第12話 古代都市
きりもみ状態で落下し始めた飛空艇を墜落寸前のところで胴体着陸させたその場所は、ゴゴの町からはるか南、山脈を越えた先の草原でした。なんとか一命をとりとめたのぶおたち四人は、大きく拉げてしまって開かない飛空艇の扉を蹴り飛ばして、外に出ました。飛空艇の後部は噴石のせいでぼろぼろになっており、とても再始動しそうにはありませんでした。
見渡す限りどこまでも広がる草原には、集落らしきものも見当たらず、一行は途方にくれました。ボルケーノ・ガルーダとの戦闘を終えたばかりで、できれば休息を取りたいところでしたが、テントはもう使い切ってしまっていました。のぶおはジャングル島での判断を後悔しました。
とりあえずどちらかへ歩いて進んでいかなければならないと思いましたが、のぶおはまずはイルバートの装備を確認しました。ガルーダに捕らえられて連れ去られていったイルバートだったので、装備は以前のままでしたが、ポケットにはガルーダの羽が入っていました。のぶおは、ガールダの羽が何に使うものなのかは分かりませんでしたが、なにか特別な効果がありそうな気がしました。この、何気ない行為に、のぶおが得てしまった特異性が見られます。やくそうやどくけしそうは、それぞれに目的があり作られているので、何に使う物なのかという観点で道具を見ることは正常な思考回路です。しかし、ガルーダの羽は道具として誰かが作ったものではないので、本来であれば、どのような用途に使うのかという疑問を抱くのはおかしいはずです。いつか何かの役に立つこともあるかもしれませんが、たまたま偶然抜け落ちた羽がイルバートのポケットに入っただけかもしれないのですから、それを道具やアイテムというジャンルとして認識してしまうのぶおの思考回路は普通ではなくなってきているのです。今ののぶおは「手にした物、手に入れた物の全てに意味や目的があるに違いない」と考え、さらに「もし、何の意味も無いのなら、今自分の目の前に現れるはずがない」というふうに理解し、今では「この世界のすべてが自分のために仕組まれ、準備されているのではないか」という自己中心的で大それた感覚を持つようになっていました。異常だと思わなくなってきていることこそが最大の異常なのではないでしょうか。あるいは本当に、のぶおのために世界のすべては準備されて、ひとつずつステップを上りながら用意されたゴールへと向かっているのだとしたら。のぶおは何のために何を成し遂げようとしているのでしょうか。
ガルーダの羽はとりあえずポケットに戻して、のぶおは、ストラの村で購入していたシーフの装備をイルバートに装備させました。銀のナイフ、シーフの装束、ペガサスの靴、これらのおかげでイルバートは本人の能力以上の素早さを手に入れ、またモンスターからアイテムを盗み出す成功率も上がったような気がしました。シーフの村で購入した武器防具ががことごとくイルバートにしか装備できなかったことで、のぶおはイルバートがシーフの血を引く末裔なのだろうと確信しました。
ジャングル島から南東方向に向かってやってきたので、不時着したこの場所から西側は誰も住んでいない海沿いの崖が続いているのを見ていたのぶおは、消去法的に、東に向かって歩いていくことにしました。
いつもであれば、このような見通しの良い草原であってもどこからともなくモンスターが襲い掛かってきましたが、このあたりではどれだけ歩いてもモンスターに出遭うことはありませんでした。敵の気配はまるでなく、鳴き声や雄たけびやうめき声も聞こえない、風の音と鳥のさえずりだけが時折聞こえる平和な草原をどこまでも東に向かって、のぶおたちは歩いていきました。
