第70話 炎佳の想い
「おい」
俺がそう声を掛けると、炎佳は顔を上げた。
「あ、一色さん。やっと戻ってきたんだ」
そう言う炎佳の顔色は真白だった。
無理もない。
この一月の寒空の下だって言うのに、彼女はセーターとジーンズだけの姿だ。
「オマエ、こんな所で何をやってるんだよ」
「いやぁ、今夜は一色さんの所にでも泊めてもらおうかな、と思って」
炎佳は無理に作った笑顔でそう言った。
だがそう言いながら、唇は真っ青だ。
彼女の身体がビクッビクッと震える。
「バカ言ってんじゃねぇ。オマエなんか絶対に泊める訳ないだろ」
「なんでぇ~、こんな美少女が『家に泊めてくれ』って言ったら、普通は喜ばない?」
そう言って笑ったかと思うと、すぐに彼女は下を向いた。
「そうだよね、アタシみたいなのを家に上げたら、また何をされるか解らないもんね。危なくて泊められないか」
そうして炎佳は自分の両肩を抱いた。
「自分で判ってんじゃねーか。ホラ、家まで送っていってやるから」
だが炎佳は動こうとしなかった。
「おい、いくぞ。燈子先輩も心配している」
それでも炎佳は固まったように動かない。
「嫌だ。帰らない」
「何バカな事を言ってんだ。こんな寒い夜にその格好でココに一晩いたら死ぬぞ。ホラ、車に乗れよ」
俺は炎佳の手を掴もうとした。
すると彼女は俺の手を振り払って叫んだ。
「ヤダッ!死んだってイイ!絶対に帰らない!」
「おまえ……」
俺は呆れて彼女の前に仁王立ちになった。
「ガキじゃねーんだから、変な駄々捏ねるなよ。何が『死んだってイイ』だよ。軽々しくそんなこと言うな」
「だって、お姉がアタシにあんなに怒ったの、初めて見た。それもすごく悲しそうな顔をして……」
ズキッと俺の心も痛む。
それって俺にも責任あるよな、きっと。
「お姉に叩かれたのだって初めてかもしれない。今はお姉の顔を見られないよ」
そう言って炎佳は自分の右頬に手を当てた。
コイツの思考パターンは解らないが、コイツなりにショックを受けているのは確かだろう。
だがいつまでもこんな所でこうしている訳にも行かない。
「とりあえず燈子先輩には連絡するぞ。すごく心配してたんだ。オマエを見つけたら連絡くれって言われていたから」
俺がそう言ってスマホを取り出すと、炎佳は予想外に素早い動きで立ち上がると、俺の手を押えた
「待って、お願い、連絡しないで!」
俺は何よりも、その炎佳の手の冷たさに驚いた。
「オマエ、身体が冷え切ってるんじゃないか?」
コイツをこのままにはしておけない。
「わかった。とりあえず今すぐは連絡しない。その代わりに車に乗れ。これ以上その格好で外にいたら、おまえ本当に肺炎になるぞ。車の暖房で身体を暖めろよ」
俺は逆に炎佳の手を取ると、車の方に引っ張った。
今度は炎佳も大人しく着いて来た。
俺は炎佳を助手席に乗せ、自動車のエンジンを掛けて暖房を最強にした。
次に公園の端にある自動販売機で、量が大目のホット缶コーヒーを買う。
「ホラ」
車に戻った俺は炎佳に缶コーヒーを渡した。
「ありがと」
炎佳はすぐには缶を開けず、手を温めるように両手で持った。
俺はコーヒーを一口飲む。
「オマエってさ、燈子先輩の事、本当はどう思っているの?」
「どうって?」
「オマエが燈子先輩を好きなのか、嫌いなのか。その辺がよく解らないんだ」
炎佳はコーヒーを見つめながら答えた。
「お姉の事、大好きだよ。尊敬もしてる」
「そうなのか?」
「でもね、きっと心のどこかでいつも
「なにか、そう思う原因みたいなモノってあるのか?」
炎佳はしばらく沈黙した後、ボツリとした感じで口にした。
「お姉はアタシが欲しいモノを何でも持っていっちゃうんだよね。ウチの親だってお姉だけに期待してるし」
「燈子先輩は、『両親は妹に甘い』って言ってたぞ」
「確かに親が甘くしてるのはアタシの方だけどさ。でもそれって期待はしてないんだよね」
兄弟姉妹って、そういう葛藤があるのか?
一人っ子の俺にはよく解らないが。
「アタシが最初に付き合った彼氏ってさ、本当はお姉狙いだったんだって。後から判ったんだけどね。お姉に会うチャンスを作るために、アタシと付き合ったって……酷いと思わない?」
……それは酷いかもな……
俺は心の中で相槌を打った。
「中学だってお姉は有名人だから、後から入ったアタシはいつも比較されてさ。お姉は勉強も出来たから、アタシだってそんなに悪い成績じゃないのに『この程度か』みたいに見られて……」
俺はどこかで『姉妹は一番身近なライバル』という話を聞いた事を思い出した。
「トドメは読者モデルの事かな。アタシは秘密で何度かモデルに応募してたの。だけどいつも一次面接止まりなんだ。でもお姉は普通に街を歩いていてスカウトされて、それでモデルになれるなんて……アタシ、見た目だけはお姉に張り合えると思っていたのに」
……ことごとく『姉の壁』が目の前にあったって事か?……
俺は少しコイツに同情した。
「俺の目から見ても、オマエは外見は燈子先輩に引けは取らないと思うけどな。方向性は違うけど」
「慰めなんてしなくていいよ」
炎佳は拗ねたように言った。
「別に慰めてなんかない。今のは正直な感想だよ。だけど雰囲気とか自信とか、自分にあったスタイル作りとか、そういう点が燈子先輩とは違うのかもな」
「意味不明……どういうこと?」
「今のオマエの言動や行動なんかが、本当のオマエとは違うんじゃないかって事だよ」
「……」
「オマエの話を聞いていて、一つだけ共感した事があるよ」
「なに?」
「『有名人の妹で』って話。燈子先輩と付き合ってまだ日が浅いけど、俺も大学で色んなヤツに燈子先輩との事を聞かれてさ。中には今まで話した事もないクセにズケズケ聞いて来るバカもいやがって。正直、学食とか人目の多い所では燈子先輩と一緒にいたくない、って気持ちも少しはあった」
「……」
「まぁ俺の場合は『付き合うキッカケが話題になるような事件だった』て事もあるけどな。でもそんな中でも毅然としている燈子先輩は凄いと思うよ。しかも女の子なのに、色んな噂を立てられてるしな」
「そうなんだ、お姉たちも学校で嫌な目に合ってるんだね」
「でも理由って、それだけじゃないだろ?」
「え?」
「オマエと燈子先輩が一緒に居るところを見て感じたんだ。姉妹なのにオマエは遠慮しているように見えた。猫を被ってたしな。燈子先輩に対して、引け目を感じる何かがあるんだと思ったよ」
「……」
「俺も燈子先輩には、どうしても気後れすると言うか、一歩引いてしまうから解るんだ。この際だから、全部話しちまえよ」
炎佳はしばらく沈黙していた。
やがてポツリとした感じで口を開く。
「お姉の右のこめかみの前に、1センチくらいの傷があるのは知っている?」
「いや」
そこまで近づいて凝視しないし、燈子先輩は前髪を降ろしている。
「それ、アタシのせいなんだ」
「兄弟ゲンカでもしたのか?」
炎佳は首を左右に振った。
「中三の時、アタシ、けっこう荒れていた時期があってさ。タチの悪い連中と軽くだけど付き合いがあったんだよね」
俺は黙って聞いてたが、よくありそうな話だ。
「夏頃、やっぱりお姉とケンカして家を飛び出した時なんだ。アタシが夜の街を歩いていたらさ、そんな連中の一人に声を掛けられて。無視してたら『カッコつけんな!』って、四人くらいの男に取り囲まれちゃって。アタシを無理矢理車に乗せようとしたの」
俺はその情景を想像した。
確かにこの辺りは海が近い事もあって、夏の夜はけっこう危ない連中がたむろしている事が多い。
