#2

「"あさがえり"だ」

 寝室から出てきたアルレクスを指差して、マルスランはあっと声をあげる。アルレクスは面食らったが、確かに朝早く帰ってきたので否定できない。ロイクがじっとりとアルレクスを見つめている。誤解されていると察したアルレクスは、それでも首を横に振った。

「やましいことは一切ない。マルスラン、そんな言葉をどこで覚えてきた」

 時刻は昼過ぎ。アルレクスが仮眠から目覚めると、居間ではノーラ婆とロイクとマルスランが大机を囲んで薬草を擦っていた。おそらくノーラ婆の手伝いに呼ばれたのだろう。

 アルレクスの疑問にはロイクが答えた。

「村中で噂になってます。"魔女"に会いに行って朝帰ってきたって」

 アルレクスは思わず頭を抱えたくなった。さすがに太陽の光のもとで身を隠して密かに帰宅できるほどアルレクスは隠密行動に秀でているわけではない。早起きな村人に見つかったのだろう。小さな村ゆえに噂の足は早く、マルスランが余計な言葉を覚えることになったということだ。

「これが普通の娘相手なら村から追い出されてましたけど、"魔女"が相手なので逆に心配されてますよ、アルルさん」

「何?」

 アルレクスがどういうことだと聞き返すと、ばたばたと慌ただしい足音が聞こえた後、玄関の扉が勢いよく開け放たれ、ジョシュアが飛び込んできた。

「アルル! あんた大丈夫か? 気付け薬持ってきたぞ!」

「何に使うんだ、そんなもの」

 大方予想はつくが、念のため聞いておく。

「何って……皆が、あんたが魔女に魅入られたっていうから持ってきたんだ」

 マルスランやロイクが先ほどから擦っているのももしかして気付け薬なのかと視線をやると、ロイクは「これは捻挫用の塗り薬にするんです」と答えた。その答えに安心しつつ、アルレクスは小さく息を吐く。

「全て誤解だ。私は正気だし、彼女も魔女じゃない」

 そもそも妖精の呪いを受けて気付け薬でどうにかなるものなのか。そういえば、レネットが呪われた時に最初にその影響を受けた者たちがいるはずだ。彼らはどうしたのだろう、とアルレクスはふと疑問に思った。まさか気付け薬でどうにかしたのだろうか。

 ジョシュアはアルレクスの言葉を聞いて、探るようにアルレクスを見た。レネットを庇うので、やはり呪いのせいではないかと疑っているらしい。

「ジョシュア。レネットは、ごく普通の娘だろう。それは、私などよりも皆の方がよく分かっていることじゃないのか。そんな風に邪険にされては傷つくし、悲しむだろう」

「それは……そうだが」

「かわいい孫娘にあらぬ疑いをかけられているノーラ殿の気持ちにもなれ」

 ノーラ婆の名前を出すと、ジョシュアはうっと言葉を詰まらせた。失礼しました、と小さく謝罪する。

「気にしてないよ。それより、あんたも手伝いな」

 これは最近気づいたことだが、この村においてノーラ婆は、まるで村長のように厚く遇されている。ベルディーシュ村の村長はジョシュアとモニカの父親なのだが、彼からも敬意を払われていた。村の中で何かあれば、皆まずノーラ婆を頼るのだ。

 一方でレネットは、彼女の孫娘でありながら大っぴらに避けられている。レネットの父親は誰だかわからないということだから、その辺りが関係しているのだろう。

 しかしどうしたものか、とアルレクスは瞑目した。噂好きか下手に勘繰る人間以外は、アルレクスがノーラ婆の代わりにレネットに食事を届けに行っていると分かっただろう。まあ、アルレクスが村を訪れる以前より、ノーラ婆がしていたことは村の人間には知れていて、ぼけていると庇われる程度だったので、見て見ぬふりをしてくれるだろうが、レネットを魔女と呼んで遠ざけるものたちにとっては面白くないだろう。

(レネットに累が及ばなければいいが)

「アルルさん、突っ立ってるだけなら水を汲んできてください」

 レネットとの一件があり、ロイクの風当たりが強い。ノーラ婆は「これ」とロイクを諌めたが、「レネットの立場が悪くようなことをしてひどい大人だ」と言わんばかりにつんとしている。怒りはもっともなので、アルレクスは肩を竦めて言う通りにする。

「水だな。桶いっぱいでいいのか——」

 壁際に置いてあった桶を手にしようと屈んだところで、再び勢いよく扉が開かれた。これにはノーラ婆も顔を上げた。

「なんだい、騒がしいね」

 飛び込んできたのは村の青年だった。ジョシュアの姿を見つけると、大変だ、と叫ぶ。

「モニカさんが……倒れて! 血じゃないけど、水がたくさん」

 その場にいた、ノーラ婆以外の全員が顔色を変えた。だが、ノーラ婆だけは落ち着いていた。

「モニカは二人目だろう、騒ぐんじゃないよ。これはとりあえずおしまい。お産の準備をしなくちゃね」

「お産、って……」

 ロイクが呆然と繰り返す横で、マルスランが目を輝かせた。

「赤ちゃん、生まれるの?」

「予定より少し早いが、まあそういうこともある。さて、アルルさん、すぐにレネットを呼んできてください」

「レネットを?」

 お産とレネットがすぐに結びつかず、アルレクスは眉根を寄せた。この状況で、村人たちがレネットを受け入れるとは思えない。その疑問に、動転した気を落ち着かせたジョシュアが答えた。

「この村の赤ん坊はノーラ婆がとりあげるんだ。レネットはノーラ婆の助手なんだよ」

 なるほど、ノーラ婆は産婆であるがゆえに大事にされているのだ。だが、ノーラ婆は今満足に歩けない。となれば、レネットの手が必要だろう。

「ぼけっとしない! ジョシュア、あんたはモニカのところにいきな。それから湯を沸かすんだよ。ロイク、裏から桶を持ってきておくれ。一番大きいやつだ。マル、ありったけの綺麗な布を集めな。みんなにもそう伝えて」

 ノーラ婆が声を張り上げ、全員弾かれたように動き出した。村はすでに騒然としていて、モニカの家に人が集まりつつある。それを横目に、アルレクスは真っ直ぐレネットのもとへ向かった。

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