#4
気がつくと、夢から覚めていた。レネットは宿の寝台の上で目覚め、見失ったと思っていたゾラが枕元で丸くなって眠っている。先ほどまで繋いでいた手の中に体温はなく、レネットは身を起こして辺りを見回した。
「アルル?」
部屋の中にすら、アルレクスの姿が見当たらない。呼びかけてみたが当然返事はない。まさか置いていかれたかと荷物を確認するが、帰ってくるつもりではいるのか、鞄はそのまま残されていた。そのことに胸を撫で下ろす。
まあ、アルレクスの性格であれば、旅に帯同させることを断念したとしても、街中に黙って一人置き去りにするということはないだろう。そう思い直して、レネットは身支度を整える。時刻は昼過ぎで、ずいぶん遅い目覚めだ。
それにしても不思議な夢を見た。
(あれは、アルルの過去の記憶なのかな……)
夢というものは不可思議である。だが、他人の過去を覗くことがあるとは聞いたことがない。いつも見ている夢よりもずっと鮮明であったし、転んだ時も痛かった。つっついた頬の感触を思い出し、レネットはふと自分の頬をむにむにと触る。あのアルレクスは、夢の中の人物とは思えないほど自然に受け答えをしていた。
妖精の力だとしても、もし、夢を介して記憶を覗くのではなく、過去に飛んだりしてしまっていたら。
少し怖くなって、レネットは小さく身震いした。
(アルル、早く帰ってこないかな)
しかし小一時間しても、アルレクスは戻ってこなかった。流石に待ちくたびれたのと空腹とで、レネットはアルレクスを探しに行こうと立ち上がる。アルレクスから習った内容を思い出し、紙片に伝言を書き残して、枕の上に置く。ゾラを起こして外套を羽織り、レネットは宿を出た。
ミュールの街はアレストリア国内で三番目に大きい街だという。国の北方にあり、ログ川の恩恵を受ける。田畑が肥えているので街の周辺の耕作地で採れる新鮮な野菜と、ログ川で釣れる川魚が主に食卓に並ぶ。少し裕福になると家畜の肉を食べられるらしいが、鮮度の保全の難しさも相まって庶民の食卓に並ぶことは少ない。
それでも市場に並ぶ食材の数々は鮮やかで見応えがある。村に留まっていては一生見ることのない光景に、レネットはうきうきとして屋台を覗き回った。
「ねえ、君」
と、突然後ろから声かけられて、レネットは振り返った。人見知りをするゾラがフードの奥に逃げ込む。
そこにいたのは、すらりとした体躯の青年だった。長い髪を雑にひとつに括り、身綺麗ではあるがどこか軽薄そうな雰囲気をまとっている。
「急に呼び止めてごめん。君、今暇かな。俺と少しお茶でもしながら話を……」
これは、もしや、ナンパだろうか?
レネットはまじまじと青年を見た。村にいたときはこんなふうにちやほやされたことはなかったので、少しどぎまぎしてしまう。
(だめよレネット。今、私は恋人がいる身なの。そう、恋人がね!)
ふふんと得意げになって、レネットはそれを告げようと口を開く。
「ごめんなさい、私には——うえっ?」
言い終わらないうちに、ぐっと強く肩を引かれる。そのままたたらを踏み、ひっくり返ると思った瞬間、知っている匂いに包まれた。
「レネット」
低く落ち着いた声。いや、今はどこか焦りが滲む。アルレクスがレネットの肩を引いて、そのまま後ろから抱きしめるようにしている。走ってきたのか、浅い吐息が耳にかかってレネットはぎゅっと身を縮こまらせた。顔が熱い。
「……私の連れに何か、用が?」
レネットからは、アルレクスの表情は見えない。だが青年はひくっと頬を引き攣らせると、いえ何も、とか細く呟いて首を横に振った。
「ご、ごめんね。やましいことに誘うつもりじゃなかったんだけど。それじゃあ俺はこれで……」
軽く手を振って去る青年に、うっかりつられて手を振りかえしそうになって、その手をぎゅっと握り込まれる。見上げると、眉根を寄せて難しい顔をしたアルレクスと目が合った。
「心配した」
「そ、それは私も……だから、書き置きを」
入れ違いになって、「市場に行く」と書いた書き置きを読んで、探しにきてくれたのだろう。
レネットの手を握り込んだ指を動かして、アルレクスはレネットの指に指を絡める。まさか往来でそんなことをされると思わなかったため、レネットは「に゛っ」と素っ頓狂な声を上げた。
「ア、アルル! ここ、外」
「手を繋ぐくらい、当然だろう」
「そ、そう……かな? いや! 待って! 離れて! 普通こんなくっついたりしないもん!」
端から見れば恋人同士が睦み合っている絵、なのだろうが、いざそんなふうに認識されたり距離を縮められると、レネットはひどく恥ずかしくなる。アルレクスには子供扱いされたくないのに、いざ保護者ではなく恋人として扱われると、顔から火が出るかと思うくらいだ。腕の中で離れようと暴れると、思いの外ぱっと解放されて、レネットは前につんのめった。
「……アルル、私をからかってる?」
一連のやりとりを見ていた周囲から送られる視線が生暖かい。じとりとアルレクスを睨みつけると、アルレクスはかすかに口の端を持ち上げて笑って、「少し」と答えた。レネットは慌てて、アルレクスのフードを掴むとぐいっと引き下げた。そんな表情は卑怯だ。いつも仏頂面のくせに、レネットには優しい顔をする。アルレクスはそっとレネットの手を取って、「すまない」と告げた。
「私としたことが、大人気なくも妬いた」
「そ、そういうとこ……!」
素直に真正面から言ってくるところが、アルレクスらしいといえばらしい。だが、レネットの積極的な誘いを「好みじゃない」などといって
「渡したいものがある。帰ろう」
頬を膨らませていたレネットだが、アルレクスにそう言われて目を瞬く。
「渡したいもの? なに?」
アルレクスはレネットの問いに微笑むだけで、手を引いた。
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