#5

 その日の夜、アルレクスはイスル邸で再会したグレイから激しい抱擁を受けた。

我が主マイロード! わあっ、本物だ! 生きてらしたんですね、我が主マイロード! お久しぶりです! ご無事でよかった、本当にご無事で良かっ……」

「離れてくれグレイ。暑苦しいし眼鏡が当たって痛い」

 グレイは、そこそこ背が高いと目されるアルレクスよりも目線が高い。部屋の扉を少し屈んで潜る背丈の持ち主だ。抱きつかれると、彼のかけている眼鏡が頭に当たる。それを伝えると、グレイは慌てた様子で体を離し、ずれた眼鏡のつるを摘んで調整した。

「し、失礼しました。感極まりまして、つい。お変わりないようで」

「お前もな」

 三年ぶりの再会を祝う面々を見つめ、レネットは少し物寂しい思いがして、そっとアルレクスの側に寄った。それに気づいたアルレクスがふっと微笑む。

「君を仲間外れにはしない」

「そ、そんなんじゃ……」

 ただ、ここにいる者たちが皆、レネットの知らないアルレクスを知っていることが、少し羨ましいだけだ。そうやきもきしていると、グレイが眼鏡を光らせてレネットの顔を覗き込んだ。

我が主マイロード、この少年はもしや……妖精の加護を受けているのでは?」

「半分正解で半分間違っている、グレイ。彼女は女性だ。レネットという。訳あって男ものの服を着てもらっていて……近いぞ」

 アルレクスがレネットからグレイを引き剥がす。グレイは残念そうな顔をしたが、アルレクスに睨まれて肩を竦めた。

「グレイさん……も妖精が見えるんですか?」

「子供の頃はもっとはっきり見えたのですが、今ではぼんやりとしか。大人になったということなのでしょうね」

 しみじみとそう呟くグレイに、レネットは表情を曇らせた。では、いつか自分もゾラと別れる時が来るのだろうか。肩の上に乗っているゾラの頭を撫でると、ゾラは切なそうに鳴いた。

「あ、でも魔術の腕は日々成長しているので。ですから我が主マイロード、頼りにしてくださいね」

 グレイはぐっと握り拳を作って見せる。それに「そうさせてもらう」とアルレクスが答え、各々応接室の椅子へと座った。

「グレイには予言のことから話しておかねばならないな。お前は多くを知らされていなかっただろうから」

 アルレクスがそう切り出すと、グレイは居住まいを正した。アルレクスは、エステラが予言を捻じ曲げたこと、アルヴィンがアルレクスを——この部分は推測に過ぎないが——生かすためにそれを利用したこと、アルヴィンが禁忌の魔術に手を染めたことを話した。グレイの表情がみるみるうちに翳っていく。アルヴィンと共に過ごした時間があったがゆえだろう。話を聞き終わると、グレイは口元に手を当てて考え込んだ。

「……そのようなことが」

「私は、反旗を翻しに来たわけではない。公子アルレクスではなく、ひとりの兄として、アルヴィンの命を救うために来た。お前が今アルヴィンに仕えていたとしても、力を貸してくれると思って声をかけた」

「もちろんです。あ……ええと、僕はあれから、いわゆる閑職に回されてしまいまして。ですから、その、はい! 気づかれずに動けると思います。禁忌と呼ばれた書物ですよね。封書目録に載っているといいんですけど……」

 物は言いようである。たくましいな、とレネットはグレイを見やった。と、アルレクスがレネットを振り返る。

「では、レネット。イスルと共に街を歩いて、何か分かったことはあるだろうか」

「あ、うん。アルヴィンさんが今どうしているか……だったよね」

 アルレクスが着ていた従騎士服に身を包んだレネットは、男のふりをしてイスルとともに彼の知己と話をして回った。宮廷を辞したイスルは、それでも現役騎士たちの手本となっているようで、このように彼らの家を訪ねて回るのが日課なのだという。イスルがレネットを「新しく宮廷に上がる予定のある騎士見習い」として紹介すると、面白いほど簡単に宮廷の内情がつまびらかになった。

「アルヴィンさんは持病のせいで部屋に篭もりがちだけれど、それでも可能な限り公務に専念されている……とかなんとか。エステラさんもそれを助けているみたい、なんだけど」

 エステラの名前を出すことにやや抵抗のあるレネットは、ちらりとアルレクスの表情をうかがった。アルレクスは難しい顔で考え込んでいたが、そこに切なさや寂寞といった感傷は見られない。レネットの視線に気づいて、小首を傾げる。

「だが?」

「う、ううん。エステラさんのお父さん……ええっと名前は……」

「イゼルエルド殿ですな。宰相を務めておられる星読みドルイドで、〈塔〉の重役でもあります」

「そう。イズ……イゼルエルドさん。その人を中心にして、宮廷の星読みドルイドたちに派閥ができているみたいなの」

 レネットとイスルが聞き及んだ話をまとめると、こうだ。

 宮廷の星読みドルイドたちは、宰相イゼルエルドにつくか、〈星導師〉リオネルにつくかを迫られているという。

 星導師とは、星読みドルイドたちのまとめ役のようなもので、七人いるために七天位とも呼ばれる高位の星読みドルイドを指す。イゼルエルドもその一人であり、向こうを張るのがリオネルだ。

