#4
「忘れた?」
アルレクスとマルスランは同時に声をあげた。レネットは気圧されたあと、ぼそぼそと呟いた。
「だ、だって。こんな広くて手入れも適当な森のどこにわかりやすい場所があるって言うの? それに隠すのはこんな小さい石なのよ! 隠した場所から動物が動かしてるってこともあるんだから」
こんなに、とレネットが手で示した大きさは、彼女の手のひらにすっぽりと収まるものだった。小石というには大きいが、地面に放り出されたものを探すには小さい。アルレクスはジョシュアの言葉を思い起こす。
「月幽石は、月の光を溜めると聞いたが」
「うん。暗いところで結構明るく光るの。だから夜なら見つけやすいと思うけど……」
それならまだ希望があるか、と槍を握り直す。マルスランが頷くのを見て、レネットは慌ててマルスランの手をとった。
「さ、探しに行くの? 本当に?」
「うん」
レネットは引き止めようとするが、マルスランの意志は固い。レネットは「あなたからも何か言って」とアルレクスを見るが、アルレクスは瞑目してマルスランに同調する態度を示した。大人としては止めるべきだが、マルスランがこのような考えに至った遠因としてアルレクスとの問答がある以上、付き合ってやるのが男というものだ。
「私がついていく。賊が出ようが猪が出ようが遅れは取らん」
「そういうことじゃ……」
「あまり時間はかけられない。大まかな場所くらいは思い出してくれ」
アルレクスがそう言うと、レネットは仕方がないと肩を落として大きくため息をついた。
「もう……これだから男の子は。待ってね。こういう時は妖精に頼むといいの」
「怒らせたんじゃなかったのか?」
レネットは妖精との約束を違えて呪いを受けた。その妖精がレネットの頼みを聞いてくれるとは思えない。アルレクスが首を捻っていると、レネットは拗ねたように腰に両手を当てる。
「妖精みんなに嫌われたわけじゃないもん。ゾラ、おいで!」
レネットが虚空に手をかざしてそう呼びかけると、その細い指先に、うさぎのような耳を持った栗鼠が降り立った。その妖精は淡い橙色の光を纏い、アルレクスたちの方を見て鼻をひくつかせている。
「この子はゾラ。私が妖精の卵から孵したの」
妖精とは卵生なのか——いや、おそらく比喩か何かだろう。ゾラと呼ばれた妖精はレネットが広げた腕を伝って肩に乗り、親であるレネットに甘えるように頬擦りする。
「ゾラ。私が隠した月幽石、どの辺りにあるかわかる?」
レネットがゾラの頭を指先で撫でて機嫌を取ると、ゾラは小さな体を震わせた。額にある宝石のような石がきらりと煌めいたかと思うと、ぶわっと尻尾が膨らむ。
「……泉に投げ込んだらしいわ!」
意思疎通をどのように行なっているのか不明だが、レネットには妖精の言わんとしていることが分かるらしい。思ったよりもわかりやすい場所だったので安心した。
「マルスラン、泳げるか?」
「季節を考えてくれる?」
レネットはアルレクスを非難すると、マルスランのそばに膝をついて視線を合わせ、語りかける。
「マル、春まで待とう? どうして今なの?」
「……おとなにならなきゃいけないんだ」
マルスランはぐっと拳を作った。
「もうすぐ、弟か妹が生まれるんだって。おとうさんがもういないなら……あたらしいおとうさんもイヤだっていうなら、ぼくがおとなにならないと」
「マル……」
大人として認められるための儀式に、そこまでしがみつく必要はないとレネットは続ける。だがマルスランは首を横に振った。相当頑固だ。結局レネットが折れ、立ち上がる。
「私も行く。二人より三人でしょ。急いでるなら尚更」
「では行こうか」
話はまとまった。レネットがランタンに火を灯し、留守をゾラに任せて小屋を出て、泉のある場所まで二人を案内する。道中賊にも猪にも出くわすことなく、そう長く歩かないうちに泉にたどり着いた。
水面が月の姿を映して輝く。マルスランはじっと目を凝らして、月以外の光を探した。そして水草の間に埋もれて微かな光を発する石を見つける。
