだろ?)


「――そういえば珠莉ちゃん、純也さんに知らせてくれてたんだね。わたしが入院してたこと」


「……えっ? ええ……」


 珠莉は戸惑いながらも頷く。――何に戸惑っているのかは、愛美には分からなかったけれど。


「そっか。ありがとね、珠莉ちゃん。おかげでまた純也さんに会えた」


「……とっ、当然のことでしょう? 親友なんですから、私たちは。――さ、紅茶が入ったわ。テーブルまで運ぶわよ」


 思いがけず、愛美に感謝された珠莉は満更まんざらでもなさそうで、照れ隠しにつっけんどんな態度を取ってみせた。


「うん。お砂糖はシュガーポットごと持ってって、各自の好みで入れてもらうってことでいいよね?」


「ええ、そうね」


 さやかは甘さ控えめ、純也さんは自分と同じ甘めが好みだと愛美は知っているけれど。珠莉の好みまではまだ把握はあくしていない。

 カフェや喫茶店じゃあるまいし、一人一人にいちいち訊いていたらキリがない。各自で入れてもらう方が合理的ではある。


「――紅茶が入ったよー。お砂糖はここね。各自で入れて下さーい」


 愛美は珠莉と手分けして、紅茶で満たされた人数分のティーカップをテーブルに置いて回った。最後にシュガーポットをテーブルの真ん中に置き、説明する。

 珠莉は太りたくないのか、紅茶にお砂糖を入れなかった。


「ありがとう。じゃあ、頂こうか」


「「「いただきます」」」


 女子三人が手を合わせ、全員がフォークに手を伸ばした。


「――美味し~♪ フワフワ~☆」


 チョコスイーツには目がないさやかが、一口食べた途端にうっとりと顔をほころばせた。

 見た目は濃厚そうなチョコレートケーキは、食べてみるとそれほど甘さがしつこくなく、フワッと口の中で溶けてしまう。


「ホントだ。コレなら二切れくらい、ペロッと食べられちゃうね」


 愛美も同意した。これなら胸やけの心配もなさそうだ。

「二切れも食べられるのか」と心配していた珠莉も、一切れはあっという間に平らげ、早くも二切れめにかかっている。


「――ところで愛美ちゃん。千藤農園はどうだった?」


 ケーキを一切れ残し、紅茶を飲んでホッとひと息ついた純也さんが、愛美に訊ねた。

 話すのはもう八ヶ月ぶり、しかも前回は電話だったので、面と向かっては約一年ぶりになる。


「はい、すごくいいところでした。空気はおいしいし、星空もキレイだったし、みなさんいい人でしたし。色々と勉強になることも多くて」


「そっかそっか。楽しかったみたいで何よりだよ」


 愛美の答えに、純也さんは満足そうに笑った。


「ホタルは見に行った?」


「いえ。いるらしいってことは、天野さんから聞いたんですけど。わたしは遠慮したんです。一人で行ってもつまんないし、もし見に行くなら好きな人と一緒がいいな……って」


 その〝好きな人〟を目の前にして、とんでもないことを口走ってしまったと気づいた愛美は、最後の方はモゴモゴと口ごもってしまった。


「好きな人……いるんだ?」


「ぅえっ? ええ、まあ……」


 正面切って訊ねられ、愛美は思わず挙動きょどう不審ふしんになってしまう。


(う~~~~っ! 穴があったら入りたいよぉ……)


 これ以上勘繰られても困るので、愛美はコホンと小さく咳ばらいをし、気を取り直して話題を農園のことに戻した。 


「――純也さん、子供の頃にあの場所で過ごしてたんですよね? 喘息の療養をしてたって。多恵さんが教えて下さいました」


「多恵さんが? 僕について、他には何か言ってなかった?」


「純也さんのこと、ベタ褒めしてらっしゃいましたよ。すごく正義感が強くて、素直で無邪気な子だったって」


 多恵さんがベタ褒めしていた純也さんのいいところは、大人になっても変わっていないと愛美は思う。彼は今でも、純粋で優しくてまっすぐな人だから。


「いやぁ、そんなに褒められてたか。ちょっと照れ臭いな」


 そう言いながら、頬をポリポリ掻く純也さん。でも、言葉とはうらはらにとても嬉しそうだ。


(こういうところが素直なんだよね、この人って)


 だから愛美も、彼に惹かれたんだと思う。


「久しぶりに多恵さんに会いたいな。去年の夏は忙しくて、長期休暇も取れなかったから行けなかったけど。今年の夏は何とか農園に行けそうなんだ」


「えっ、ホントですか? 多恵さん、きっと喜んでくれますよ」


「うん。夏のスケジュールがまだハッキリしてないから分からないけど、多分行けると思う」


(今年の夏は、純也さんも一緒……。わたしも行かせてもらえるかな)


 〝あしながおじさん〟が気を回して、そう手配してくれたらいいのになぁと愛美は思った。

 それとも、「男と一緒なんてけしからん!」なんて怒って、許してくれないだろうか?