 騎士たちからは彼らが何を争っているかまでは聞き出せなかったため、そのまま〈塔〉へと足を運び、イスルの知己である星読みドルイドから話を聞くことにする。

 リオネル率いる一派は、予言にないアルヴィンの即位を以って、エステラが予言を捻じ曲げたことを察したらしい。エステラ自身が力のある星読みドルイドであることと、イゼルエルドの娘ということもあり、ことは公になっていないが、このことが宮廷、ひいては〈塔〉の星読みドルイドたちの結束に亀裂を生じさせた。

 アルヴィンの善政を評価し、彼らをこのまま王として戴くことを掲げる者と、アルレクスを呼び戻して王に据え、星辰を正しきに戻そうとする者。イゼルエルドは娘への愛情と星読みドルイドとしての矜持の間で板挟みになっており、苦しい立場だという。

「イゼルエルド殿が責任を取り、一族もろとも自決を選ぶのではないかという噂さえある……」

 イスルが声を潜め、アルレクスは顔を歪めた。アルレクスのそんな表情は珍しいと、レネットはアルレクスの膝の上で握られた拳の上にそっと自分の手を置く。

「そんなことになれば、王威も〈塔〉の権威も揺らぐ。下手をすればこの国は瓦解するぞ」

 公王と〈塔〉。二つの柱によって支えられているこの国の民は、信ずるべきものを見失ってしまう。今は事実を知るものが少ないが、どこからか漏れ出ることがあればフォルドラは混迷するだろう。

「禁忌の書物を探すのは、〈塔〉をなんとかしたあとのほうがいいかもしれませんね」

 グレイの呟きに、イスルが頷く。

「イゼルエルド殿、リオネル殿、両方説得せねばなりますまい。問題は着地点ですが……」

「それは私に任せてもらおう。そもそも私はその予言によって廃された当事者だからな。会う順番は……まずはイゼルエルドからだな」

 アルレクスがそう言うも、イスルやグレイはあまり芳しい反応をしなかった。アルレクスが姿を表すことで、大きく事態が動いてしまう可能性もある。

「慎重に、慎重にお願いします、我が主マイロード。特にイゼルエルド様はあなた様に負い目を感じておられます。……私がお供いたしましょう。姿を変える魔術をかけます。イゼルエルド様は私の魔術などすぐに見破ってしまうでしょうが、第三階梯程度の者であれば誤魔化せるはずです。そしてイゼルエルド様を伴いリオネル様に会いに行きましょう」

 グレイが元相談役らしく手際良く作戦を立てる。アルレクスとグレイが行動を詰めていく横で、イスルはレネットへと水を向けた。

「儂とレネット殿は引き続き、騎士たちと交流を」

「えっと……それは何を目的として、ですか?」

 なんとか話について行こうとするレネットが訊ねると、イスルは「おおっとすまん、先走ったな」と咳払いをしてから説明する。

「公国兵らに目立った動きはないが、リオネル殿らが何も準備していない、ということもないだろう。彼らに怪しい動きがないか調べる」

「怪しい動き……っていうのは、アルルを呼び戻して王様にしよう、っていう人たちがいるか、ということですか」

「そうだ。もっとも、そのようなものは少ないだろうが……これは主上に人望があったかという話ではない。この国では、予言に廃されるということは人として見捨てられるということなのだ」

 レネットは目を丸くした。同時に、アルヴィンがなんとかアルレクスを手元に置きたがった理由もわかる気がした。エステラの言を利用するのであれば、アルレクスを保護できるのは最高権力者である公王以外にない。そして、そんな状況でもイスルたちのようにアルレクスを暖かく迎えてくれる人たちがいることに、ほっとした。

「……彼女を危険に巻き込みたくはないのだが」

 と、グレイとの相談が一段落したアルレクスが割り込んでくる。それに、レネットは首を振って答えた。

「どこにいたって同じだよ、アルル。なら、役に立てることをしたいの」

「しかし……」

「無茶はしないから」

「その言葉に限っては信用できない。君はいつだって無茶をする。私は心臓がいくつあっても足りない」

 じとりと睨みつけられて、レネットは愛想笑いを浮かべた。

「まあ、まあ。儂もついておりますゆえ、ここはお任せくださらぬか」

 イスルが助け舟を出す。それに、アルレクスは渋々納得したようだった。イスルがいるなら大丈夫だと、確信があるのだろう。二人の間にある強固な信頼関係を、レネットは羨ましく思ってしまう。

「ベルナは留守を頼む。帰る家があるからこそ、だ」

「はい、お祖父様。では作戦会議はこのくらいにして」

 ぱん、とベルナが手を叩く。

「夕食にしましょうか」

 その言葉に、ベルナの手料理を期待するグレイが沸き立った。

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