#5

 宿の部屋に戻ると、アルレクスはレネットを椅子に座らせた。まるで貴族の令嬢にするような丁寧なエスコートで、レネットはそわそわしてしまう。アルレクスがレネットの前に膝をついて、懐から小さな木箱を取り出し、それを差し出した。

「受け取ってほしい。店員に顔を覚えられては困るから、あまり高価なものではないのだが」

「あ、ありがとう。……開けても、いい?」

 これを買いに行っていたということだろうか。木箱には繊細な蔓模様が刻まれている。あまり高価なものではないというが、十分高そうに見える。すべすべとした木箱の感触を指先で確かめた後、おそるおそる蓋を開けた。

 そこには、白い小花をあしらったネックレスが収められていた。その花に見覚えがあり、レネットは小さく声を上げる。

「セラスチアの花に似ているものを探した」

「セラスチアの花……?」

「故郷に咲く花だ。……あのあと私も少し寝入ってしまったのだが、不思議な夢を見てな。幼い頃に、セラスチアの花畑で君と会った夢を」

 少年のアルレクスと約束を交わした、あの花畑だ。レネットが驚いていると、アルレクスは苦笑する。

「たかが夢だと言うかもしれないが……それでも私は、嬉しかった。もう、交わした言葉のほとんども覚えていないが……昔から、私と君は不思議な縁で結ばれていた、そんなふうに考えたくなった」

 箱を持っている手ごと、優しい温もりに包まれる。それに、レネットは口を引き結んでから、意を決して訊ねた。

「……エステラ、さんのことは?」

 アルレクスが愛した女。そして、アルレクスに深い傷を残した女でもある。

「つらくない?」

 アルレクスはふっと微笑んで、首を横に振る。

「つらくないと言えば嘘になるが……今は君がいる。代わりという意味ではない。ただ……互いに寄り添える存在として。私の魔女は、君だけだ」

 アルレクスは、優しい。いつも、欲しい言葉をくれる。じわりと胸に広がるものに、レネットは俯いた。その拍子にぽろりと涙が溢れ、アルレクスが慌てた声を出した。

「レネット?」

「ちが……違うの。嬉しいの。私……」

 アルレクスの言動に一喜一憂して、その心を独り占めしたくて、彼が愛したという人のことが気になってしまって。そんな身勝手な愛を、アルレクスは受け入れてくれる。そして、彼もまたレネットを必要としてくれている。

 レネットは箱の蓋をそっと閉じて、目の前のアルレクスに抱きついた。

「私、あなたのことが大好き。一番に愛してる。離れていったりなんかしないから」

「私もだ。だが、心配はしていない。おまじないはずっと有効なんだろう?」

 レネットの頭を優しく撫でて、アルレクスは小さく笑う。それに、レネットは何度も頷いた。

「……レネット、それを、つけてやりたいんだが。いいだろうか」

「うん」

 体を離し、レネットは箱をアルレクスに手渡した。アルレクスは壊物を扱うようにそっとネックレスを手に取って、レネットの首に手を回す。首の後ろでぱちんと軽い音がして、胸元にトップがそっと降ろされた。ひんやりとした金属の感触とは裏腹に、レネットの胸には暖かな火が灯る。

「似合っている」

「ありがとう……」

 アルレクスの指が、頬を伝う涙を拭う。レネットが笑ってみせると、アルレクスはほっと息をついた。レネットの隣に腰掛けて、くしゃりと自分の頭をかく。

「存外に気恥ずかしい、ものだな」

「そんなふうには見えないけど」

 アルレクスの言動はとにもかくにも流麗でそつがない。アルレクスが大人気ない言動をしてみせたのは、市場でレネットを抱き寄せた時くらいだ。

「私とて、君の前では、余裕があるように見せていたいだけだ。心配していないとは言ったがな、君が他の若い男に取られるかもしれないと本気で焦ったりもする」

「そ、そうなんだ」

 年上には年上の悩みがあるらしい。それも、なんとも可愛らしいものではないか。にやにやと口元が緩むのを抑えられず、レネットはそっぽを向いた。

「なんだ?」

「う、ううん。アルル、かわいいなって思っただけ」

「私はどちらかというと、格好良いと頼られたいのだが……」

「そ、そういうのもかわいい」

「む」

 ふっと我慢ができずに小さく笑うと、アルレクスもまた微笑む。自然と手を重ねて、繋いで、レネットはアルレクスの肩に寄り掛かるようにして身を寄せた。

 こうして優しく笑い合える日々が、この先もずっと続きますように。

 かつて誘いの魔女と呼ばれた少女は、そう、あたらしいおまじないをかけた。

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