それは失われるはずの物語
月並海
本編
長期休暇を利用して自然に恵まれた長い歴史を持つ国を訪れたときの話である。
無念の死を遂げた人魚が集まってできたとされる泡の絵画やかつて栄華を極めた王が作ったとされる空中都市など、この国の主な観光名所はあらかた見に行った。
旅程はあと1日どこかを見て回る余裕があり、近くの不思議な名所を観光したいと思った。宿で食事中、大きな猫耳がチャーミングな女将に問うと世にも珍しい本を積んで作ったという塔を紹介してくれた。幸いここからは半日も馬に乗れば着くところにあると言う、早速行ってみることにした。
翌日は小春日和だった。温かい日の光を感じながら向かうと正午を過ぎた頃にそこへは到着した。
その塔は見上げても先が見えぬほど高くそびえ立っていた。その周りを多くの観光客が囲んでいる。近づいてみると石垣の代わりに文庫やらハードカバーやら辞書やら図鑑やらとにかく様々な種類の本が円筒形に積み重ねられていた。
読書家にとっては有名な建物であるらしく、人間以外にも獣人や妖精などが塔の中に入って行った。
中はどうなっているのだろう、上には登ることができるのだろうか?
雨風にさらされてきたと思われる塔の外壁は劣化が激しく中に入れる者は限られていた。塔の入り口に続く道には長蛇の列になっており、しばらくは中に入れなさそうだった。
大人しく並ぼうかと列の最後尾に向かう途中、いい匂いがして見ると露店が立っている。そういえば昼飯を食べていないことを腹の音で思い出し、露店に向かうことにした。
昼過ぎの露店は客も落ち着いて閑散としていた。私は1人前のシチューを注文した。
「お客さん1人ですか?」
店主の老爺に食事を渡されながら問われたので頷く。
「私普段はここのガイドもやってるんですよ。よければ椅子に座って食事しながら昔話でも聞いていきませんか?」
思いがけない嬉しい誘いに私は二つ返事で露店の裏に回った。
この塔は30年ほど前にこの領地の人々によって建てられました。
その頃は長らく領主だった方が亡くなって、新しい領主様になった時だったのです。新しい領主様は歳若く外国でよく学ばれた方でしたから、画期的で有意義な政策をいくつも打ち出されました。
でもただ一つだけ、愚かな政策を施行しました。我々領民に本を読むことを禁じたのです。
理由はとある遠い国で起きたクーデターだそうで、学を得た市民達が権利を独り占めする貴族達を打ち倒したそうです。それで王国は共和国になって王様は貧民になったというのが事のあらましですが、それに領主様がひどく影響を受けたのです。市民が知識を得るべきではない、とね。
私達はそりゃあ当然の如く、反対しましたよ。
本を読み空想に耽り知識を蓄え見識を広げることは私たち人間の権利だと信じていますから。正当な理由なしで権利を侵害する君主がどの世界にいるのかと激怒する者も多かったです。
領主様と市民達の戦いはどんどん苛烈になっていきました。屋敷の前に座り込み声を張り上げて抗議運動を行いました。何日も何日も、朝昼晩問わずみんなで交代で私たちの心を叫びました。
それでも領主様の考えが変わる様子はありませんでした。
暖簾に腕押しとはこういうことを言うのでしょうね。私を含めた疲れ果てた者たちで何か他に抗議する案がないかを考えました。隙間風の通る荒屋で、それはもう寒くて寒くて、壁中に本棚が敷き詰められていたらどんなにいいだろうと呟きました。
その時、私以外の者たちが顔を見合わせました。私にはなんのことだか分かりませんでしたが、みんなが口を揃えて言ったことで意味が分かりました。
「本で塔を作ろう。世界中に本で出来た珍しい塔の名を伝えて観光地にしよう。そうすれば領主様も本を燃やそうなんて馬鹿は言わないはずだ。」
それから抗議運動と並行して塔の建設が始まりました。領地中の人々が自分の大切な本を持って集まってくれました。抗議運動には参加できない女子供も老人も手伝いに来てくれました。
とにかく必死に必死に、集まった本を円状に重ねて倒れないように魔法をかけて重ねて魔法をかけてを繰り返しました。
30日もすると雲が近付いて来ました。
60日もすると雲を突き抜けていました。
90日もすると旅人が見物に来ました。
120日もすると読んだことのない新しい本を積むようになりました。
240日もすると徐々に見物客が増えて領地内外で微かな話題に上がるようになりました。
そうして、本で塔を作り始めてから360日後、あの領主様が塔を視察にいらっしゃいました。
私たちから塔の建設について話を聞き、建設についての知識に驚いておられました。大工でも魔法使いでもない者が大半でしたから本の塔を作ると決まった時に集めた本の中から必要な知識をかき集めた、と伝えた時の領主様の驚いた顔は今でも忘れられません。
視察を終えて帰る寸前、領主様は言いました。
「本や知識に善悪のレッテルを貼るのは間違っていましたね」
読書を禁ずることを撤回したのはその数日後でした。
市民達の声が領主様に届いた瞬間でした。
私たちは歓喜に震えました。もう生涯であれ以上の喜びに包まれることはないでしょう。
だからこの塔は私たち領民の誇りなのです。最近では魔法の効果が切れてきて本の劣化が激しいですから、きっともう何年後かには崩れる運命なのですが。それでもその時まで見守って語り継いでいきたいものですね。
老爺はそう言って話を終わらせた。途中から手が止まったせいでシチューは冷たくなっていた。
私は露店の先に見える本で出来た塔を見つめた。あれは単なる建築物ではない、人々の本への執念が形作ったものであると今なら言えた。
それは失われるはずの物語 月並海 @badED_
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