真っ直線に右向きの矢印ので表現できるような移動を経て、日が暮れて夜になりました。夜はモンスターたちの動きが活発になるので昼間よりも頻繁に襲ってきたり、夜行性の凶暴なモンスターが現れる時間帯でもあります。しかし、この草原ではモンスターが現れる気配は全くなく、月明かりの元、のぶおたちはなににも邪魔されることなく延々と東へ真っすぐに歩いていくことができました。やがて朝になりました。早朝の澄んだ空気によって遠くまで見えるようになったのか、向こうのほうに街並みが見えました。やっと街にたどり着けそうだと思うと自然と歩みも軽くなり、のぶおたちは太陽が真上に上る少し前に街へとたどり着きました。
のぶおたちが辿り着いたのは、リリーオという街でした。こじんまりした街でしたが、宿屋や武器屋、防具屋、道具屋など一通りの商店は揃っており、繁華街には多くの人の往来がある賑やかな街でした。のぶおたちはガルーダとの戦闘、不時着、長距離の歩行と続いて疲労困憊だったので、早速宿屋で一泊することにしました。
宿屋のロビーで出会った男が「なんでも、この街には特殊な魔法を使えるばあさんがいるらしいぜ」と教えてくれました。男の隣にいた男に話しかけると「その魔法を使うと空間を自由に移動できるらしい。行ったことのある場所へ自由自在に飛んでいけるんだってよ。本当ならすごいよな」と言いました。
翌朝、のぶおたちはまずは武器と防具を新調しました。この街にたどり着くまで全くモンスターに出遭わなかったので、強い武器など売っていないのではないかと心配しましたが、これまでのどの街よりも強い武器が揃っていたので、のぶおはびっくりしました。その値段も高額でさらにびっくりしました。武器屋の店主はガルーダの羽を10万ゴールドで買い取ると提案してくれましたが、きっと何か使い道があるに違いないとのぶおはまだ信じていたので、10万ゴールドという破格の買取金額に心は揺らぎましたが、売らないことにしました。
結局、今装備している武器や防具の売却益でなんとか全員分を装備を購入することができました。のぶおはドラゴンバスターとダイヤの鎧を、イワンは大地の槍を、マリは癒しの杖と毛皮のコート、ダイヤの腕輪を装備しました。この街にダイヤの装備が多く売られているのは、街の北側にある山脈に鉱山があるからだと、店にいた客が教えてくれました。
防具屋から少し歩いた、民家が立ち並ぶその一角にいかにも怪しげな雰囲気の家があり、その外観からでもここに魔法を使うおばあさんが住んでいるのが分かりました。のぶおたちは相変わらずノックもせず、ぐいぐいと中に入っていき、部屋にいた老女に話しかけました。老女は、
「おやおや、お客さんかえ、こんなばあやになんのようじゃ」と聞いてきたので、「特に用はない」と「魔法を教えてほしい」の二つの選択肢のうち、のぶおは「魔法を教えてほしい」と老女に言いました。老女は「魔法を教えてほしいのかい。その宝箱の中に入っておるから持っていくがよい」と言いました。のぶおは今会ったばかりの、いかにも怪しげな老女の話を馬鹿正直に素直に信じて、部屋の奥にあった宝箱を開けてみました。するとそれは罠でした。宝箱の中からモンスターが現れたのです。
現れたのはマジックナイトでした。漆黒の甲冑に全身を包み、片方の手には身長の倍以上はあるランスを、もう片方の手には黒曜石の数珠を持っていました。すなわち、見た目から分かる通り、武器による物理攻撃と魔法による攻撃の両方を自在にこなす強敵というわけです。
マジックナイトは、魔法で、自らの攻撃力や打たれ強さ、素早さ、魔法に対する耐性などを強化したり、一度の攻撃で二度の攻撃ができるような能力を得たりもしました。それは素早く二回攻撃しているだけなのだから、素早さを強化しているのとは違うのだろうかとのぶおは考えたりしません。二回攻撃できるようになる魔法は、二回攻撃できる魔法なのです。
魔法を駆使する強いモンスターの共通点として、マリが唱えるサイレンスの魔法が通用しないという特徴があります。サイレンスの魔法は、相手が魔法を一時的に唱えられなくするという便利な魔法ですが、魔法を得意とするモンスターは魔力が高く、魔法に対する耐性も高いので、マリがサイレンスの魔法を唱えても効かないことが多いのです。魔法を連発してくる相手だからこそ、サイレンスの魔法が真価を発揮できるのに、効かないことが多いのでは、この魔法の意味がないじゃないかとマリを含めのぶおたちは憤っていました。そういうところをもうちょっと何とかしてほしいなあ、戦略的なバトルをしたいのにという声をのぶおは聞いたことがあります。
