第二話 人質という名の嫁入り2

 十二年前、イェルハルドの父が毒殺され、帝位に就いたのは一つ下の弟だった。


 イェルハルドは第一皇子ではあったが側妃の子。母は属国から娶られた他国の姫だったが、後宮での暮らしに耐えられずイェルハルドを置いて国へ帰ってしまっていた。

 腹違いの弟は正妃が産んだ皇子。第二皇子でも、皇位継承権の順位は弟の方が上だった。


 当時十二歳だった弟は実母を摂政として皇帝となり、エスターニャの実権は、皇太后となった弟の実母とその一族が握ることとなった。


 エスターニャの歴史の中でも最悪な時代だったと、誰もが口を揃えて語る。


 賛同者を集めたイェルハルドが反乱を起こし、当時の皇帝を弑逆。皇太后派を一掃したのが九年前の出来事。

 イェルハルドの友人だったガスパルは、反乱軍の頭脳ブレインとなって協力し、イェルハルドが帝位に就いた後は宰相として苦楽を共にしてきた。

 荒れた国を整え終わり、次に上がるだろう皇帝の世継ぎ問題についても、事前に解決策を提示する用意は出来ていたのだ。だがその策は、イェルハルド本人によって潰された。


「雅烙の民はソシエル山脈を熟知している。万が一東側の小国が手を組んだとしても、雅烙と友好関係を結んでおけば、警戒範囲を大幅に狭めることが出来る」


 熟考の末、帝国の政を担う全員が賛同したことにより、雅烙へ婚姻の申し込みは行われた。

 だがそのことを早速後悔することになろうとは、先読みの名手とうたわれるカスパルをしても、まったく想定できなかった。


「早速だが、エスターニャの皇族は一夫多妻が認められていたな? 私が線の細い男を愛人に迎えるのは、認められるか?」

「絶対に認めない」

「ほぉ。あなたは私以外の女を抱くのだろう?」

「俺は、姫以外を抱くつもりはない」

「ふむ。あなたがそう誓ったとして、周りは許すだろうか? 私があなたの子を確実に孕むという確証もない」

「雅烙からの返答を受け取り次第、皇族の一夫多妻の廃止を決定させる予定だった。姫がこうして乗り込んで来ることは想定外だ」

「それは申し訳ないことをした。私としても、未来の夫君の顔が見たかったのだ」

「感想は?」

「まだわからんな」


 紫と黄金の視線が絡み合う。


 ガスパルがこの場で言葉を発することは入室直前皇帝の命により封じられていたから、皇帝の右後ろに控え、黙って成り行きを見守っている。

 一夫多妻制廃止案については、前々から協議している議題の一つ。特に問題はないだろう。だが玲燐以外を抱く気がないというのは初耳だ。後で問いたださねばなるまい。


「私個人としては、確認しておきたいのは以上だ。雅烙からの条件については、国王より書状を預かって来ている。確認して、正式な回答をいただきたい。私が持って帰ろう」

「何故、姫が持ち帰るのだ?」

「エスターニャの使者殿は足が遅かろう。私の方が速い」

「随行して来た護衛に持たせれば良い。長く危険な道のりだ、姫がそう何度も行き来することはない」

「あなたは、私にここへ残って欲しいと申すか?」


 さすがに動揺したのか、玲燐のエスターニャ語が怪しくなった。

 皇帝の首が迷わず縦に振られたことに、ガスパルも驚愕する。「お前は何を言い出すんだ」と頭を叩いてやりたかったが堪え、動揺を表には出さず静観を続けた。


 玲燐は、少しの間考える素振りを見せてから、イェルハルドへ視線を戻す。


「一つ、確認したいのだが。あなたは一時期東国へ亡命していたと聞いている。追っ手から逃げる際、ソシエル山脈を横断したと、聞いた。あなたと共に逃げた中に、シンという名の少年はいなかっただろうか? 恐らく、あなたと同じ年の、気弱そうな少年だったのだが」


 ガスパルには、覚えがない。


「知らないな」


 イェルハルドも、迷いなく即答した。


「そうか……」


 黄金の瞳が、落胆で陰る。

 次にイェルハルドへ視線を戻した時、何故だか玲燐は、怒っているようだった。


「国を出る時、今生の別れは済ませて来た。皇帝陛下の要望を受け入れ、私はここへ残ろう。だが、婚姻の儀を終え初夜を迎える前に、私に指一本でも触れてみろ。舌を噛み切って死んでやるからな」


