#5

 レネットは"魔女"から一転して、"聖女"になった。様子をうかがっていた村人たちも、ことの顛末を聞くと一様に安堵し、レネットを讃えた。それを一番複雑に思っていたのはレネットだろうが、態度には出さず、ただ疲れているからと、ノーラ婆にモニカを任せると身を清めて着替え、さっさと自分の部屋に引っ込んだ。

「レネット、起きているか?」

 暖かなスープを片手に、アルレクスはレネットの部屋の扉を叩く。小さな返事があったので、アルレクスは部屋の中に入った。

「スープをもらってきた。皆総出で大宴会だ」

 トレイの上にはスープのほかに、あれもこれもと渡されたものが積み上がっている。今まで邪険にしていた分、申し訳なさも手伝っての大盤振る舞いということらしい。

 ソファにぐったり横たわっていたレネットがゆっくりと体を起こした。ヴェールは汚れてしまったので、代わりに目隠しをしている。食べ物の匂いにちょっと首を傾げてから、小さく曖昧な笑みを浮かべた。

「だめだな。素直に喜べないの」

「それでいい。彼らの態度を許す許さないは君が決めることだ」

 レネットはアルレクスからスープを受け取る。一口飲んでほっと息をついた後、首を横に振る。

「そういうことじゃないの。そういうことでもあるけど……」

 アルレクスは近くに椅子を引いて座ると、先を促した。

「では、どういう意味だ?」

「アルルが村に残っている意味、なくなっちゃったでしょう」

 アルレクスは口を言葉を飲み込んだ。それは、そうだ。アルレクスがノーラ婆の頼み事を聞いたのは、レネットが心配だったからだ。年端もいかない少女が、もう夜の闇や賊に怯えることはない。村人たちはレネットを少しずつ受け入れている。以前のように外を歩き回るような生活は難しいかもしれないが、村の中で暮らせるというだけで大きな進歩だ。

 レネットはスープを脇のテーブルに置くと、立ち上がってよろよろと歩き出した。

「アルル、」

 名前を呼ばれて立ち上がる。レネットはその気配を頼りにアルレクスのそばに歩み寄ると、そっと抱きついた。

「どこにもいかないで。そばにいて欲しいの」

「レネット……」

「何度でも言うけど、あなたが好きなの。妖精の呪いは関係ないよ。……アルルは私のこと好き?」

 じわりと温もりが伝わってくる。それが存外にも心地よく、アルレクスは目を閉じた。

「……わからない。尊敬はしている。君は立派だった」

 今回のレネットの活躍はめざましいものがあった。そうやって答えをはぐらかして逃げるアルレクスを、レネットは少しきつく抱きしめる。

「じゃあ、ご褒美だと思って。私の願いを叶えてよ」

「それは……話しただろう。私は、ひとつところに長く留まれない。旅先も決まっている」

「じゃあ、着いていくから」

「無茶を言うな」

 旅は、思っている以上に大変だ。食事を十分にできない日もあるし、山越えも楽ではない。底に穴の空いた船から水を掻き出して沈まないようにする、例えるならばそんな日々を送ることになる。そんな生き方に、これから先いろんな未来が用意されているレネットを巻き込めない。

「お願い、アルル」

「レネット——、?」

 宥めるように、レネットの肩に手を置く。その時、ふと視線を感じて振り返ると、薄く開いた扉からマルスランとロイクがこちらの様子を覗いていた。

(今ですよ、今)

(ちゅーするのかな? ねえ、する?)

 アルレクスは目を閉じて、見なかったことにした。レネットをやんわりと引き剥がすと、ソファに座らせる。

「明日、ここを出ていく。君は村に残れ」

 レネットが固まった。どうして、と、声に落胆が滲む。

「自分のことは自分で決めたいの」

「分かっている。だが、危険すぎる。私と共にいては、面倒ごとに巻き込まれるぞ」

 これまでの旅路でも、追っ手らしき者たちと交戦したことがあった。彼らはいずれも雇い主の名を口にしなかったが、フォルドラ訛りの言葉を喋った。アルレクスが生きている限り、どこまでも追ってくるだろう。

「私があなたを守るよ。妖精たちだって着いていくもの。魔術も勉強して、役に立てるようにする。ほら、私、魔女だから」

 まさか「守る」などと言われるとは思わず、アルレクスは口を噤んだ。そして、自然と笑みが溢れた。

「不思議だな」

「何が?」

「君の言葉には、何か力がある。ほっとしてしまうんだ」

 笑う、ということを、アルレクスはあまりしない。アルヴィンやエステラといた時や、彼らとのことを思い起こす時くらいで、しかし、レネットといると、どこか気が緩むのだ。

「だから、やはり、連れていけない。そんな気の抜けた状態では、君を守れない」

 レネットは押し黙った。それから少し俯いて、アルレクスの袖を軽く引っ張った。

「一日。明日一日、一緒にいて」

 少し悩んだが、それくらいなら、とアルレクスは了承した。

「食事を取ったら、今日はもう休みなさい。疲れているだろう」

「寝ている間に、出て行っちゃったりしない?」

「行かない。明日一日、共に過ごそう」

 そう、とレネットは呟き、手を離した。いい子だと頭を撫でてやると、少しむくれる。子供扱いが嫌なのだろう。

「仕方がないな」

 白く柔らかな頬を撫でて、その額に口づけを落とす。声を上げかけたマルスランの口を、ロイクが咄嗟に塞いだ。

「おやすみ、レネット」

「……おやすみ、アルル」

 軽く挨拶を交わして、部屋を出る。マルスランとロイクが廊下に立ってアルレクスを見上げ、声を潜めた。

「意気地なし」

「ちゅーした! ちゅーした……!」

「お前たちも家に帰って早く寝なさい」

 やれやれと二人の背中を押して、一緒に家を出る。しかし広場ではまだ宴が続いていて、アルレクスたちはあれよあれよと言う間にその輪の中に巻き込まれていった。

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