#4

 アルレクスはグレイと共にひっそりと〈塔〉を出て、グレイに時刻を尋ねた。

「……そろそろだな」

 アルレクスはグレイを伴い、〈塔〉の裏側へと回った。煉瓦の壁で囲まれた死角に立って待つこと数十分、足元の上水道の鉄蓋が内側から叩かれた。

 アルレクスが事前に取り決めていた符牒で鉄蓋を叩き返す。すると鉄蓋がゆっくりと持ち上がり、ベルナが顔を出した。

「ベルナ。

「おかげさまで、主様。助かりました。この御恩、一生かけてお返しいたします」

「えっ? ベルナさん? 無事だった……ってどういうことですか?」

 グレイが首を捻り、ベルナに続いてぞろぞろと出てきた騎士たちに面食らう。最後に地上に出てきた男がうんと伸びをして、アルレクスの方を向いた。シュガルだ。

「大将、俺たちも労ってくれなくちゃな。大変だったんだぜ」

 やれやれと男は肩を竦める。それに、アルレクスはもちろんだと頷いた。

「ベルナの窮地を救ってくれて、感謝する。シュガル。そして小隊の皆も」

「ベルナさんの窮地——むぐ、」

 グレイが大声を上げかけたのを、ベルナが手を伸ばして口を塞ぐ。困惑するグレイに、アルレクスは少し申し訳なさそうに弁明した。

「お前には……時間がなくて説明していなかったんだ。すまない。端的に言えば、ベルナを人質に取られて、イスルがアルヴィンの側についた、ということだ」

「ええっ? それじゃあ、レネットさんは? イスルさんと一緒に、今……」

「おてんば姫なら運ばれて行ったぞ。ファルーズ離宮に」

 シュガルの言葉に、グレイは思わず目を細めた。

「……もしかして、状況を飲み込めていないの、僕だけですか? イスルさんは、いつから?」

「最初からだ。イスルはアルヴィンのことを『陛下』と呼んだ。あの男は、自分が認めた者でなければ主人と仰ぐことはない。もちろん、私やレネットへの態度も本心からであったとは思うが……」

 だからこそ、疑いをかけ「もしも」の時のために根回しをするのは心苦しかった。ベルナがグレイと接触し、イスルがレネットを連れ回していたあの日、アルレクスは屋敷にとどまらずに、かつて預かっていたシュガルたち騎士団小隊の面々に接触した。

「アルヴィンは、もし私がフォルドラに戻ることがあれば真っ先にイスルを頼ると考えていただろう。だからこそイスルを殺さず、表向きは解任して、裏でやりとりを続けていた。イスルは教え子たちに頻繁に会いに行き、その動向を探る。誰かの元に私が身を隠しているようなことがあれば、それを把握する目的で……」

 そして、アルレクスは帰ってきた。イスルを通してそれを知れば、アルヴィンは必ず動く。アルレクスを従わせるために、レネットを狙うだろう。そしてイスルはレネットを帯同させることを望んだ。それが決め手だった。

「レネットが『罠なら嵌ってやろう』と言い出した時はさすがに無鉄砲にも程があると思ったが」

「主様、この度のこと、誠に申し訳——」

 と、ベルナが進み出てアルレクスのそばに跪こうとする。それを、シュガルが腕を掴んで押し留めた。

「やめとけやめとけ。大将はお優しいから、イスルの爺さんに情けをかけちまうかもしれねえだろ」

「それは私をみくびっているぞ、シュガル。私は情けをかけるつもりなどない」

 レネットを掠奪したのだ。相応の仕置きは覚悟してもらいたい。アルレクスの静かな怒りに、ベルナは表情を引き締める。

「どうか、身内の不始末はわたくしめに」

「血縁をあい戦わせるような外道になった覚えはない。イスルのことも、アルヴィンのことも、私が決着をつける」

 そうして、アルレクスは騎士の一人が恭しく差し出した槍を受け取った。

「誰一人欠けていないようだな。さすがだ」

「みんな久しぶりにあんたのために戦えるって張り切ってたからな」

「……お前たちが変わらず私を慕ってくれること、嬉しく思う。……だが、念を押しておくが、私は王にはならん」

「残念だが女が理由なら許す。それと、そのことなんだけどな」

 アルレクスが舞い戻り、アルヴィンを退け王として即位する。そのような期待をアルレクスは抱かれている——ということを、シュガルは周囲に示してきた。それはアルレクスの命令の外のことだ。

「俺たちがあんたを担ぎ上げてるってほうが、都合がいいだろうと思って、そうした」

「どういうことだ?」

 アルレクスは怪訝そうにシュガルに向き直った。シュガルは大仰に肩をすくめてみせ、あんたの不都合にはならねえよと続ける。

「弟にこの国任せていくんだろ? だったら、わかりやすい敵が要るじゃねえか」

 王の敵として立ちはだかる。これからアルヴィンを救ってこの国を出ていく二人を隠す、目眩しくらいにはなるだろう。王の下に集う支持者たちの結束を強めるためでもある。その意図に気づいたアルレクスは、首を振った。

「お前たちをこれ以上巻き込むつもりは——」

「おっと! そりゃないぜ、大将。今度こそ……最後まで付き合わせてくれよ」

 そう言われては弱い。アルレクスはしかし、彼らが罪人となることを容認できない。王に楯突いたとなれば、爵位は剥奪され、命も危ぶまれるだろう。それに、グレイが助け舟を出す。

「僕が〈塔〉に口利きしますよ。ベルナさんから離れてくれたらですけど!」

 いまだにベルナの腕を掴んでいるシュガルの手を、グレイはなんとか引き剥がそうとしている。ベルナはそんなグレイを冷めた目で見つめ、シュガルは呆れ顔で手を離した。

「余裕のない男は嫌われるぞ」

「余計なお世話ですよ」

 グレイが不服そうに声をあげる。彼を含めて全員の顔を見回して、アルレクスは槍を握り直した。

「ベルナが救出されたこともじきに知られるだろう。ここからは時間との勝負だ。準備はいいな。ついてこい」

 全員表情を引き締めて頷き、グレイが魔術をかけ、皆の姿を一時的に隠す。夜の街路を駆け、アルレクスは真っ直ぐ離宮へと向かった。

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