 玲燐が笑顔で発した宣言をイェルハルドが受け入れたことで、話し合いの場は一時終了となった。



 雅烙第一王女の突然の訪問により、処理することが増えたことも、頭が痛い。

 他にも頭痛の種がある。

 執務室へ戻る道中、ガスパルはイェルハルドの後頭部を睨めつける。


「陛下が玲燐様にベタ惚れという情報を、私は教えていただいておりませんでしたが?」


 ガスパル含め、今回の婚姻はただの政略結婚だと考えていた。

 イェルハルドが、しっかり女性に興味を持っていたことも初耳だ。

 あらゆる種類の美女に言い寄られようと、冷たくあしらう姿しか見たことがない。イェルハルドは男色なのではないかという憶測も生まれているくらいだ。


「いつ、どこで出会われたんですか? 玲燐様の方は陛下を知らないようでしたが」


 返って来たのは、無言。


「女性への興味が皆無なのも困りものですが、溺れられるのはもっと困ります。事前情報では山猿の姫とも呼ばれていたのに、あれのどこが山猿ですか! 国を傾けかねない絶世の美女ではないですか! 陛下! 聞いてるんですか、陛下!」

「ガスパル」


 低い声に名を呼ばれ、ぴたりと口を閉じた。

 これはマズいと、ガスパルも近衛騎士たちも、思う。

 足を止めたイェルハルドは、本気で機嫌が悪そうだ。


「一つ、覚えておけ。俺が血塗れの玉座を欲したのは、玲燐を手に入れるためだ。彼女が俺のものにならないのならこんな国、俺が滅ぼしてやる」


 イェルハルドは、暴君でも愚王でもない。むしろ賢王と言っても良いだろう。民からも慕われている。皇宮中の人間も、皆イェルハルドに好意的だ。

 だが、幼少期のイェルハルドを知るガスパルは、彼がエスターニャを恨んでいるだろうことを、理解していた。


「シン、という少年を陛下は、本当はご存じなのではないですか?」


 半ば確信して、ガスパルは問う。


 東国への亡命に、ガスパルも同行していた。道中の事故で、イェルハルドは崖下へ転落してしまい生死不明となったが、亡命してから二年が経つ頃、五体満足でガスパルたちの前に現れた。

 二年もの間どこにいたのかと問えば、親切な人に助けられたとだけ、告げた。


「シンは、俺だ」


 背が向けられたままで、ガスパルからイェルハルドの表情は伺えない。


「だが、レイが愛したシンは、皇帝になると決めたあの日に死んだ。見た目も様変わりしたから、彼女は気付かない」


 戦うために鍛え上げた体。十年前の、気弱で線の細い少年の面影は完全に失われた。


「わかりました」


 ため息と共に、ガスパルは吐き出す。


「あなたが愚王とならぬ限り、私はイェルハルド様の味方です」


 ガスパルの言葉に、近衛騎士たちも力強く頷いた。


   ※


 皇宮の最奥。玲燐一行に与えられた宮の浴室は、真っ白な湯気に満たされていた。

 浴室含め、建物全体が東国式の造りをしており、まるで自国へ帰ったかのような居心地の良さだ。

 雅烙から共に旅立った侍女の手で長い真紅の髪を丁寧に洗われながら、広い浴槽の湯に体を沈めた玲燐は、目を閉じる。


「玲燐様、気を落とさないでください」


 幼い頃から仕えてくれている侍女だ、玲燐が何を期待してエスターニャまでやって来たのかを、理解しているのだろう。


「私ももしかしたらって思ってたんですけどね~、あんなゴツいのとシン君は、似ても似つきませんよぅ」

「これ、チュン!」

「本当のことを言ってごめんなさーい」


 浴室の戸の向こうから顔を覗かせたのは、もう一人の侍女、籐春トウチュンだ。彼女は玲燐の一つ下で、幼い頃からの親友。シンとも親しくしていた。


「シンはきっと、死んだのだ」


 玲燐の落とした囁きは、本人の意図に反し、浴室内で反響する。

 姉のような存在の侍女の手が、玲燐の頭へ乗せられた。


明明メイメイチュン。二人とも、私に付き合わず雅烙へ帰りなさい」


 雅烙を出る時にも本当は、玲燐は護衛三人だけを連れて行くつもりだった。それなのに侍女二人は、玲燐と運命を共にするのだと言って聞かなかったのだ。


「玲燐様を御せる者が、エスターニャの宮中にいるとは思えません」


 真紅の髪の手入れをしながら、林明明リンメイメイは静かな笑みを浮かべる。


「それに、私達がいないと玲燐様の髪が大変なことになっちゃいますよ! 山猿姫の美を作ってるのは、私達なんですからね!」


 籘春トウチュンは浴室の外で、風呂から上がった玲燐が着る服の支度をしながら声を張り上げた。


「父上の書状への正式な回答が得られたら、護衛の三人は国へ帰すつもりだ。私はそのまま、婚姻の準備に入るだろう。私は、この地に骨を埋める覚悟でここまで来た。お前たちも後悔のないよう、よく考えなさい」


 国を出る前に、既によくよく考えた。

 雅烙の宝である姫が、嫁ぎ先でも何不自由なく生活出来るようにという民たちの願いを背負い、エスターニャまでついて来たのだ。明明と春が玲燐のそばを離れる時は、命を失う時と、決めている。


 それぞれ想いを胸に秘め、最初の夜はゆっくり、更けていく――。

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