#3

 扉の向こうには下り階段があり、踊り場らしい場所から天井の低い部屋へと繋がっていた。そこへ、イゼルエルドが蝋燭を持って先導する。

「ここにある書物は全て、封書です」

 さまざまな理由で禁術や禁呪と見做された魔術書、占星術書を封書と呼ぶ。グレイが目を輝かせて書架の間を覗き込むのを、リオネルがやんわりたしなめた。イゼルエルドは「さてどこに納めたか」と呟きながらあたりを見回し、やがてリオネルの手を借りながら一冊の分厚い書物を引き出し、書見台の上に置いた。

「これは、〈宿星の書〉と呼ばれている封書の、でございます」

「写し?」

「原本は長らく行方不明になっておりました。それをアルヴィン様がどこからか見つけ出し、そしてアルファルド公王が燃やされた。それからこの写しは、ここに厳重に保管されておりました」

 アルレクスは本の表紙をじっと見つめた。青く描かれた天球に、幾重にも白い線が引かれている。星の運行を表現しているのだろう。同様に、本を観察していたグレイがその表紙に手を伸ばす。

「では、拝見しますね」

「グレイ、気をつけて……」

 この書物を読んだアルヴィンに起こった変化、それがグレイにも訪れるのではないか。そんなアルレクスの不安を払拭するように、グレイはあっさりと、しかし丁重に表紙を開いた。

「ここにあるのはただの写しなんですから、平気ですよ」

「そ、そうか」

 グレイは、読んでいるというには驚くべき速度でページる。さすがは神童と呼ばれた過去を持つだけある。時折リオネルに質問をするので、イゼルエルドが代わって説明を続けた。

「この書は、〈宿星の魔女〉と呼ばれた女が書き記したものであるため、そう呼ばれております。この書物と、〈楔〉と呼ばれる魔剣が共に封じられておりました。それは、運命を焼き尽くす、星辰のつるぎ。死の運命を覆すことも、この魔術なら可能でしょう。しかし魔剣の方も原本と共に行方不明になっており、この写しだけでは術式は完全なものとはなりません」

「剣……」

 アルレクスはおとがいに指をかける。アルヴィンがアルレクスと共に武芸の稽古をしはじめた頃、アルレクスは槍を勧めた。自分も使っている武器なら教えられるからという理由だったが、アルヴィンはやたらと剣に拘ったのを覚えている。その時は「兄さんと違う武器で相性の不利を補いたい」という言を信じていたが、別に意図があったとしたら。

「アルヴィンがその〈楔〉を有している可能性は」

「否定はできませぬな。魔術に通じている者であれば、見れば魔道具と分かるとは思いますが……陛下はすでにご自身の魔剣をお持ちです。それが〈楔〉かどうかは、丹念に調べませんと……」

 アルレクスたちはしばらく、グレイによる解読が終わるのを待った。小一時間したところで、グレイが書物を閉じる。

「流し読みですが、大体は把握できました」

「そうか、さすがだな……」

 受け答えをしていたリオネルがげっそりしている。それに労りの視線を向けながら、アルレクスはグレイに続きを促した。

「人は魂に運命と呼ぶべき歴史を有している、というのが、この魔術の前提です」

 イゼルエルドとリオネルが書物を書架に戻して厳重に封印を施す。元いた部屋に戻りながら、グレイは解説を続けた。

「それは星読みドルイドたちに共有されている、星の意思歴史と同じもの、あるいは派生物であると言えるでしょう。あの書物は、〈楔〉と呼ばれる剣と魔術的儀式によってそれを『焼却する』魔術です」

「アルヴィンは、運命を書き換えたと言っていたが……」

「言い得て妙ですね。うーん、でも、やっぱり『焼却する』が一番正確なところです。書き換えるということは、書き換える前の運命の……いわば残滓が残るってことです。この魔術の真髄は、たとえば運命とやらが記された頁を燃やして、次の頁に新しくかけるようにするというものなんです。燃えてしまった運命は、再び定義しない限りは復活しない。つまり、変わってしまった我が主の運命は、その道に戻ることは基本的にないんです」

 つまり、アルレクスの死の運命とやらは心配しなくて良いということになる。

「アルヴィンは、代償を払うと言っていたが……儀式はすでに完了しているのか?」

 アルレクスが抱いた一縷の望みを、グレイは首を振って否定した。

「儀式自体は終わっているみたいですね。今はその代償を払う期間のようです。そしてこの儀式は、術をかけた対象の血縁者の命を捧げることを求めています。人数について書かれていないのが恐ろしいですね……」

 つまり——アルヴィンはごくごく私的な理由で二人を殺めたと言っていたが——やはり父母は巻き込まれたのだ。やるせない思いに、アルレクスは奥歯を噛み締める。

「どうにか……どうにかできないのか。どうしたらアルヴィンを救える?」

「〈楔〉を破壊する、くらいでしょうか。儀式自体は終わってしまっていますから、どれほどの効力があるかはわかりません。ですが陛下への影響力は削げるのではないかと。魔道具は魔術儀式の要ですからね」

 グレイの推察を、リオネルが首肯する。

「〈楔〉……魔術儀式の要だというのなら、アルヴィンが肌身離さず持っている可能性は高いな」

 あるいは厳重に封じているか。その場合は、アルヴィンから保管場所を聞き出すしかない。

 なんとか光明が見えて、アルレクスは肩から力が抜けた。

「グレイ、感謝する。お前がいてくれてよかった」

「我が主のお力になれること以上の喜びはありません。さあもっと褒めてくれていいんですよ」

 人懐っこい犬のように喜色満面の笑みを浮かべるグレイに、アルレクスは軽い拍手を送る。

「素晴らしい成果だ。これでアルヴィンを救えるかもしれない。イゼルエルド、リオネル。ことが落ち着いたらで良い、彼の昇級を取り計らってくれ」

「は……しかし。よいものでしょうか。運命とやらに踏み込むのが、人に許されたことなのか……」

 リオネルは星読みドルイドらしい懸念を示す。

 アルヴィンを救いたいという想いは、彼らのいう、「星辰を正しき道に戻す」ことではないかもしれない。だが、とアルレクスはつぶやいた。

「この書を記した魔女が、運命とやらをどのように定義していたかは知らん。だが、運命とは人の力で切り拓いて行けるものだと……私は信じていたい。あの書物は、二度と人の目に触れぬようにしてくれ」

 グレイがもったいないと呟いてリオネルに睨まれる。彼ら真理を追求するものにとって、それが深淵に横たわるものであったとしても、秘奥にたどり着いたものが埋もれていくのは耐えられないのだろう。だが、過ぎたる力は必ず破滅をもたらすのだ。

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