#3

 湯に浸かること自体が久しぶりであったために長湯になってしまい、アルレクスは急足で用意された寝室に向かっていた。ベルナがレネットの世話につきっきりであることに感謝しつつ、肌触りの良い寝間着のボタンを留める。城にいた時のように何から何までベルナの世話になっていては、レネットにあらぬ誤解をされるかもしれない。ベルナとはイスルの孫娘ということで幼少期からの付き合いだが、よくて妹分であり、恋愛対象ではない。もしレネットに勘繰られたらはっきりとそう言おうと寝室の扉を開ける。

 と、何やら懐かしい匂いが鼻先を掠めた。いつも寝る時にゆっくり休めるようにと、ベルナが焚いてくれていた薬花の香だと気づき、ふっと肩から力が抜ける。こういった気遣いも変わらず細やかで、本当に故国に戻ってきたのだと実感する。髪を拭いたタオルをソファの背もたれにかけて、寝台のカーテンを引き——そこに座っていた人物を見てゆっくりと閉めた。

「……レネット?」

 髪をおろしていたので一瞬誰だと思ったが、振り返ったその顔は確かにレネットだった。帳を閉めたまま訊ねると、おずおずとレネットがそこから顔を出そうとするので慌てて中に閉じ込めて見えないようにする。

「なんだその格好は」

 レネットは薄手の白い寝間着を着せられていた。透けてこそいないがな、肩と腕の華奢さを見せる造りで、羽織がなければ風邪をひいてしまうだろう。

「こ、これはベルナさんが……アルルはこういうのが好きだって……」

 予想通りの名前が挙がり、アルレクスは頭を抱えた。自分の嗜好を把握されていたことも気恥ずかしいが、よりにもよってレネットにそれを知られたのがなんとも気まずい。だが似合っている。つやのある長い髪をおろし、頬を染めて目を伏せる少女は、儚げでまさしく深窓の美少女といった雰囲気だ。そんな風に見てしまう自分を突きつけられてしまってつらい。

「なぜ私のベッドにいる」

「ベルナさんが今日はここで休むようにって」

 アルレクスは引き返して扉を開けようとしたが、開かない。鍵でもかけられたかつっかえ棒でも挟まれたか。満面の笑みで扉を閉めるベルナが想像でき、アルレクスは諦めてレネットの元に戻った。帳を開き、レネットの体を毛布で包む。

「寒くないか?」

「う、うん。寝る前に飲むお茶、っていって、ベルナさんが用意してくれたの。ぽかぽかする」

「そうか。よし、寝なさい」

 おそらくジンジャーだろう。レネットを観察して妙なものを盛られていないか確かめた後、寝台の端に腰を下ろす。レネットはもじもじと居心地悪そうにしていたが、ややあって口を開いた。

「アルルは、私との子供……欲しい?」

 唐突な問いに、アルレクスは明後日の方向に視線を投げた。

 子供。どちらかといえば欲しいと言えるが今ではないだろう。廃嫡されたとはいえ、アルレクスの子供は間違いなく王家の血を引く人間になるわけで、それを利用しようという輩が現れないとも限らない。生まれる子供がもし赤い髪を持つとしたら尚更だ。レネットの身にも危険が及ぶかもしれない。自分と一緒にいることで十分危険に巻き込まれてはいるのだが、できれば静かに暮らしたい。そう、誰も二人のことを知らない国の片田舎でひっそりと——そんなことを考えていると、レネットに袖を引かれた。

「な、なんで悩むの?」

「いや、色々と考えてしまって……しかも子供を作る前提で……自分の節操のなさに呆れ返っているところだ」

 レネットはまだ十六になったばかりだという。それを確認すると、でも、とレネットが言い募った。

「ベルナさんは、女は十六、七で産むのが普通って」

「それはそうかもしれないが、今回ばかりはベルナが早く赤ん坊を世話したいだけだろう」

 亡母ユリアは十五でアルレクスを産んだ。王侯貴族にとってはそれが普通だ。しかしベルディーシュ村のモニカは、マルスランの年齢から逆算すれば十八、九で出産している。それが遅いか早いかは分からないが、それくらいの余裕を持ってもいいのではないかとアルレクスは思う。

 それに、とアルレクスは続けた。

「赤ん坊を取り上げたことのある君なら分かるだろう? 妊娠はともかく、出産は命懸けだ。もし——」

 もし、レネットを喪うようなことがあれば。

 アルレクスは暗い考えを振り払うように首を振る。

「わかってくれ。君を大事にしたい」

 手を伸ばしてレネットの髪を一房取り、そっと口づける。レネットはぱっと目を伏せて、小さく頷いた。

「あ……ありがと」

 どうやら納得してもらえたようだとほっと胸を撫で下ろし、アルレクスはレネットの頭を撫でると、立ち上がる。それに、レネットは慌ててアルレクスの服の袖を握り込んだ。

「どこ行くの?」

「向こうで寝るつもりなんだが……」

 アルレクスがソファを指差すのを見て、レネットは慌ててぐいぐいと袖を引く。

「私がそっちでいいよ! 今退くから」

「そんな薄着に毛布一枚では風邪をひく。ベッドを使いなさい」

「じゃ、じゃあ一緒に寝て」

 思いがけぬ提案に、アルレクスは咄嗟に二の句が告げずにレネットを見つめた。レネットは羞恥に頬を染めつつも、じっとアルレクスを見上げていた。

「何もしないから!」

「いや、それは私の台詞だと思うんだが……?」

 結局二人で寝ることになり、アルレクスは身を横たえると羽毛布団ドゥーヴェイを引き上げる。寝台の端で縮こまるレネットを手招きすると、レネットは遠慮がちに懐に潜り込んできた。

「間を空けては冷えるからな」

「う、うん。……アルル、いい匂いがする。なんかずるい……」

「ずるいと言われてもな」

 胸元に顔を埋めたレネットがぼやく。それに苦笑を返しながら、アルレクスはレネットの髪を優しく指で梳いた。ベルナの手入れは完璧で、一晩でさらさらと指通りのいい髪になるのだなと感心していると、やがてレネットの静かな寝息が聞こえてくる。

「おやすみ、レネット」

 いつも、アルレクスはレネットが眠るのを確認してからそう声をかける。今夜もそれがかなうことに感謝しながら、アルレクスもまた目を閉じた。

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