#6

 しばらくして、アルレクスはようやく歩き出した。一旦小屋のほうへ向かった足は、しかし、踵を返す。

 為政者として、感情をあらわにしないよう厳しく躾けられてきた。だからだろうか、胸が軋みをあげるのに、表情はぴくりとも動かない。足取りも憎らしいほどしっかりとしていて、心が欠けているのではないかと思う。

 森を出ると、ロイクが薪を抱えて佇んでいた。真っ直ぐにアルレクスを見つめ、小さくため息をつく。

「子供を泣かせるなんて、大人としてどうかと思います」

「見ていたのか」

「いえ。本当に泣かせたんですか」

 どうやら鎌をかけられたらしい。ロイクがなんとも言えない曖昧な表情をする。

「どうかと思います……」

「私もそう思う……」

 二度も言われてしまった。しかし反論のしようもないので、アルレクスは甘んじてそれを受け入れる。

「レネットのこと、どう思っているんですか?」

「どう、とは」

「愛しているのかどうかということです。女性として? 妹分として? どっちなんですか」

 難しい問いだ。愛しているのかと問われると、なんともいえない。エステラに抱いていたような温かな情愛の火を、今、自分の胸の内には感じられないからだ。

「君は、私がレネットを愛していることを前提として話すが、私はそのようには思えない」

「愛は、人類が何千年かけても結論の出ない命題ですからね。でも、人間は答えを出して生きていくんですよ」

 ロイクの声は厳しい。ロイクからすれば、アルレクスは恋敵だ。愛する人を傷つけられ、憤慨しないはずがない。

「彼女は、少し優しくされただけで心を傾けるような安いひとじゃないですよ」

「分かっている。だが好かれる理由が思いつかない」

 簡単なことですよ、とロイクはため息と共に続けた。

「レネットには父も母もいませんでした。だから、しっかり頼りになる大人のひとに憧れている……そんな節はあると思います。あなたが、そんな気持ちをもてあそびたくないっていう態度でいるから、レネットは本気になってしまったんじゃないですか? レネットにとっては、自分のことを真剣に考えてちゃんと大切にしてくれる人だから、そんな人に愛されたいって思うんでしょう。……俺だってそのつもりでいましたけどね」

 つまり、私のせいか。

 アルレクスは耳を塞ぎたくなった。そのレネットを傷つけてしまった。その気持ちは間違っている、と、彼女の気持ちを踏みにじる、最低な言葉で。

「今すぐじゃなくても、ちゃんと仲直りしてくださいね。傷つけた人がちゃんと責任とってください。俺は、好きな人の悲しみにつけ込むような真似はしたくないので」

 子供に叱られてしまっている。いや、ロイクは一人前の大人だ。その一方でアルレクスは、自分のことを大人と思い込んでいるだけの、自分の考えを押し付ける、子供だ。

「……まいったな」

 アルレクスはぐしゃぐしゃと頭をかいた。乱れた前髪が降りてくる。立ち尽くすアルレクスを置いて、ロイクは家に戻っていった。

「……私は……」

 多くの言葉が浮かんでは消える。今、引き返してレネットと話しても、きっと良い結果は得られないだろう。夜までに気持ちを整理しておかなくてはならない。

 だがその夜、レネットはアルレクスの訪問に応じなかった。小屋の中にいる気配はあるが、呼びかけても返事をしない。扉が開くこともなく、アルレクスは扉の前に籠を置いて立ち去るしかなかった。次の夜も、また同じだった。

 ——こうしているとね、時間も分け合ってるなって思えるの。あったかい気持ちで眠れるんだよ。

 そう言った、レネットの言葉が思い起こされる。今、レネットはどんな気持ちで眠りについているのだろう。ひとりで、誰とも温もりを分かち合えることなく。

「レネット」

 レネットがアルレクスを拒絶してから三日目の夜、アルレクスは意を決して、扉越しに言葉を投げかけた。

「すまなかった。君を傷つけるつもりは……いや、突き放そうとはしたな。だから、君は私を恨んでいい。だがその前に——私の話を、聞いてくれるか。君の話も聞かず、勝手な言い分だとは思うが」

 相変わらず、返事はなかった。だが、少しして窓から淡い蝋燭の光が漏れた。レネットは小屋から出てこなかったが、アルレクスは了承されたと受け取って、扉を背にして座り込み、ぽつぽつと話し始めた。

 フォルドラという国の公子であったこと。愛する人がいたこと。弟に全てを奪われたこと。逃げ出して、彷徨い続けていること。まだその傷が癒えてはいないこと。レネットへの気持ちは、自分でもまだ曖昧なままであること。全てを洗いざらい、正直に話した。

「……アルルのこと、初めて知ることばかりだね」

 話し終えた時、扉越しに小さな声が聞こえた。

「誰でもいいわけじゃないなんて言ったけど、あなたのこと、ちゃんと知ろうとしてなかった。甘えてたんだ」

 だからおあいこだね。その呟きで、会話が途切れる。

 その日、夜が明けるまで、二人は何も語らないまま、扉越しに体温を分かち合った。

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