第一話 人質という名の嫁入り1

 白銀の髪に紫の瞳と白い肌はエスターニャ人の特徴で、大陸の七割を領土とする大国エスターニャの民は、ほぼ全てがエスターニャ人だ。

 険しいソシエル山脈を挟んで西側がエスターニャ帝国。山脈の東側には、エスターニャ人以外の人種が支配する小国が複数存在する。

 エスターニャを西国。東側の小国をまとめて東国とする呼び名が一般的だ。


 東国を形成する小国の一つに、雅烙ガラクという国がある。

 ソシエル山脈を挟んでエスターニャと接した雅烙は、緑豊かで穏やかな国だった。


「戦だ! 武器を取れッ!」


 大声を張り上げたのは、赤銅の髪に黄金色の瞳を持つ青年。雅烙の王太子、伽紅焔カコウエン


「兄上、落ち着いてください。まずは戦略を立てなければ」


 武器を手に今にも飛び出しかねない王太子を諌めたのは、兄と同色の髪に理知的な黄色の瞳を持つ第二王子、名を伽煉蒼カレンソウ


「待て待て待て。二人とも、書状をよく読め。『雅烙とエスターニャの友好の証として、雅烙第一王女玲燐をエスターニャ皇后として迎えたい』と書いてあるだろう? 脅しじゃない。お友達になりたいな、のお誘いだ」


 兄と弟が投げ捨てた書状を手に取り苦笑を浮かべたのは、エスターニャ皇帝から嫁にと望まれる本人、伽玲燐カレイリン

 艶めく真紅の髪と黄金の瞳を持つ姫は、雅烙を治める王族の中でも先祖の血を色濃く受け継ぎ、初代雅烙女王の生まれ変わりだと言われる人物だ。


 雅烙では女王が認められているが、彼女は近く、他家へ嫁ぐ予定となっていた。


檀蒜ダーンヒルの動きがきな臭いからな。雅烙と友好関係を築くことで、東国全体の動きを封じたいという思惑だろう」


 檀蒜ダーンヒルは雅烙の南側に位置する隣国で、海に面した彼の国は、長らくエスターニャとは敵対関係にある。ソシエル山脈の南端の切れ目を封鎖して、エスターニャと東国の行き来を阻害しているのだ。


 頭髪と同色の赤銅色の顎髭を撫でながら、雅烙国王は長いため息を吐き出した。黄金色の瞳を、美しく成長した第一王女へ向ける。


「他国へ嫁ぐ意味、理解しているな?」


 小さな頭が縦に動かされ、玲燐の真紅の髪と簪が揺れる。

 王女が他国へ嫁ぐのは、政治の駒として。友好関係の象徴という表向きの理由の裏には、人質という思惑が隠れている。


「お前が嫌だというのなら、民も俺たちも戦覚悟でお前を守る。だがな、それは父としての言葉だ。雅烙の国王としては、この申し出は断るべきではないと、考えている」

「民のため、国のため、王女として何不自由なく育てられた恩を返すべき時と、理解しております」


 父と娘の間で、話は決まったかに見えた。


「お待ちください父上! エスターニャは、皇族が家族同士で殺し合いをするような国なのだぞッ」

「そのような国に、姉上を売り渡すのですか!」


 兄と弟の抗議の声に、玲燐は儚げな笑みを浮かべる。


「十年、待った」


 その年月が何を指すかは、この場の誰もが、知っていた。


「シンはもう戻らない。諦めたから、江栄翔ゴウエイショウの求婚を受け入れた。国の繁栄のため子をなすのも、国の利益のためこの身を売るのも、私にとってはどちらも変わらぬ。むしろ、エスターニャ人の男に抱かれるのは、シンに抱かれる気分が味わえるかもしれんな」


 頬杖を付き、物憂げな表情を浮かべていた玲燐が視線を上げ、白い歯を見せ明るく笑う。


「私はどこででも生き延びられる女だ。嫁ぎ先がたとえ魔窟だとしても、強く、生き延びてやろう。心配には及ばんよ」


 こうして、雅烙第一王女玲燐の、嫁ぎ先の変更が確定した。


   ※


 雅烙の北側にある隣国を抜け、山脈を迂回して北端の切れ目にある関所を抜けエスターニャへ入国すれば、緩やかな長旅となっただろう。エスターニャからの使者は煩雑な手続きの末、迂回路でエスターニャと雅烙を往復した。


