第3章 在るべき形

#1

 蝋燭を片手に、薄暗い夜の歩廊を歩む。バルコニーに備え付けられた長椅子に探していた姿を見つけ、エステラは頬を緩めた。

「陛下」

 恭しく呼びかけると、その人影はゆるりと振り返った。夜風に赤い髪をなびかせ、エステラを見つめ返す青い瞳は湖水のように凪いでいる。口元にはどこか儚げな微笑みを浮かべており、エステラの心に暖かな火を灯す。

「どうしたの、エステラ」

 エステラは、彼の妃だ。本来であればエステラは、彼の兄であるアルレクスの婚約者だった。アルレクスが廃嫡されたために宙に浮いたエステラの身を、アルヴィンが引き寄せたのだ。そのことを思うだけで、エステラの胸はいっぱいになる。

 エステラとアルレクスが婚約関係になったのは、今から四年ほど前のことだ。前王アルファルドと、エステラの父である宰相イゼルエルドの間でまとめられた話だった。宰相の娘であり高位の星読みドルイドであったエステラをめあわせることで、次の治世を盤石なものにしようとしたのだろう。

 エステラは、自分が政治の駒として使われることに不満はなかった。アルレクスは優秀な公子で、文武ともに秀で、特に政治能力に才を示していた。年若いエステラのことを気遣い、エステラの心を無視するようなこともなかった。宰相の娘、そして星読みドルイドとして研鑽を積んできたエステラの努力を認め、重用した。それでも、エステラの胸に響くものはなかった。

 エステラには夢があった。それは、ごくごく普通の少女として恋をして、愛する人と結ばれるという夢想だった。そして、自分を「ただのエステラ」として扱ってくれたのは、アルレクスではなく、彼の弟であるアルヴィンだった。ゆえにエステラは、アルレクスではなく彼に王冠をと願った。

 そう、アルレクスに不満があったわけではない。彼のエステラへの扱いは、彼が公王として君臨することを考えた上でことだったと思える。だが、エステラは「一人の少女」として扱われたいと願ってしまった。アルヴィンに笑いかけられ、理解されることに至上の喜びを感じた。アルヴィンの前では、エステラはただの少女になれた。

 だからこそ、気づかない。エステラを見つめるアルヴィンの目に、一切の感情が乗っていないことを。

「兄さんの足取りは掴めそう?」

 夫に見惚れて声も出ないエステラに、アルヴィンは優しく訊ねる。

 アルヴィンが話すのは、いつも決まって兄であるアルレクスのことだ。兄を健気に慕う弟だと、エステラは思っている。

 あこがれは、判断を奪う。

 兄のことを第一に考えるアルヴィンが、なぜエステラの思惑に乗ったのか、なぜ予言を歪め婚約者を裏切ったエステラを生かしてそばに置いているのか、エステラはその真意に気づくことができない。

「二ヶ月前、アレストリアの北方、ミュールの街で目撃されたのが最後だとか。傭兵に身をやつしているようですが、"貴公子"として噂されているそうです」

「ふふ、さすが兄さんだね。貴公子だなんて、かっこいいな。……そのままシルヴァンデールに向かうつもりなのかな。竜骨山脈を越えられては、もう追えなくなってしまうね」

「いかがいたしましょう」

 三年前、フォルドラ公国はアルヴィンを王に迎え、大きな混乱もなく続いている。予言が絶対のこの国で、予言に記された王であるアルヴィンもまた絶対の存在なのだ。

 予言によって悪とされたアルレクスは、邪魔だ。

「気は向かないけど、僕の"影"を使おう。丁重に扱ってくれとわざわざ契約書に残さないといけない国との交渉は面倒だからね」

「陛下の御為に……」

 エステラはその場に跪き、深々とこうべを垂れた。アルヴィンは立ち上がり、その横を通り抜ける。

「兄さんの家族は、僕だけでいい」

 歌うような小さな呟きは、エステラの耳には届かなかった。

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