第三話 準備期間の約束事1

 エスターニャ帝国皇帝イェルハルドと雅烙第一王女玲燐との婚約が内定して、雅烙から玲燐と共にエスターニャまで来た三人の護衛は、書状を手に帰って行った。


 今は婚約期間。


 既に入国していた玲燐の所属は帝国となり、彼女の身を守る役目はエスターニャ帝国が負うこととなった。

 玲燐と、彼女の侍女二人の身に何かが起きれば帝国の責任となる。万が一そのようなことがあれば関わった者全ての首をはねると、皇帝から皇宮全体へ通達された。

 皇帝の通達の影響で、玲燐たち三人と宮中の人々の間には、不思議な距離感が生まれている。


「なぁんか、皇帝陛下ってよくわからない人ですねー」

「どこに耳があるかわからないのよ、口を慎みなさい」

「ここの人達って、雅烙の言葉わかるんですかね?」

「まぁ……あちらも、私達がエスターニャ語を理解していないと思っているようではあるわね」


 玲燐はともかく、侍女二人は宮中の人間と直接関わる場面は多い。

 用事を済ませるため歩いていると、エスターニャ語での会話が聞こえてくる。それらは全て、当人に聞かせるつもりはないのだろう雅烙の三人にまつわる噂話で、明明と春のすぐそばで囁かれることも多くあった。


「山猿の姫は本当のことだし、肌色毛色が違うのも、だから? って感じですけどねー。逆にこの国ってみーんな白銀の髪に紫の瞳じゃないですか。濃淡の違いはあれど、私には顔の見分けが付きません!」

「そうねぇ。この中に、もし成長したシン君がいても、私達からは見つけられそうにないわね」

「お、先輩! シン君のこと、諦めてないんですか?」

「だって遺体は見つかっていないのよ? 姫様をあんなに慕っていたシン君が姫様を悲しませるなんて、有り得ないんじゃないかしら」

「でも、もしシン君が見つかっても今更です。十年も待ったんですよ。今更出て来たら私がぶん殴ってやりますし、きっとここの皇帝に殺されちゃうので出て来ないのがシン君と姫様のためです」

「皇帝陛下、一体どんな方なのかしら」

「だから、よくわからない人なんですって。全く姫様に会いに来ないと思いきや……あ、ほら! あそこ!」


 春が視線で示した先。

 肩が凝りそうな西国式の服をまとった皇帝が、どこかをじっと見つめている。


 この場所は、玲燐が滞在する東国式の宮の一角。


 皇帝の視線の先には開放的な広間があり、そこには、皇后教育を受ける玲燐の姿。

 婚約期間が始まってすぐ、エスターニャ帝国皇后となる玲燐へ、西国式のマナーやダンスに言葉遣いに政など、皇后になるための教育が開始されていた。


「ああして姫様を見てるんですよ。毎日です」

「毎日? 直接、会いにいらっしゃれば良いのに。婚約者なのだから」

「私の想像ですけど、姫様に舌を噛み切られるのを恐れてるんじゃないですかね」

「まさか!」

「皇帝が本当に姫様に惚れてるんだとして、好いた女がすぐそばにいて触れないでいられると思います?」

「どうかしら? 殿方の気持ちなんてわからないわ」


 皇帝の頭が動き、明明と春へ視線が定まったのを感じて二人は口を閉じる。

 左目の傷跡が恐ろしく思え、侍女たちは無意識に身を寄せ合った。

 皇帝が歩み寄って来て、二人は西国式の最敬礼を取る。左足を、右足とクロスさせるように斜め後ろへ下げ、右膝を曲げて深く腰を落とすが、背筋は伸ばしたまま。

 西国式淑女の礼は、慣れないと足が攣りそうだなと春は思った。


「この東の宮に雅烙の言葉を解する者はいないけど、不和のもとになるかもしれないよ」


 二人の頭上に降って来たのは雅烙の言葉。低いこの声は皇帝のものだ。声音と見た目にそぐわない、柔らかな言葉遣い。

 逆に緊張が増した。


「も、申し訳ございません!」


 咄嗟に雅烙の言葉のまま返してしまい、明明と春は顔を青褪めさせる。


「何か、困ったことはない?」


 明明も春もエスターニャ語は操れるが、皇帝が雅烙の言葉で話し掛けてくれているため、合わせることにした。


「皆様、良くしてくださっております」

「姫様に付けた五人の護衛騎士たちと三人の侍女は、僕の信頼する人たちだから安心して。何かあれば彼らを頼ってね」

「ありがたきお言葉にございます」

「陛下」


 勇気を出した春が、一つだけしかない紫の瞳を見上げた。


「雅烙の言葉が、とてもお上手ですね。どちらで習得されたのですか?」

「昔、東国で。……これを姫様に」


 大きな手が差し出され、春が恭しく開いた両手にごろりと落とされたのは、黄色の丸い宝石。玲燐の瞳によく似た色だ。


「必ず、お渡しいたします」


 左右の袖の中へ腕を差し込んで両腕を重ね、作った輪の中へ頭を入れる雅烙式の礼を取った春と明明の姿に目を細め、皇帝は去って行く。

 皇帝の姿が完全に見えなくなってから、上体を起こした二人は顔を見合わせた。


「なんだかもやもやするわ」

「先輩もですか? 私もです」


 雅烙の言葉、とは言ったが正確には東国語だ。

 東国にある小さな国々は、東国人が各々作った集合体で、見た目や操る言語は同じ。雅烙の王族だけは例外で、赤髪に黄金の瞳を待つ一族は雅烙にしかいない。


 十三歳のイェルハルドが腹心と共に命からがらエスターニャを逃げ出し、東国の内の一つへ亡命していたのは有名な話。その国は雅烙の北側の隣国であり、エスターニャとも国境が接しているサージハル。

 東国で三年も潜伏していたのだ。彼が東国語を流暢に話したとしても、何ら不思議なことはない。


「でもどうしてもやもやするのか、すっかりさっぱりわからないのよ」

「私もです! なんか、小骨が喉に引っ掛かってる~みたいな妙な感じなんですけど……」


 結局答えは出ないまま、二人は玲燐のもとへと戻って行った。

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