 だが雅烙第一王女が選んだのは、ソシエル山脈を形成する一つの山を突っ切るルート。


 三人の護衛と二人の侍女を連れた玲燐がエスターニャの帝都リスタニアに到着したのは、雅烙からの返信を持った使者が帰城したすぐ後のことだった。


「雅烙第一王女、伽玲燐を名乗る一行が城門まで来ている?」


 門兵からの報せを受けたエスターニャ宰相が、眉間に深い皺を刻む。


「今しがた帰らせた使者に確認させなさい」

「いや、良い。俺が出向こう」


 言うが早いか、立ち上がった大柄の男を宰相が慌てて追い掛ける。男は既に、執務室の扉を開けて廊下へと出てしまっていた。


「陛下! あなたが自ら出向く必要がどこにあるのですか! それに、本人であるはずがないでしょう」


 先ほど使者が届けた書状には申し出を受け入れるとの返答はあったが、国同士の婚姻だ。これから何度かやり取りをして互いの条件を詰め、正式な決定までにはまだまだ時間が掛かる。

 雅烙側としては寝耳に水の求婚だったはず。

 玲燐王女としても、時間が掛かれば掛かる程喜ばしいことであるはずで、本人が乗り込んでくる意味がわからない。


 宰相の主張を一切合切無視して、男は城門に向かって突き進む。


「――彼女だ」


 息を切らせながら男に追い付いた宰相が、耳にした声。


 顔を上げた先には、エスターニャでは見掛けない、東国式の旅装に身を包んだ五人の男女の姿。その先頭に、長い真紅の髪を高い位置で一本に括った女性が立っていた。

 

「ガスパル、饗す用意を」

「勝手に来た相手を饗す必要はないかと存じます」

「まずは目的を、聞かねばなるまい」

「そうですね。私もお供いたします」


 珍しく楽しそうな皇帝の様子に驚いたが、そのことについては何も触れず、宰相は男の後ろへ控える。

 皇帝直属の近衛騎士たちも、執務室から二人について来ていた。


 宰相の指示で格子状の門が上げられ、荷物を乗せた馬と共に一行が入城する。馬は、西国の一般的な馬よりも足が短く、なんだか不格好に見えた。


「遠路遥々、よくお越しくださいました。私はエスターニャ宰相、ガスパル・ベーヴェルシュタムと申します。雅烙より戻りの使者は先ほど帰城したばかり。何故、王女殿下御自ら足をお運びに?」


 対峙して、驚いた。


 雅烙は山の民の国だと聞いている。

 血のような赤い髪を持つ神に愛された一族が治める国というのが通説で、周辺の国々との交流はほとんどない、山間の閉じられた小さな国。

 林檎姫と呼ばれる美しい姫君がいるらしいとは、聞いていた。

 ガスパルは、噂とは当てにならないものだと考えている。だからどんな化け物が現れても驚かない、そんな心づもりでいたのだが、雅烙の第一王女と思われる女性は、エスターニャでも類を見ない美貌の持ち主だった。


 頭髪は確かに赤いが、血液という言葉から連想した不気味さは欠片もない。

 真紅の髪は艶やかで燃えるような輝きを放ち、瞳は見たことのない黄金色。やや黄みがかった色の肌は滑らかで、シミ一つない。

 長旅の後で化粧っけはないが、紅をさせば極上の美女となるだろう。


「雅烙第一王女、伽玲燐と申す。書状でのやり取りなど面倒だ。直接話しに参った」


 流暢なエスターニャ語だが、女性らしさの欠片もないことに面食らう。見た目と言葉遣いのギャップが激しすぎる王女だ。


 黄金色の瞳がすっと動き、宰相の背後へ向けられた。


「エスターニャ帝国皇帝、イェルハルドだ。話なら俺が聞こう」


 黄金色の瞳が、皇帝の頭の天辺から足の先まで、品定めでもするようにゆっくり下りていく。

 腕を組んだ皇帝は、黙ってその視線を受け入れた。


 邪魔だからという理由で白銀の髪は短く刈られ、男らしい額のみならず、顔の左半分を縦に裂く傷もむき出しだ。前皇帝弑逆の際に深く傷付けられ、左目の視力は失っている。

 片方だけ残った紫の瞳は鋭い光を宿し、対峙する者全てを震え上がらせる。

 薄い唇は無駄な言葉を吐かず、言い寄る女は冷たく突き放す上に、その唇から発される低い声には屈強な戦士たちでさえ恐れおののく。


 執務中だったため上着は着ておらず、襟付きの白シャツ姿は余計に体格の良さを際立たせていた。

 襟から覗く首は太く、袖がまくり上げられた腕は王女の二倍はありそうだ。


 一通りの観察が終わった後で、王女の顔が不満げに歪む。


「私は線の細い男が好みなんだがな。あなたに抱かれたら、潰されてしまいそうだ」


 言い放った後で皇帝の眼前へ歩み寄り、紫の瞳を見上げた彼女は、にっこり笑う。


「さて。私とあなたの婚姻について、話し合おうか」


 エスターニャ帝国の皇宮中が小国の姫に振り回される日々は、こうして始まったのだった。

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