第十四話 異母兄弟の明暗

 多くの国を飲み込み、大陸の七割を占める西国全てを支配するに至った王は、古くからその地で生きる人種の名を新たな国へ付けた。――エスターニャ帝国。

 王の中の王、という意味合いで皇帝を名乗るようになった者の子孫たちは皇族と名乗り、現在もエスターニャ帝国の支配者として君臨している。


 脈々と受け継ぐ血脈の中で、とある皇帝にはなかなか子が出来なかった。正確には、出来たとしても流れてしまう。

 そんな中やっと産まれた皇子はだが、皇后が皇子を産んだことにより忘れ去られてしまった。

 本来であれば、帝位継承権保持者として、然るべき教育を受けて育てられる血筋を持った第一王子。彼が捨て置かれたのは、皇帝よりも皇后の権力が強いという象徴のような出来事だった。

 長い歴史の中、大きく歪んでしまった勢力図を正す能力を当時の皇帝は持っていなかった上に、関心もなかったのだ。


 後宮の奥深く。

 二人が出会ったのは、偶然だった。


「男の子が、何故後宮にいるの?」


 多くの人々に囲まれ、傅かれ、求められてばかりの日々に疲れた幼子が逃げ出した先、辿り着いた場所で出会ったのは、同じ年頃の男の子。

 洗いざらしの衣服を身に付けているが、使用人の子と考えるには顔付きや立ち姿に品がある。だが、貴族の子どもにしては身なりが貧相だ。


「僕は、ヴァルデマル。あなたは?」

「……イェルハルド。迷ったのか?」


 恥ずかしかったが、幼子は迷子だった。

 いつも誰かがそばにいたから、道など覚えていない。周りの大人たちをほんの少し、困らせてやるだけのつもりだったのだ。

 迷子なのだと自覚をしたら泣きたくなって、鼻の奥が、ツンとした。


「泣かなくて良い。俺が道を知っている」


 微かな笑みを口元へ浮かべた男の子が、手招きする。


「おいで。母のもとへ帰してやろう」


 繋いだ手が温かくて、ほっとした。


「あなたは、どうしてここにいるの? 後宮には、近衛騎士と、陛下と、陛下の子どもしか、男は入ってはいけないんだよ」

「……陛下と呼んでいるのか?」

「うん」

「父なのだろう?」

「だって、あまり会わないもの。父上とお呼びすると、怖い顔をなさるんだ」


 男の子は、話し掛ければ言葉を返してくれた。

 彼が通る道はヴァルデマルがいつも歩いているのとは違う、秘密の道。庭木の下を潜り、花壇の間を抜ける。

 ヴァルデマルがもたついても、彼は待っていてくれた。

 母から与えられたお友達はいるが、彼らとはまた違う。


「兄上みたい」


 自分の考えがこそばゆくて、漏らした言葉。

 振り向いた男の子はただ静かに、微笑んだ。


「衣服が汚れていると、余計に心配を掛けるぞ」


 ヴァルデマルの服についた汚れを払い、乱れた衣服を整えてくれる。頬の汚れを拭われて、整えるため、髪を撫でられた。


「そこの窓の下で、母を呼ぶと良い」


 背中を押されて、一歩進む。

 不安で振り向いたら、男の子はまだそこにいてくれた。

 言われた通りに母を呼べば、窓に近付く足音。顔を覗かせた母の姿に安堵して、両手を伸ばす。

 すぐ後にお礼を言いたくて男の子の姿を探したが、彼はいなくなっていた。


 寝しなに男の子のことを話すと、母が激怒した。二度と会ってはいけないと命じられた。

 恐ろしい形相で怒り狂う母が吐いた言葉を聞き、初めて、自分に腹違いの兄がいたことを知ったのだ。


 同じ敷地内で生活しているにも関わらず、その後彼を見掛けることがなかったのは、あの日ヴァルデマルのそばにいた人を見掛けなくなったことと関係があるのではないかと考えると怖くて……母へ確認する勇気は、持てなかった。

 どうか無事でいてくれと、願うことしか出来ない。

 ヴァルデマルの願いが通じたわけではないだろうが、彼は無事だったようだ。


 ひっそり成長した第一皇子が大人たちの思惑により見出され、優れた才覚と人柄から「帝国の良心」と呼ばれるようになったが、そのことは皇后の不況を買った。

 皇帝が毒殺されたのは、第一皇子の存在が広く知られるようになった、少し後。

 ヴァルデマルは母が恐ろしかった。

 周りの大人たちも、怖かった。

 父が毒殺されたというのに、狂ったように母は笑う。「可愛いヴァルデマル」と、毒々しい赤い唇に名を呼ばれる。

 爪が長く伸びた手に両肩を掴まれ、逃げ方など知らないヴァルデマルは、皇帝に即位することが決まった。


 即位式でヴァルデマルに向けられる、多くの目。

 どの瞳も冷たくて、ヴァルデマルを利用することしか考えていない。自分がこれからどうなるのか、何をさせられるのか、想像することすら恐ろしくて……助けを求めて、視線をさまよわせた。

 助けを求めると同時、逃げられないだろうことも理解していたヴァルデマルの視界に入った、一対の瞳。

 視線が引き寄せられた先にあったのは、優しい、ヴァルデマルの光だった。


 どうしようもない諦めと共に、吐息で吐き出す。


「たすけて、あにうえ」


 彼の顔が泣きそうに、痛みを堪えるように歪んだから、届いたのだとわかった。

 心の中で、願う。


――どうか、あなたはこの恐ろしいものに囚われず、逃げて下さい。


 次に会えた時にはもう、ヴァルデマルの両手はどうしようもなく穢れてしまっていた。

 母に逆らう勇気を持てず、だが己の決定で、多くの命が散ったことは理解出来た。民が苦しんでいることも、知っていた。


 暗鬱に包まれる中聞こえた足音は――


 救いの音。


   ※


 ヴァルデマルの墓は、歴代の皇族が眠る墓所とは違う場所にある。罪人である彼の母とも離れた場所へ建てられた、彼だけの墓。

 一人静かに眠るための墓は、イェルハルド皇帝の指示で、静かな高台の景色が良い場所へ建てられた。

 いたずらや破壊などをされないようにという配慮から、それが誰の墓なのかは公言されていない。

 いつでも花が溢れたそこは、家族に愛された人物の墓だと、周辺の住民からは思われている。


 飾り気のない馬車がやって来て、御者が、墓所の門番へと話し掛けた。常に固く閉ざされている門が開かれ、馬車は敷地内へと進む。

 馬車の後部に乗っていた男が地面へ降り立ち、馬車の扉を開けた。降りて来たのは、丈の長い漆黒のマントで全身を覆い隠した大柄な男性らしき人影と、同じマントで身体を覆った女性の人影。

 御者台からは二人の男が降りてきて、マントを身に付けず質素な服に身を包んだ男三人は護衛なのか、腰に剣を吊り下げている。


 漆黒のマントですっぽり全身を覆い隠した男女は手を繋ぎ、護衛に守られながら奥へと進んだ。

 墓の前、持って来た花を手向け、無言でじっとたたずむ。風が通り抜ける音だけが、その場を満たした。


 しばらく無言の時が過ぎた。


 たおやかな女の手が男の腕に触れ、無骨な男の手が、男を気遣う女の手に重なる。


「……ヴァル。せめて安らかに、眠ってくれ」


 ゆったりした足取りで馬車へと戻る男女。二人を囲む、護衛の男たち。五人は馬車へと乗り込んだ。


 馬車が去り、門は再び、閉ざされる。

 誰もいなくなった墓の前。色とりどりの花が静かに、揺れていた。

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