なので、このマジックナイトに対してもきっとサイレンスの魔法は通用しないだろうと決めてかかっていた一行ですが、三度、四度とマジックナイト相手に敗走を繰り返し、ぐるぐると同じ場面を繰り返す悪夢から脱出できない感覚のなかで、街の外にモンスターもいないので鍛えることもできず、ただひたすらにマジックナイトとの戦闘をやめられない苦悶を乗り越えようと、文字通りの夢中で唱えてみたサイレンスがマジックナイトには効いたのです。盲点でした。これによってマジックナイトは自分を強化することができなくなり、魔法を唱えようとしても言葉は宙に消え、のぶおたちはその隙をついて猛攻を仕掛け、ついにマジックナイトを撃破したのです。
まさかマジックナイトを倒す者が現れるとは思っていなかった老女は、驚いた様子で「なんとあのマジックナイトちゃんを倒すとはたいしたものじゃ。そなたたちにワープの魔法を教えて進ぜよう」と言い、ワープの魔法を伝授してくれました。
ワープの魔法は、自分がこれまでに訪れたセーブポイントへ自由に瞬間移動できる魔法です。不用意に、セーブポイントという言葉を使いましたが、のぶおたちにとってはセーブポイントではなく、青く光る地面でしかないのですが、その場所を心に思い描いてワープの魔法を唱えるれば、アレフガの城内から大ピラミッドのエントランス、ゴゴの噴水広場まで、あっというまに移動できるのです。魔法を唱えるのはマリですが、マリの記憶にないアレフガなどにどうやって行くのかという疑問については触れない事で行けるという事にしています。
ワープの魔法によって各地を自由自在に行き来できるようになったのぶおは、まっさきにオスティアにいた古文書研究のおじいさんのことを思い出しました。すでに4つも手元に集まったこの勇者の紋章の事について、あのおじいさんなら何か知っていて教えてくれるのではないかと考えたからです。マリの唱えたワープの魔法で四人はオスティアの街へ瞬間移動しました。
久しぶりに訪れたオスティアの街は前と変わりなく貿易港としての賑わいを見せていました。記憶を頼りにおじいさんの家に辿り着いたのぶおは家の中に入り、相変わらず机に向かって古文書を読んでいたおじいさんに話しかけると「おお、お前たちは! 元気じゃったか。その手に持っておるのは、なんと! 勇者の紋章ではないか! しかもよっつとも揃っておる! いったい何者なんじゃ、お前たちは!?」と言って、その場でくるりとひと回りし、ぴょんと跳ねました。そうしておじいさんは興奮した様子で話し始めました。
「わしの長年研究によれば、この世界には、はるか昔、今よりもずっと進んだ文明が存在したのじゃ。彼らは大いに繁栄しておった。しかし、謎のモンスターたちによって彼らは皆殺しにされ、そして都市も機械もすべてが破壊されてしもうた。そのモンスターたちは、ジェイマ、ゼットマ、ケイマ、そしてティーマという名前の四匹じゃ。たった四匹のモンスターがこの世界の全てを破壊し、塵にしてしまったのじゃ」のぶおたちは話を聞き続けました。
「しかしじゃ、その古代文明が滅びる寸前、最後に生き残った者たちが自分たちの文明が生み出した装置や武器をとある場所に隠したのじゃ。いつか再びモンスターによる災厄が訪れた時に、未来の者の役に立つようにと願ってな。そして、ついに、わしはその場所を特定することに成功した!」あまりにとんとん拍子に話が進みすぎるので、のぶおは不自然さに退屈さを感じてもいましたが、しかし、壮大な冒険が始まりそうな予感がそのネガティブさを打ち消しました。
「その古代文明最後の都市の遺跡に誰も入らぬよう、そして、災厄を振り払おうとする者だけが入れるよう、入口に封印を掛けたのじゃ。その封印を解くために必要なのが、お前さんが持っておるその勇者の紋章じゃ」そう言うとおじいさんはのぶおに地図を渡してくれました。
