#3
ロイクは解放され、アルヴィンはアルレクスの手を引いて村を出ると街道を歩いていく。彼が口ずさむのは、幼い頃にアルレクスが歌ってやっていた子守唄だ。幼いアルヴィンは毎晩のようにアルレクスの寝台に入ってくると、それをせがんだ。それを聞いて眠らないと怖い夢を見るから、と。
(……悪夢のようだ)
手を引かれて歩きながら、アルレクスはそれを振り解いて弟を引き倒す隙を狙っていた。しかし、本物のアルヴィンの体であれば組み伏せることは容易であるだろうが、今は別の、それなりに鍛えられた体だ。武術が苦手なアルヴィンが十全に操れるとは思えないが、先ほどロイクを引き倒した時の身のこなしはアルヴィンが出遅れたほどだ。油断ならない。それに仕掛けるならば村が見えなくなる距離でなければ、アルヴィンは先程の宣言通りに村を燃やすだろう。
ちらちらと後ろを伺っていると、アルヴィンが横目で振り返った。
「あの村、そんなに気になる? 仲良さそうにしてたもんね。忘れ物なら後で取りに行かせるよ」
アルレクスは身ひとつで連れてこられている。そのままどこに向かうのかと思えば、街道を逸れ、小高い丘の上の観測所に連れ込まれた。
星を観るための天文台だろう。しかしずいぶん使われていないのか、少し埃っぽい。月の光が差し込むホールには、旅装の男たちが跪いて二人を待っていた。
「今日はもう遅いから、明日出発しようね。大丈夫、竜車を呼んであるからフォルドラまですぐだよ」
今しかない。狙うは首筋に見える呪印だ。これさえどうにかすれば、アルヴィンは依代を操れなくなる。アルレクスは隠し持っていたナイフを手にアルヴィンに掴みかかり——そして、後ろから強い衝撃を受けて倒れ込んだ。
「ユリウス! 兄さんに乱暴はしないでと言ったじゃないか」
「申し訳ありませぬ。しかし、ナイフを隠し持っていました。御身を御守りするためです」
頭上から会話が聞こえるが、水の中にいるように音がはっきりとしない。視界が明滅している。全く気配がなかったが、どうやら後ろに一人控えていたらしい。
(く、そ……)
感覚の鈍い指先を動かそうとするが、床をわずかに擦っただけだった。念のためです、と手早く拘束され、完全に身動きが取れなくなる。
「兄さんをこれ以上傷つけたら許さないからね。さ、僕と兄さんを二人にしてくれ」
「しかし……」
「これは命令だ。いいね。朝まで外を見張っていて」
アルヴィンの言葉に、男たちは渋々と闇に紛れて消える。アルヴィンは荷物から水筒を取り出すと、床に転がされたアルレクスまで近づき、その頭に水をかけた。弟の行動が読めずに困惑するアルレクスだったが、黒い染め色が床に流れ出したのを見て理解する。
「うん、これでいい」
血のように鮮やかな赤。弟曰く、自分たち兄弟が唯一持つ「同じもの」。アルヴィンは愛しそうにアルレクスの赤い髪を指で梳く。
「母上は、僕に緑色の瞳をくれなかった」
そしてぽつりと、声を落としてそう呟いた。
「父上は、兄さんに母上の面影を見ていた。僕は父上に、兄さんは母上に似ていたから」
だから、とアルヴィンは笑う。
「二人とも殺したんだ。母上は毒で、父上は魔術で」
「……アルヴィン?」
アルヴィンの言っていることが信じられず、アルレクスは混乱する。
母は、産後の病でアルヴィンが七つの時に死んだ。しかしその死因が、実はアルヴィンが盛った毒だったという。しかも、自分の瞳が緑色ではないからという、そんな理由で。
アルヴィンは幼い頃から魔術に才覚を示していた。七つの時にはすでに有名な薬草の調合比なら
加えて、父の死もアルヴィンが企てたという。なぜ、と言葉が漏れた。
なぜ。どうして。アルレクスが三年前からアルヴィンに問いかける言葉は、そればかりだ。
「だって、兄さんと二人だけの家族になりたかったから」
その、
「エステラ、は」
「ああ、あの女? 彼女が僕に嘘の予言を伝えたとき、利用できると思ったんだ。彼女は僕を王位につけたかったみたいでね。正直、兄さんにあんなに愛されていたのにずいぶん恩知らずで煩わしかったから、殺してやりたかったんだけど。公国法では禁忌以外に
アルヴィンの口からすらすらと紡がれる真実は、まさしく開けてはいけない呪悪の
悪意なき悪意。正気という狂気。純粋で、決して穢れることのない存在だと思っていた弟の
(ああ、悪夢だ——)
これが夢ならば、どれほど良いか。しかしどう足掻いても現実なのだ。
「大丈夫、兄さんに手出しはさせないよ。さっきはちょっと、想定外だったというか。ごめんね。兄さんの部屋はそのままにしてあるから、これからそこでゆっくり過ごして。最近公務が忙しいけど、ちゃんと兄さんとおしゃべりできる時間を作るよ。一緒に本を読んで、感想を語り合って、夜は星を数えて。ふふ、楽しみだなあ。ようやく兄さんを独り占めできるんだね」
「……アルヴィン」
「なに? 兄さん」
「いつから……いつから、お前は」
狂っていたんだ。
アルレクスは奥歯を噛んだ。ひとつ、遠い記憶に、心当たりがあった。アルヴィンが六つの頃、はじめて手にした魔術書が父の手によってその場で焼かれ、アルヴィンはひどく叱責された。禁忌に触れるなと。
「星を、たくさんの色を視たんだ」
アルヴィンは、笑みを消して告げる。
「僕は、その未来を受け入れられなかった」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます