第1章 父祖の導き

#1

 茂みを潜って庭の隅に出ると、蝋燭を片手に小柄な人影が近づいてくる。ゾラが二人の姿を見えるようにすると、その人影はフードを下ろしたアルレクスの姿を見て、小さく声を上げた。

「殿下……まさか。アルレクス殿下!」

 栗色の髪を短く切ったその女は、アルレクスに駆け寄るとさっと足元に跪こうする。それを、アルレクスは助け起こすような形で押し留めた。

「今はアルルと名乗っている。ただの旅の傭兵だ。……突然すまない、ベルナ。イスルには会えるだろうか」

「はい……はい。どうぞ中へ。ご案内いたします」

 困惑しつつも、ベルナは二人を家の中へと素早く招き入れる。日も落ちた後の庭先を誰も見ていないことを確認して、ベルナは裏口の扉を閉め、鍵をかけた。近くの棚に蝋燭皿を置いて、手慣れた動作でアルレクスの外套を引き取る。アルレクスは以前のように何も考えずにそれに応じてから、はっとした。

「……しまった、習慣で」

「ふふ、わたくしはこれが仕事でありますゆえ。さ、お連れさまも。お荷物もお預かりいたします」

「えっ、あ……ありがとうございます」

 アルレクスがしていたように、レネットが軽く外套を開くと、ベルナは無駄のない所作でそれを脱がせて腕にかけ、そのまま二人の荷物を引き取って階上の応接室へと先導していく。アルレクスがそれについていく後ろを追いながら、レネットは屋敷とも言える立派な内装をきょろきょろと物珍しそうに見ていた。

 ベルナは応接室に着くと手に持った外套や荷物を手早く片付け、蝋燭に火を灯して暖炉に火を入れ、二人にソファにかけるように言うと茶の準備を始める。その流れるような美しい手際にレネットがぽかんとしていると、アルレクスがふっと笑った。

「ベルナは相変わらず敏腕だな。彼女は本当に優秀なんだ」

 しかし、その一言にベルナの手が止まる。正確には笑い声に反応したようだった。驚いたようにアルレクスを振り返り、レネットを見てからまたアルレクスに視線を戻す。

「どうした?」

「いえ……殿下の、あっ、アルル様がそのように楽になさっている姿を見ることは少なかったものですから……」

「ここは城ではないからな」

 アルレクスの答えに、ベルナはちょっと首を傾げた。納得したような納得していないようなそんな面持ちで、しかし二人分の茶を差し入れるときには、侍女の顔に戻っていた。

「では、祖父を呼んで参ります。今しばらくお待ちを」

「その必要はない」

 ベルナが立とうとすると、応接室の入り口に老齢の男が現れた。白くなった髪はひっつめられ、後ろに流されている。深く皺の刻まれた顔は厳格な性格を連想させるが、男はアルレクスの姿を認めると、ふっと表情を緩めた。

「イスル……私を覚えているか」

 記憶の中にある姿とそう変わらない壮健さに、アルレクスはほっと胸を撫で下ろした。すると、イスルは口髭を持ち上げて笑う。

「忘れることなどありましょうか。儂はまだ耄碌もうろくしてはおりませんぞ、殿下」

「……私はもはや公子ではない。今はアルル、旅の傭兵だ」

 ベルナにそうしたようにアルレクスが訂正すると、イスルはふむと顎髭を撫でて、席についた。ベルナがイスルの茶を差し入れて、その隣に立つ。

「左様でございますか。しかし、なぜ……御身のため、この国には二度と足を踏み入れぬよう、申し上げたはず」

 イスルは一転してアルレクスを咎めるように眉根を寄せる。アルレクスは、予言によって否定された人間だ。それを、アルヴィンはともかく、周囲の人間が放っておくわけがない。

「私も、戻るつもりはなかった。だが……アルヴィンと会ったのだ」

「陛下と? どういうことですかな?」

 説明を求めるイスルに、アルレクスは頷いて続ける。

「正確には、アルヴィンが憑依した〈影〉と、だが。そこでアルヴィンは私に語ったのだ。私の死の運命を変えるため、多くのものを犠牲にしたと。父も母も巻き込まれた可能性が高い。そしてアルヴィンは、いずれ自分の命も、と」

 アルレクスは、アルヴィンがもたらした父母の死の真相について簡潔に語った。イスルは渋い顔でそれを聞いていた。

「それは、魔術による代償ですか」

「おそらく。覚えているか、禁忌だと言って父が燃やした本があっただろう」

 アルヴィンが読んでいた古い本を取り上げて、 アルヴィンをひどく叱責し、その場で燃やしたのだ。その場に居合わせた者以外は知らないことである。アルファルドとアルレクス父子、イスルは槍の修練のためにその場におり、アルヴィンが面白い本を見つけたと割って入った、その時だった。

「……あれが。なるほど。陛下ほどのお方であれば、運命を変えられるほどの深淵に至ることもできましょうな……」

 アルヴィンは賢い子供だった。アルレクスたちに見せに来る前に、内容をさらっていただろう。それからアルヴィンの魔術の腕は、賢者と呼ばれるべき者らをも黙らせるほどに磨かれていった。それがその禁忌の書物による影響なのかどうかは分からない。だが、あれが全ての始まりだったという予感がある。

「私は、あれをこのままにしてはおけない。……たった一人の弟だ」

 それは、本心からの言葉だった。弟が間違った道を歩んでいるのならそれを正してやるのが、父母がいない今、兄である自分の役目だろう。そして、弟の命が危ぶまれているのなら、それを救うのも兄の義務だ。

「……お変わりないようで、安心いたしました。それでこそ我が主……して、そちらのお嬢様は?」

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