#4

 夜が更ける頃、今まで以上に周囲の気配に注意しながら村を出る。ノーラ婆の家から森へは、必ずロイクの家の近くを通らねばならず、なるほどこれは気づかれると、二階の木窓から漏れる蝋燭の光を見て思った。遅くまで研鑽に励んでいるのだろう。

 少し、彼を利用していることに罪悪感を覚える。アルレクスがしていることは、「そうあるべき」を楯に彼を身代わりにしているということだ。ロイクは気がついていて、何も言わない。いや、手紙をアルレクスに届けさせるという回りくどいやり方を提案したところを見るに、アルレクスを舞台から下ろしてくれるつもりはないらしい。

 賢い子供だ、と思う。そして自分は、狡い大人だ。

 草木を踏み分け、賊が近づかないよう仕掛けた罠を跨ぐ。レネットの話では、小屋の周囲は妖精たちが見張っているらしいが、魔術に疎いアルレクスには、彼らが積極的に姿を表すまでその気配すら感じ取ることができない。

 だがレネットはそんな妖精たちと意思疎通がきちんとできているらしく、アルレクスが扉を叩く前にひょっこりと顔を出した。

「こんばんは、アルル。いつもありがとう」

 誰かと一緒に過ごして、おしゃべりがしたいのだというレネットの頼みで、アルレクスは再訪のたびに彼女と食事をすることになっている。持ち込んだクロスを机に広げ、少量の木の実とパンを半分に分ける。正直、レネットには分け合うことなどせずに持ち込んだ分を全て一人で食べてもらいたいのだが、これもレネットの希望だった。

「こうしているとね、時間も分け合ってるなって思えるの。あったかい気持ちで眠れるんだよ」

 それは、アルレクスへの純粋な好意ゆえなのか、寂しさゆえなのか。

「空腹は何よりも耐え難いものだ。精神論では生き抜けない。無理をするな」

 フユイチゴの実をレネットの方へ押しやる。レネットは不服そうにしていたが、やはり空腹には勝てないのか、それを受け入れた。

 遅い食事を終えると、レネットのために寝話をする。そしてレネットが眠りに落ちた頃に、アルレクスは村へと戻る。だが今夜はロイクから頼まれたものがある。藁をたっぷり敷いた寝台の上で毛布にくるまりアルレクスの語りを待つレネットに、アルレクスは籠の底から封をした手紙を取り出してみせた。

「今日は手紙を預かっている」

「手紙? 私に? 誰から?」

 レネットは小首を傾げた。

「私、字は読めないよ?」

「代読するように頼まれている。ロイクからだ。君のはとこの」

「私のはとこ……」

 うーん、とレネットは俯いておとがいに手を当てて考え込む。

「ああ、彼ね。ほとんど話したことがないから、思い出すのに時間がかかっちゃった……」

 アルレクスは瞑目して、ロイクを哀れに思った。好いている相手から存在を認識されていないとは、果たしてこの手紙を読んだところで想定の結果が得られるかどうか心配になってくる。

「ねえ、アルル。こっちに来て、一緒に読んでよ」

 アルレクスはレネットを見た。レネットの声音に邪気や下心はない。少し迷った後、席を立つとレネットが空けた場所へと腰掛ける。封を剥がして広げた便箋を、レネットが興味深そうに覗き込んだ。

「綺麗な字だね。なんて書いてあるの?」

「一言で言えば、『君が好きだ』と」

 その瞬間、レネットが固まった。しばらくしてぎこちない動きでアルレクスの顔と書面を交互に見つめる。

「えっ? どうして私?」

「ロイクは、君を助けたい、君の力になりたいそうだ」

「か、からかわないで。字が読めないからって適当なこと……」

「読むぞ」

 待ったの言葉を無視して、アルレクスは手紙を読み上げる。最初はもじもじとみじろぎしながら妙なうめき声をあげていたレネットは、半分まで差し掛かったあたりで手で顔を覆って俯き、毛布の中に隠れた。

「分かった! 分かったから。もう十分」

「最後まで聞かないのか」

「恥ずかしいよ!」

 日暮れまで二人で顔を突き合わせ苦労して書き上げたものだ。それをもう十分で切り捨てられてはたまらない。アルレクスが続けようとすると、レネットは毛布の中から勢いよく顔と腕を出して、アルレクスの口を手で塞いだ。

「む、」

「だ、大体ね。悪いけど、こういうの好きじゃないの。会って話すべきじゃない?」

 好きではないと言われてしまった。やはりレネットは、こういうことは直接話し合いたいという性格のようだ。だが、レネットから言質を取るには有効だったらしい。

「会うつもりがあるんだな?」

「ど、どうしてもっていうなら……」

「伝えておこう」

 手紙を差し出すと、レネットは何か壊物でも扱うかのようにそれを受け取った。ただ言葉もなく、手の中のそれをじっと見つめている。ヴェールの下の表情は読めないが、少なくともアルレクスを見ていないことは明白だった。

 つきん、と、心臓が軋む。それに驚いて、アルレクスは思わず立ち上がった。

「アルル?」

 レネットがアルレクスを見上げる。

 ——気づいてはいけない。

 ——気づかれてはならない。

「時間だ。私はこれで失礼する。風邪をひかないように暖かくして寝なさい」

 この胸の痛みは、あってはならないものだ。

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