#2

 こじんまりとした書斎、というよりは図書室と言えそうなほど書物が山積した部屋に通され、アルレクスは目を瞬いた。かび臭さとは少し違う、けた紙と古いインクの混ざった独特の匂いが鼻腔をくすぐる。懐かしい匂いだ、とアルレクスは思った。

「どうぞ、かけてください」

 その少年は、大机の上にある書物の山を脇に退けると、空いた場所に茶の入った器を置いた。促されるまま、アルレクスは席につく。薄い紅茶で喉を潤し、カーテンを引いて窓を開放する少年の姿を見やった。

 少年の名はロイクという。灰茶色の髪を真ん中で分けて両脇に流し、肩のあたりで切りそろえている。青い瞳はややくすんだ色をしているが、大きくころりとしていて、小柄なこともあり十八歳という実年齢よりも少し幼く見えた。

 その姿に、弟アルヴィンの背中が重なる。アルヴィンの部屋もこんな風に書物で溢れていた。古い魔術書が多いせいかもっと埃っぽい部屋であったため、アルレクスが訪ねるときまってアルヴィンは慌てて窓を開けた。正直、アルヴィンがいつも発作的に咳をしていたのは、あの部屋のせいではないか、と思い至る。

「お茶、おいしくないですか」

「いや……そんなことはないが」

 机を挟んで向かいの椅子に腰掛けたロイクが不安そうに言うので、アルレクスは居住まいを正した。

「すみません、茶葉が少し古いのかも。俺はこれに慣れてしまっているから……」

「……この顔は素だ。別に怒っているわけじゃない」

 茶器を置いて、眉間を指で軽く揉む。考え事をしたり、記憶を掘り起こしているとき、眉根が寄る癖があるのだ。それを指摘したのは確か、幼いアルヴィンだったか。

「不躾に見つめて悪かった。弟を思い出していたんだ」

「ご兄弟が?」

「歳の離れた弟がひとり、な。魔術が得意で、ただ、部屋の片付けは苦手で……こんな風に、自分の部屋に本を集めていた。十分優秀なのに自分に自信がなくて、いつも私の後ろに隠れるように生きていた」

 手折れそうなほどか弱く、繊細な存在だった。それゆえに守りたいと思った。アルレクスの背中に隠れていたのか、アルレクスが背中に隠したからそうなったのか、実の所はわからない。どちらでもあるのかもしれない。分かるのは、幼いあの日が二度と戻ってこないということだけだ。

「大切にされていたんですね」

「……どうかな」

 大切にしていたつもりだった。だが、アルヴィンはアルレクスから地位も名誉も、愛する少女も、自由さえ奪って、愕然とするアルレクスを見下ろして微笑んでいた。兄さん、と、いつもと変わらない柔らかな声で。

 あの微笑みの下で、弟は、何を思っていたのだろう。

「それで、今日はどのような御用件で」

 ロイクの声に、現実に引き戻される。そう、郷愁に浸りにきたわけではない。咳払いをひとつして、アルレクスは切り出した。

「レネットのことで」

「……レネットが、どうかしたんですか」

 ロイクは目を細め、苦虫を噛み潰したような表情になった。

「どうかしたも何も、十分異質な状況だろう、これは」

 呪いを振り撒くからと、か弱い少女をひとり、村の外に追いやった。布一枚で防げる呪いでありながら、"魔女"と呼んで忌避している。これは、暴力だ。

「君はレネットのことを、助けたいと思わないのか?」

 ロイクは目を伏せた。階下の音を気にする素振りを見せた後、首を横に振る。アルレクスがロイクを訪ねた時、ロイクの両親は、レネットの名前を出しただけで顔をしかめた。自分たちの会話が階下の両親に聞こえていないか、気にしているのだろう。声を潜める。

「あなたは……レネットのことをどう思っているんですか」

 急に水を向けられ、アルレクスは言葉に詰まった。まさかそんな質問を投げ掛けられるとは思っていなかったのだ。固まるアルレクスを、ロイクはじとりと見つめる。

「会いに行ってますよね、夜中に」

 誰にも見られていないと思っていたが、甘かったらしい。ここで否定するのも不信を抱かれると思い、アルレクスは言葉を探した。

「……誤解があれば解いておきたい。あれはノーラ殿に頼まれて食事を届けに行っているだけで、彼女とは何もない」

「何も? 本当に?」

「少なくとも私は何も……していない」

 若干ぎこちないが、本当のことだ。アルレクスは何もしていない。いつも何かしてくるのはレネットだ。もう少し慎みを持ってもらいたいとさえ思う。

「大体、彼女は私からしてみればまだ子供だ。そういう対象には見られないし、仮に変な気を起こすような輩ならノーラ殿が黙っていないだろう」

「……じゃあ、俺を手伝ってくれますか」

 ロイクはほっと胸を撫で下ろしたあと、真面目な顔つきになって若干身を乗り出した。

「レネットのこと、助けたいとは思います。でもレネットは、強いから……ただ戻ってきて欲しいって言っても、言うこと聞かないと思います」

 確かに、とアルレクスは頷いた。自分を除け者にしてきた者たちからそんなことを言われても、何を今更と憤慨するだろう。

「だから、レネットに……好きだって言うつもりです。ちゃんとここに居場所があるって。そういうつもりでいらしたんでしょう?」

「あ……ああ」

 焚き付けに来た側が気圧されるほどのロイクの勢いに、アルレクスはたじろいだ。だが、本人がやる気なら説得の手間が省ける。ロイクはふっと笑って、引き出しから新しい紙束とインクとペンをそれぞれ取り出し、机の上に広げた。

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