「あった!」
「あれがそうなのか?」
アルレクスが隣のレネットに訊ねると、レネットは小さく頷いた。
「うん。月幽石。水の中だとあんな風に光るんだ。……そんなに深くはないけど、マル、本当に取りに行くの?」
「ぼくがいかないと、意味がないから」
石がある場所は幸い浅いが、腕を伸ばしても届かない。中に入っていくしかないが、マルスランの背丈では胸の下まで浸かるだろうか。万一を考えて、アルレクスもすぐ助けに入れるように準備をする。
「……どうしてそんなに、頑張るの?」
マルスランが靴や上着を脱いでいざ行かんとしているその背中へ、レネットが問いかける。
「いいじゃない。マルには、お母さんがいて。お父さんだって、マルが好きになれる人が現れるかもしれないじゃない。……わざわざつらい方を選ぶ必要、あるのかな」
レネットの訴えに、しかし、マルスランは振り返らない。
レネットの言葉には、重みがある。マルスランは父を失ったが母がいる。庇護してくれる存在がいる。それをわざわざ振り払う理由が、レネットにはわからないのだろう。
「レネットだって、ノーラ婆がいてくれたのに、つらいほうをえらんだでしょ」
「それは、おばあちゃんが私のことで色々言われるの、嫌だったから……」
「ぼくもそうだよ」
レネットとマルスランは同じだ。自分が安穏としていられるよりも、つらい方を選んだ。勇気ある選択だからこそ、アルレクスはマルスランを止めない。
マルスランは身を震わせながら水をかき分けていく。そして、光り輝くその石を掴んで引き上げ、岸辺を振り返って笑った。
「……マルはすごいな」
その笑顔を見て、レネットはか細く呟いた。アルレクスは水から上がったマルスランのそばに跪くと、その体を拭いて、自分の外套で包む。
「レネットも、自分の強さを誇っていい」
「私は、別に」
「村に迷惑がかからないように、ずっとここにいるつもりだろう」
それは、強制された選択かもしれない。ヴェールをかぶっていれば防げる呪いなら、居心地は悪くても村に住み続けることもできるだろうに、それをしないのは、誰かの安寧のために、つらい方を選び続ける勇気があるからだ。
「ずっとじゃない」
しかし、レネットはそれを否定する。アルレクスがレネットを振り返ると、ふと、唇に温かいものが触れた。
ヴェール越しに唇が触れあったのだ。瞠目するアルレクスと、その瞬間を目の当たりにしたマルスランが固まっていると、レネットはもじもじとしながら二人から少し距離をとった。
「乙女のキスよ。大事にしてよね」
動けないままでいるアルレクスを、マルスランが揺さぶる。はっと我に返ったアルレクスは、目元を手で覆ってため息をついた。
つまり、妖精の呪いを解くのにアルレクスの愛を求めると、レネットは冗談でも酔狂でもなく本気で言っているのだ。
「……やはり君は私の好みじゃない」
「なんだとー!?」
流石に他人もいる前ではしたないと思ったのか、恥ずかしさのあまり踵を返そうとしていたレネットは、しかし、アルレクスの言葉に戻ってくるとその胸ぐらを掴んだ。
「わわわ私が、はじめての、はじめてのキスをあげたのに!」
「直接ではないし、無効でいいだろう。君はまだ子供で、大人の男に憧れる気持ちはわかるが、相手は慎重に選んだほうがいい」
「こ、この朴念仁! 私がまったく何も考えなしにこんなことしてるとっ……!」
言い合う二人の間にマルスランが割って入り、レネットの袖を引く。レネットはうめき声をあげながらその場で頭を抱ええた。
「せめて時と場所を選んで欲しいものだ」
「う、うるさいうるさいうるさーい!」
羞恥に悶えるレネットの叫びが響きわたり、マルスランの試練は終わる。その小さな手から、優しい光が溢れていた。
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