「――ねえ愛美、純也さんに言うことあったんじゃない? ほら、小説の」


「あ、そっか」


 愛美が純也さんの子供時代をモデルにして小説を書いたことを、彼はまだ知らないはずだ。珠莉から聞いているなら話は別だけれど、それでも本人の口から伝えるに越したことはない。それが誠意というものだ。


 さやかに助け船を出され、愛美は思いきって純也さんに打ち明けた。


「あのね、純也さん。実はわたし、子供の頃の純也さんをモデルにして、短編小説を書いたんです。で、それを学校の文芸部主催のコンテストに出したの」


「僕をモデルに、小説を?」


「はい。……あの、気を悪くされたならすみません」


「いや、別にそんなことはないよ。気にしないで」


 純也さんは、こんなことで怒るような人じゃない。それは愛美にも分かっているけれど、本人に無断でモデルにしたことは事実だ。それは褒められたことじゃないと思う。


「そうですか? よかった。――で、その小説がなんと、大賞を取っちゃったんです」


「へえ、大賞? スゴいじゃないか。おめでとう」


 純也さんは目を大きく見開いたあと、愛美に「おめでとう」を言ってくれた。

 〝あしながおじさん〟からはとうとう言ってもらえなかった言葉。でも、純也さんに言ってもらえたので、もうそんなことはどうでもいいように愛美には感じられた。


「ありがとうございます。――援助して下さってるおじさまにも手紙でお知らせしたんですけど、何も言って下さらなくて。わたし、ちょっとヘコんでたんです。でも、純也さんに言ってもらえたからそれで満足です」


「そうなんだ……。まあ、彼もどう伝えていいか分からなかったんだろうね。女の子が苦手みたいだし」


「え……?」


(どうしてこの人が、そのこと知ってるの……?)


 愛美は純也さんをじっと見つめる。――一年前に、〝あしながおじさん〟のことは話したと思うけれど。そのことはまだ話していないはずなのに。


「ええ、まあ、そうらしいんですけど。どうして純也さん、そのことご存じなんですか? わたし、まだお話ししてませんよね?」


 回りくどいのはキライな性分しょうぶんの愛美は、正面から疑問をぶつけてみた。


「それはね……。実は僕と彼は、同じNPO法人で活動してるんだよ」


「NPO法人?」


 オウム返しにする愛美をよそに、珠莉が何やら怪訝けげんそうな視線を向けているけれど。愛美はそれには気づかない。


「うん。全国の児童養護施設とか、母子シェルターとかを援助してる団体でね。彼もある施設に多額の援助をしてるって言ってた。でも、まさかそこが愛美ちゃんのいた施設だったなんてね。初めて知った時は驚いたよ。世間って狭いんだなーって」


「そうだったんですか……」


 愛美は妙に納得してしまった。

 同じような年代で、同じこころざしを持つ二人の資産家が同じ団体で活動。偶然が重なりすぎているような気もするけれど、まあそういうこともあるだろう。


 ちなみに、〝母子シェルター〟というのはDV家庭内暴力脅威きょういから母と子を保護するための施設である。


「じゃあ、純也さんも施設に寄付とかなさってるんですか?」


「うん、まあ……。彼ほどじゃないけどね」


「何をおっしゃいますの? 叔父さまだって四年くらい前から、私財をなげうってあちこ多額の寄付をなさってるじゃございませんか」


 謙遜する純也さんに、珠莉がなぜかつっかかった。


「いいんだ、珠莉。ここは対抗意識燃やすところじゃないから。使いきれないほど財産があるなら、世の中のためになることに使う。これは当たり前のことだ」


「「……?」」


 二人だけが何だか次元の違う話をしていて、愛美とさやかは顔を見合わせた。


「――ああ、ゴメン! 話が脱線しちゃったね」


「いえいえ、大丈夫です。あたしたちの方が、話について行けなかっただけですから」


 さやかが手をブンブン振って否定する。お金持ち同士の会話に入っていけないのは、愛美も同じだった。

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