「この場所に古代都市の遺跡があるはずじゃ。わしのようなおいぼれが持っておっても役に立たんからな。お前さんに託そう」のぶおは古代都市の地図を手に入れました。
「古代都市の入口に立ったら、四人がそれぞれ紋章を手に持ち、空へとかざせば封印は解かるはずじゃ」おじいさんは言いました。
のぶおは、自分が勇者として認められたような気分になり、またイワンも旅の目的であった古代文明の武器を手に入れられるに違いないと思い、気分が高揚しました。
しかし、のぶおは何のために古代の武器を手に入れるのでしょうか。のぶおが旅を始めてから、モンスターと幾多の戦闘を繰り広げてきましたが、旅の大義名分である魔王とは一度も戦ったことはおろか、姿を見たこともありません。魔王がアレフガの街を襲ったという過去の歴史と、自分の父を殺したという母の話だけというなんとも脆くか弱い理由だけでこれまで旅を続けてきたのです。多くの街の人と話をしてきましたが、魔王の横暴や恐怖を訴える人が果たして何人いたというのでしょうか。そればかりか、今ののぶおたちはどこに行くあてもなく、最後の訪れたリリーオの街の周辺にはモンスターすらうろついていなかったのです。
それでも、のぶおにはそのような不都合は一切見えていませんでした。のぶおは勇者であり、それも、今や古代文明からも認められた勇者であり、再び訪れる災厄を防ぐことができるかもしれない勇者なのです。だから、のぶおたちが古代都市遺跡へと向かう理由はそれだけで十分でした。のぶおの物語に通奏低音が流れていないことなど、今この瞬間の、刹那の高揚感によってかき消されてしまう程度の問題なのです。
おじいさんから手渡された地図によると、どうやら古代都市はリリーオの街から南に進んだところにあるようでした。ワープの魔法が使えるようになったのぶおたちにとってもはや地理上の距離は意味をなさなくなったので、オスティアからリリーオに戻るのも一瞬です。
リリーオの街には入らずに、その足ですぐさま南下し始めた一行に襲い掛かるモンスターはやはりいませんでした。真っ平な草原を、地形にもモンスターにも邪魔されず真っすぐに下向きの矢印で表現できる方向へと歩いていくと大きな湖に辿り着きました。地図によるとこのあたりが古代都市の遺跡の場所のようですが、それらしき形跡は見当たりません。
のぶおたちはおじいさんに教えられた通り、それぞれがひとつずつ紋章を持って、空へと掲げました。すると紋章は輝きながら空に浮かび上がり、湖の中央辺りまで進んでいくと、そのまま落下していきました。やがて湖底から四本の光の筋がまっすぐ上へと向かって放たれ、その光は強さを増して、天までも届くようでした。光が強くなるとともに湖面は低下し始めて、そして見えてきた湖底にあったのは地下へと続く道を塞ぐ金属の丸いフタでした。フタの横には、アレフガ地方に生息するローラ蟹を上下さかさまにしたような形の見たことのない道具があり、四つの勇者の紋章はその道具の右側にある四つのくぼみにすっぽりと、時計の12時の位置に△、3時の位置に〇、6時の位置に×、9時の位置に□が収まっていたのです。
のぶおは金属のふたを持ち上げようとしましたが、びくともしませんでした。他の三人も協力して皆で持ち上げようとしましたが、やはり開きませんでした。のぶおは紋章が収まった道具やふたをもういちどよく見てみました。フタの横にあったボタンのようなものが押せそうな気がしたので押してみると、なんとあんなにびくともしなかった金属のふたが開いたのです。二枚貝が開くように一か所を蝶番にしてフタは直角まで開きました。
のぶおたちが思い切って中に飛び込んでみると、体がふわりと宙に浮いて、ゆっくりと床に降り立ちました。のぶおたちが着地すると同時にふたは勝手にしまってしまいました。地下空間には広大な円形の地下空間が広がっていました。どこにも窓がないはずなのに、まるで壁や天井自体がうっすらと光を放ているかのように明るく、太い柱が何本も立っていて、その円形の壁に沿って並べられたかのように宝箱が置いてありました。のぶおたちはついに、古代都市の遺跡に辿り着いたのです。
遺跡の中には8つの宝箱があり、のぶおたちは、エクスカリバー、オリハルコンのナイフ、ゴールドスピア、魔導士の杖、英雄の鎧、身隠れの衣、ゴールドメイル、賢者のローブを手に入れました。
宝箱を全て開けた四人がふたの真下に立つと、吸い上げられるように体が浮かび上がって、遺跡の外へ脱出することができました。そこで四人が目にしたのは、南の方角に立ち上る黒い煙でした。ギジプトの惨状が思い浮かんだのぶおはきっと魔王の仕業に違いないと思い、南へと向かいました。
* * *
魔王の死に伴い、ザラは新しい魔王となった。全てのモンスターはザラの配下となり、ザラの命令に従い、この世界のどこへでも馳せ参じ、魔王のためなら命を投げ出すようになったのである。ところが、ザラは臣下に対して、モンスターの派遣を命じなかった。ザラにしてみれば、今さら、そこいらのモンスターを勇者たち一行にぶつけることなど茶番であった。そんなことで時間を潰したとて何の意味があるのか。みすみすモンスターを犬死させることのために時間とリソースを取られている場合ではないとザラは判断したのである。勇者はどうやら飛空艇が墜落した後、何もない平原を延々歩いているようであった。放っておいた。
ザコモンスター選定の代わりに、ザラはまず、ジェイマに父カールが今後のボス候補としていたモンスターを調べてリストアップするよう命じた。さらにゼットマには、勇者がこの魔王の城にやってくるための道のりの整備を命じた。勇者様の波乱万丈の物語などいつまでも紡ぎ続けている気は毛頭なかったから、さっさとここへやってこさせてとどめを刺す方が早いと考えたのである。新しい魔王は古い魔王とは完全に違った。勇者を殺すつもりなのである。
勇者がワープの魔法で各地を飛び回っている頃、新しい魔王のもとに神託が届いた。神が、カールの気配が消失したことや、勇者の行く手にモンスターがまるで出現しなくなったことに異変を察知したからであった。
魔王がカールからザラに変わろうとも、信託は魔王の心に直接届く。声であるが耳で聞くわけではなく、イメージであるが目で見るわけではない。魔王の内奥に、神の意図することが直接拡がるのである。言葉以上の重みがあるからこそ、生前のカールは神託が伝えようとするメッセージに伴う無限の意味をなによりも重要と捉えていたし、その神託に従うことで、物語をどこまでも深めていこうとしたのである。
神によって、物語を構築することを運命づけられたメタモンスターの、その長にとって、もっとも重要である神託を、ザラは最初から一切無視した。心のなかに届けられたメッセージを破棄し、遮断した。神の鋭利な言葉もザラの心には全く刺さらなかった。モンスターが徘徊していないことを叱責し、物語を軌道修正せよと言われてもすべて聞き流した。ザラにとって、魔王と勇者の物語などといった虚構は父と一緒に殺し、棄ててしまったのである。もう終わったのだ。物語を紡ぐ必要がなくなった今、どうして神に従う必要があるだろうか。自分にとって信仰の対象でない神の叱責に卑下し、頭(こうべ)を下げる必要があるだろうか。
従うべきは陳腐な神の御託ではなく、唯一、自分の中の悪であった。それは、ザラの宣言を聞いた四人の臣下とて同じであった。善たる勇者がいるから、悪の魔王がいるのではなく、モンスターはそれ自体が悪なのである。その悪を勇者が退治しに来ようが来まいが、それは悪の存在理由とは別の次元の問題なのであり、これまでのねじれた主従関係を正常に戻しただけなのである。
