#4
シュガルとレネットは訓練場の隅にあったテーブルで昼食の続きをした。具沢山のスープを頬張って、レネットは頬を緩める。シュガルはまだくつくつと笑っていた。
「貴族にびびるだけのガキかと思ったら、なかなかやるじゃねえか」
「だって悪口言ったもん。よく覚えてないけど」
「思い出さなくていい。お前がやらなかったら俺が殴ってたからな」
しかし、ずいぶん目立ってしまった。自分の軽率な行動でイスルが悪く言われるかもしれないと思うと気が重くなる。だがシュガルは気にした風もない。
「そういや、まだ質問に答えてなかったな」
「タイショーのこと、どう思ってるっていう……」
先程の態度からしても、シュガルはまだアルレクスを待っている。二人は、きっと親密な関係だったのだ。それを肯定するように、シュガルはどこか遠くを見るような目で呟いた。
「誰が公王になろうと、俺の主人は大将だけだ。俺は、あいつ以外には従わない」
「……もし、アルレクスが王になるって戻ってきたら、どうする?」
レネットは思い切って訊ねた。シュガルは目を瞬く。
「難しいことはわからねえが、それはできないと〈塔〉の連中が言っていたな」
「もし、だよ」
「もし、ねえ」
シュガルは少し考える素振りをして、パンを齧った。
「あんたは、大将に王になってもらいたいか?」
と、逆に聞き返されてしまった。レネットは即座に首を横に振る。それに、シュガルは続けて訊ねる。
「どうしてそう思う?」
「それは……その……」
フォルドラに戻ることを決めた時、アルレクスを担ごうという者が現れないか心配になったレネットは、同じような質問を投げかけたことがある。その時、アルレクスは即座にそれを否定した。
『王になっては君と一緒になれないだろう。私は君と糸でも紡いで暮らしたい』
他にもいろいろ理由を並べていたが、レネットはそれしか覚えていない。確かにアルレクスは貴公子で、レネットはただの平民の娘だ。しかも、誰が父親かもわからない。王となった人物がそんな相手を正妃にすることはできないだろう。
それは嫌だから王にはならないと、一番に言ってくれる。思い出すだけで愛しさが込み上げてきて、顔を赤くして俯いたレネットを、シュガルはやや白けた様子で見守った。レネットははっとして、慌てて弁明する。
「お、王様になっちゃったら、気軽におしゃべりできなくなるし」
「もともと気軽におしゃべりできる相手じゃねえが……」
「そ、そうだけど! ほら、僕は言ったよ。シュガルはどうなの」
そうだなあ、とシュガルは水を一口飲んでから、頬杖をついて明後日の方向に視線を投げた。
「大将は、理想に生きる男だった」
「理想……?」
レネットは小首を傾げる。そんな話は、本人から聞いたことがなかったからだ。
「国や民のために生きる。王になるべくして生まれついたのならそれが責務だと言って、とにかく何でも貪欲に学んでた。父親は厳しくて、周りは体の弱い弟のことばっかりで、俺だったら投げ出してただろうな。とにかく自分ってものを押し殺してた。それでいいって言えちまうんだ、大将は」
レネットはいつか、夢で見た幼いアルレクスのことを思い出していた。確かに、シュガルが言うような雰囲気があったような気がする。
「だから、そんなやつに好きな女ができた時は、ほっとしたんだよ。だが結局はあの有様だ。予言ひとつで、積み重ねてきたもの全部奪われて……どっちが先に裏切ったかなんて聞くまでもねえだろ? だからもし……もし、大将が理想を叶えるために戻ってきたら。……俺は、やっぱり大将の剣として戦う。戦える」
そんなことは、アルレクスは望んでいない。それを伝えるべきかレネットは迷った。だが伝えたところで、シュガルは納得するだろうか。理想のために生きていたアルレクスが、レネットという小娘ひとりのためにそれを諦めた、などと言ったら。
レネットが俯くと、シュガルは手を伸ばして、その頭を乱雑に撫でた。突然のことに、レネットはされるがままになる。
「シュガル?」
「王にできるものなら、してえよな」
「どうして?」
「大将の生き方が間違いじゃなかったって、証明したいと思っているのかもしれねえな」
レネットは言葉に詰まった。アルレクスにとって、レネットを選んだことは間違いではないと、アルレクスは自信を持って言うだろう。だがその選択は、彼に何か、少なくないものを諦めさせたのではないか。
「迷うなよ」
だが、シュガルはレネットの肩を軽く掴んで揺さぶる。
「迷うな」
そして、そう、繰り返した。
もしかしたら、シュガルは全て承知の上なのではないか。レネットは探るようにシュガルを見たが、シュガルは曖昧に笑って誤魔化すだけだった。
食事が終わると、シュガルは仕事があると戻っていった。入れ替わりにイスルが迎えにくる。
「レネット殿。ここにいたのか」
「すみません、イスルさん。シュガルと話をしていたんです」
「シュガルと?」
イスルがあたりを見回した。訓練所に人はまばらだ。レネットは声を潜める。
「シュガルは、アルルを王にできるものなら、そうしたい、と」
「そうか。……食堂での話は聞いた。殿下がお戻りになられていることを、知っているのかもしれん」
「はい。アルルと私が一緒にいること、知ってたみたい、でした」
こちらが見極めるつもりで近づいたのに、逆に見定められているようだった。イスルは腕を組んで考え込む。
「やつとその部下たちには警戒しておこう。謀叛など起こされては堪らんからな」
そうでしょうか、とレネットは疑問を呈そうとして、飲み込んだ。少し話しただけだったが、シュガルはそんなことをしそうにはないように思える。アルレクスを王にできるものならしたい、と言っていたが、彼は——アルレクスが人間らしい選択をすることに、安堵していた。
日が暮れる頃、レネットとイスルは城を出た。外に出ると、西に〈塔〉が見える。イゼルエルドに会いに行ったというアルレクスたちだが、ことが穏便に済むとは限らない。
「アルルたちは大丈夫かな……」
〈塔〉を見つめるレネットに、イスルは微笑む。
「レネット殿は、本当に主上のことを想っておられるのだな」
「えっ!? あ、ええと……その……まあ、はい……」
大好きだ。一番に愛している。だから無事でいて欲しい。胸元のネックレストップを服の上から撫でながら、レネットはイスルの後をついて歩いていく。
「……正直、皆、仲が良くて妬いちゃう、というか」
「ははは。仲が良い、か」
「アルルも、イスルさんのことすごく信頼してて、さすがは師弟だなって……」
ふと、イスルが立ち止まった。レネットも不思議に思って足を止める。イスルは厳しい顔でレネットを見つめていた。そこでレネットははじめて、人気のない裏路地に入っていることに気づいた。
「……イスルさん?」
嫌な予感がして、レネットは後ずさった。
「恨んでくれるな、レネット殿」
しまった、と思った時には、全てが遅かった。背後から近づいてきていた人物に気づかず、そのまま布で口を塞がれる。レネットは力の限り暴れたが、すぐに手指の先から力が抜けていった。布から妙な匂いがするが、それのせいだろう。
ゾラがレネットの危機を察知して姿を現し、下手人の指に噛み付く。レネットは解放されたが、すでに手足を満足に動かせずに、その場に倒れ込んだ。
(アルル……)
名前を叫べば飛んできてくれる気がした。だがそれは叶わず、レネットは意識を手放した。
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