#3
事情を聞かされたレネットは驚いていた。アルレクスはレネットを抱きかかえると、来た道を全速力で引き返す。
「臨月まで一ヶ月もあるのに」
風で飛ばされないようにヴェールを押さえながら、レネットが呟く。
「早産だろう。私の弟も早かった」
「分かってるけど、なんで今!?」
予定ではノーラ婆の怪我も癒える頃に準備をするはずだったのだろう。あくまでレネットは助手なので、村人から拒否されてもノーラ婆がいればなんとかなる。しかし今、赤ん坊を取り上げるにはレネットが必要不可欠だ。
「君は医学の知識があるのか」
「難しいことはよくわかんないけど、お産は三回手伝った!」
ノーラ婆を見る限り、体系的な解剖医学ではなく、薬学が専門なのだろう。だが実践的経験の有無は大きい。
村の広場の近くにあるモニカの家まで真っ直ぐ向かうと、人だかりができていた。ノーラ婆がロイクとマルスランに両脇を支えられながら、家の中に入っていくところだった。アルレクスがレネットを地面に下ろすと、レネットが声を張り上げる。
「おばあちゃん!」
その場にいた全員が振り返り、村人たちの畏怖の視線を受けて、レネットはうっと身をこわばらせた。ヴェールの裾をきゅっと摘む。
「レネット、来たね。私はこの通りだから、今回は私が助手だ。お前が取り上げるんだよ」
「ノーラ婆、それには反対だ。呪われた娘に触れられたら、赤ん坊まで呪われてしまうんじゃないのか」
村人たちが難色を示す。それにレネットが俯くのを見て、アルレクスはその手を取ってモニカの家の中に入ろうと足を進めた。村人の一人がアルレクスの肩を掴んで押し留めようとしたが、アルレクスはそれを振り払う。
「な、何を勝手な! 話を聞いていたのか?」
「聞いていた。自分たちの感情と赤ん坊の命、どちらが大事だ?」
早産は母体にも危険がある。陣痛が始まる前に破水があれば、母体への負担は更に高まる。アルレクスの母親がアルヴィンを産んだことで身を持ち崩したように、後遺症が残ることもあるのだ。
「レネット、できるか?」
握った手がかすかに震えていることに気づき、アルレクスは努めて優しく語りかけた。それに、レネットは小さく頷き、手を握り返す。
「やってみる」
そろそろと、自然に人の波が引いた。空いた道を、アルレクスとレネット、ノーラ婆たちが進む。モニカは寝室で寝台の上に寝かされており、ジョシュアが今にも倒れそうな顔でその側についていた。
「レネット?」
レネットを見たジョシュアの声に、陣痛で顔を歪めたモニカがうっすらと目を開いた。その表情には、嫌悪の感情がありありと見て取れる。
「近づか……ないで」
「それは無理。あなた一人で赤ちゃんは産めないでしょう?」
モニカがここまでレネットを嫌悪する理由は、アルレクスにはわからない。だが、レネットはそれを考慮しないと決めたようだ。
レネットはその場にいる全員に清潔な服に着替えることと手を清めることを指示し、自分も部屋の箪笥を勝手に開けて適当な服を引っ張り出すと、その場で脱ぎ出す。アルレクスは慌てて外套を脱いでレネットの姿を隠した。
「レネット、そういうことは驚くから一言言ってくれ」
「そんなこと言ってる場合じゃないの! ジョシュアさんは手を洗ったらノーラ婆と一緒に消毒液を作って。ロイク、鎮痛剤を用意しておいて。早産だから長丁場にはならないかもしれないけど、念のため。マルは——」
「きれいな布でしょ? まだまだ持ってくるね」
マルスランが机の上にテーブルクロスから端切れまで布の山を作る。その時、痛い、とモニカが呻いた。男たちは色めきたったが、ノーラ婆とレネットは特に気にした風もない。
「この程度で狼狽えない! お産は痛いものなの。血もいっぱい出るんだからね。お湯の準備はできてる?」
「ふ、風呂場に」
ジョシュアがしどろもどろに応えると、レネットは腰紐を縛り腕まくりをして、アルレクスを振り返った。
「アルルも手を洗って、お湯をそこの桶に汲んできて。それから、いつでも持ってこられるようにしておいて。浴槽ひとつ分じゃ足りないかもしれないから、他の家からも借りてくるの。みんなわかってると思うからお湯の準備はしてるはず。力仕事だからお願いね」
アルレクスは外套をたたみ、頷いた。そばを離れる時、「大丈夫、できる」と自分に言い聞かせるレネットの声が聞こえた。
「任せておいて、大丈夫そうだねえ」
ノーラ婆がのんびりと呟く。そのおかげで、なんとかましに動けそうだった。
一杯目の湯を運び、アルレクスが応援を求めて家の外に出ると、村人たちが布や、桶に湯を入れて持ち寄ってくるのが見えた。アルレクスを見ると皆気まずそうに視線を逸らすが、頼んだ、と口々に声をかけられる。今のレネットが聞いたら、きっと勇気づけられることだろう。
この様子なら、赤ん坊が無事に生まれてくれば、レネットはきちんと村に受け入れてもらえるかもしれない。そうすれば、アルレクスの心配事はなくなる。
ふと胸に去来した感情を、アルレクスは頭を振って打ち消す。今は、出産を乗り越えることに集中しなければならない。
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