「ソイツラ、以前からアタシを『いつかヤッてやろう』って話していたみたいなの。アタシも抵抗したんだけど、男4人相手じゃ逃げられなくてさ」
「まさか、それで?」
さすがの俺も絶句した。
だが炎佳は首を左右に振った。
「そこをアタシを探しに来たお姉が助けてくれたの。スマホで警察に連絡しながら、アタシが拉致されないように男たちの中に飛び込んできてさ。あの時、お姉が来てくれなかったら本当に危なかった」
さっき燈子先輩が「前にも家を飛び出した事がある」と言って心配していたのは、その話だったのか。
「男の一人が乱暴にお姉を突き飛ばしたんだ。そうしたらお姉は車の角に頭をぶつけて……けっこう出血もあって。それでもお姉はアタシの事を必死に庇ってくれて」
「……」
「その傷が今も消えてないんだよ。もう一生残るみたい。だからアタシ、お姉には悪くって……」
「だったらどうして、また同じような心配させる事をするんだよ。燈子先輩、オマエを探しに出ていたんだぞ。それで俺も一緒に探しに行ってたんだ。夜に女性一人じゃ危ないからな」
それを聞いた炎佳は、ダッシュボードに顔を押し当てて泣き始めた。
「アタシも、すごく悪いと思っている。でもどうしてもお姉に連絡できなくって。もう本当に嫌われたかなと思うと怖くって……」
そのまま炎佳は声を上げて泣き始めた。
俺はしばらく、何も話さないほうがいいと思って、黙って見守っていた。
……この子、身体は大人以上だし、エキセントリックな言動には振り回されるけど、精神的にはまだ子供の部分があるんだな……
俺は少しホッとした気がした。
5分以上泣いていただろうか。
「ゴメン……一色さんには関係ない事なのに……」
鳴き声混じりで炎佳はそう言った。
「今だけは特別にいいよ。でもそんな事があったのに、よく家を飛び出したな」
炎佳が両腕に埋めた中から、顔を少しあげて俺を見る。
「だから、一色さんの所に泊めてもらえばいいかなって」
……また意味不明な事を……
「なんで俺の所ならいいんだ?女の子が男の家に泊まるって、どういう事か解ってるのか?」
「今までの事から、一色さんはそういう事をしない人だって解っているよ。明華との事を見ててもそう思う。アタシがお姉の妹である以上、絶対に手なんか出さないでしょ」
「そりゃそうだけど」
変な信頼のされ方もあったもんだ。
「明華の家とかじゃ、すぐにお姉に見つかっちゃうからね」
俺はタメ息を付きながら苦笑いした。
「オマエの曲がった性格も、歪んだ愛情も、少し理解できたよ。これで少しは気が晴れたか?」
炎佳は何も言わずの身体を起こし、首を小さく縦に振った。
「じゃあ燈子先輩に連絡するぞ。本当にすごくオマエの事を心配していたから」
俺はそう言うとスマホを開いた。
今度は炎佳も抵抗しない。
>(優)炎佳さんが見つかりました。俺の家の近くの公園にいました。無事です。
返信はすぐに来た。
>(燈子)良かった!ありがとう!タクシーで迎えに行くから、そこで待っていて
>(優)いえ、俺が今から送っていきますから。家で待っていて下さい。
そうメッセージを返す。
「燈子先輩、迎えに来るって言っていたけど、とりあえず俺が送る事にしたから」
炎佳がじっと俺を見つめていた。
「気分が落ち着いたなら帰るぞ」
再び炎佳はコクンと首を縦に振った。
彼女の家に向かう車の中。
「ねぇ、どうしてお姉と付き合っているの?」
突然、炎佳がそう聞いてきた。
「どうしてって、そりゃ燈子先輩が好きだからだよ」
「でもお姉って、絶対にHとかさせてくれないんでしょ」
「まぁ……そうだろうな。『結婚までダメ』って宣言されちゃっているし」
「そこまではアタシには解らないな。本当に好きならイイんじゃないかって思うんだけど」
「でもイマドキ、そんな女性って中々いないだろ。だから『そういう人が居てもいいんじゃないか』って思うよ。そこも含めて燈子先輩の魅力だと思っているし」
「一色さん、M体質?」
俺はタメ息をついた。
またいつもの炎佳が戻って来やがった。
「鴨倉さんも『燈子の事が一番好きだけど、でも男にはそれだけじゃダメなんだ』って言ってたよ」
「それは否定しないけど。でも燈子先輩がダメだって言っている以上、どうしようもないんだよ。恋人同士なんだから、お互いを尊重しないとな」
「ずっと我慢できるの?もしかして処女厨とか?」
「だからそういう事を軽々しく口にするなっての!オマエ、まだ女子高生だろ?」
「一色さんだって未成年で、アタシと二つしか変わらないよね?でも経験済なんでしょ?」
俺は言葉を失った。
「ふふ、処女好きなんだ」
なぜか彼女は嬉しそうに言う。
「もうオマエとはこの話題は話さない。それよりもオマエ、鴨倉先輩と交流があるのか?」
俺は不安になってその事を聞いた。
もしかしたら俺と燈子先輩の事も、この子を通じて鴨倉に漏れているかもしれない。
「そりゃお姉の元カレだしね。夏休みとかで鴨倉さんが実家に帰っている時は、お姉と一緒に会った事もあるよ。それでメルアドやSNSのIDも交換したんだ。鴨倉さんがお姉にフラれたすぐ後、アタシに連絡が来たよ」
「俺達の事、鴨倉さんに何か話したのか?」
炎佳は首を左右に振った。
「お姉の事だし、アタシから何かを言うような事じゃないから。それに向こうも『燈子とヨリを戻すために協力してくれないか?二人で会えるチャンスを作って欲しい』って頼んできただけだから」
「でもオマエ、ずいぶんと『鴨倉さん押し』だったよな?俺とじゃ嫌だけど、鴨倉さんとなら一緒に歩けるって」
「そんな前の事、言わないでよ。それに『一色さんと一緒に歩くのは嫌だ』なんて言ってないよ……」
そして恥ずかしそうに肩を
「今夜の事があるから、今は『一色さん派』になってあげるよ。だからいいでしょ、もう」
俺は苦笑した。
あくまで高飛車な娘だ。
彼女の家の前に着くと、燈子先輩は門の前で待っていた。
「炎佳!」
車から降りた炎佳を、燈子先輩は駆け寄ると抱きしめた。
「心配かけてゴメン。お姉」
「私も、叩いたりしてごめんね」
俺はそんな二人の様子を見ていて、「小さい頃からこの二人はこんな感じだったのかな」と思った。
きっと燈子先輩は炎佳に何かを求めていて、炎佳は燈子先輩に憧れと自分の理想を求めている。
これも『女子の共依存』なのかな?
燈子先輩が俺の方を見た。
「今回は本当にありがとう。優くんのお陰だよ」
「いえ、そんな事は……」
どっちかと言うと、俺の思慮が浅い行動が原因だったような気がする。
玄関口に、二人の人影が出てきた。
きっと燈子先輩の両親だろう。
ここで顔を会わせるには、心の準備が出来ていない。
「それじゃあ俺、これで失礼します」
慌ててそう言うと車に飛び乗る。
燈子先輩が何かを言ったようだが、聞えないフリをして車を発進させた。
帰りの車の中で思ったのは……
やっぱ兄弟がいるって、ちょっと羨ましいかも。
>この続きは本日(1/31)正午過ぎになります。
次が第二章の最終話です。
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