ジェイマから、モンスターのリストを受け取ったザラは、さらに自分が選んだ何種類かのモンスターをそこに含め、すべてを絶望の山脈とその周辺に派遣するよう、ジェイマとケイマに指示した。絶望の山脈は、魔王の城へ到達するための唯一のルートである。勇者がどう行動しようとも、魔王の城にやってくるつもりならば必ずこの山脈を越えてくることになる。だから、他の場所のモンスターなどは、わざわざ、勇者の強さに合わせて選定することなどはおこなわなかった。自生しているモンスターに自由に行動するようにだけ命じた。
実は一介のモンスターたちも、カールの頃のやり方にはどこか違和感を覚えていたのである。魔王の命令は絶対であり当然従ってはきたが、どうして、勇者に対して、時には手加減までして、全力で殺しにかかってはいけないのかが、理解できなかった。物語という概念など説明されることもなく、仮に説明したところで、暴力と戦闘にのみ生きるモンスターたちに理解できるわけもなかった。
それも今を境ににすべてが変わる。全てのモンスターは、一切のタガを外され、全力で本能のままに勇者一味を殺しにかかってよいとなったのだから。そして、そんなモンスターの頂点に属する面々が、絶望の山脈に集結することとなった。もはや勇者の運命は決まったも同じである。平地を歩けば野生の猛獣に取り囲まれ、ダンジョンに入れば行く手をアンデッドが塞ぎ、やっとの思いで絶望の山脈までたどりついたとしても、そこに集結したボス級の全モンスターと対面し、自ずと勇者は憤死するのである。山脈に介するのはそれぞれがボスとして勇者たちと相対する事の出来るモンスターばかりである。それを一堂に集めよとのザラの命令に臣下たちは悪の心が強く刺激された。勇者との物語のことなど、これから起きる血の惨劇への期待によってすっかり消し去られていた。
勇者をおびき寄せるための手筈を命ぜられたゼットマは、ティーマとともに勇者の様子を観察すべくリリーオ周辺と飛んだ。勇者たちがオスティアの街で古代都市遺跡について聞かされて戻ってきたころである。
これまでの冒険を経て、勇者たちが少しずつ強くなってきていたことは分かっていたが、古代文明の、ゼットマらもその存在を知らなかった封印された装備を見つけ出してしまうとは予想外であったので、早速ザラにテレパスで報告した。ザラは特に驚く様子もなく「どんな装備を身に着けたところで、どうせ死ぬのだから構わん。放っておけ」とだけ伝えた。
ザラは、この臣下四人の強さを見抜いていたのである。彼らはカールのもとで従順にその命令に従い過ごしてきた。とてつもない強さを持ちながらも、あえて表には出さず粛々と日々を過ごしてきた。絶望の山脈に集結しつつあるモンスターたちも、すべて超一級の強さを誇るが、あの四人はそれをも上回る強さを持っている。たとえ勇者たちが古代文明の装備を身に着けて、絶望の山脈を乗り越えられるほどの力を手に入れたとしても、あの臣下四人にはまるで歯が立たない。ザラはそう踏んでいた。
勇者の偵察をゼットマに任せて、ティーマは古代都市遺跡から陸続きではるか南にある絶望の山脈の麓へとやってきた。上空から見ていると、すでにモンスターたちが集結し始めていた。ケツアルカトル、ヒルギガース、クノイチ、レッドドラゴン。時間や空間を越えて、あらゆるモンスターがひとつの場所に集結する、見たことのない光景であった。
ティーマは麓に向けて魔法で火球を降らせた。火球は音速の速さで落下していき、火の海になった。その煙は遠くからでもよく見えた。これだけ煙を上げておけば、勇者の正義感が刺激されおめおめとやってくるだろう。あとは人間の死体でも並べておけば、奴らは勝手にこの山脈を越えようとするに違いない。
断続的に届いていた神託は、やがて途切れることなくザラの心に届くようになった。それでもザラは雑音としか捉えず、神の意志がザラに伝わることはなかった。
ゼットマから、絶望の山脈へのモンスターの手配が完了したことをテレパスで受け取った後、王の間に一人でいたザラのもとに、人らしき姿が現れた。
神であった。
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