#2
「アルルって、およめさんいないの?」
休耕地を遊び場にして子供達に付き合っていたアルレクスは、突然投げかけられたその言葉に目を瞬いた。それぞれ思い思いに駆け回っていた子供たちがぴたりと動きをとめ、わっと駆け寄ってくる。
「いないの?」
「……いない」
他人の伴侶の有無が気になる年頃ということなのだろうか。女児たちは目を輝かせ、男児たちは何やら顔色が悪い。おそらくアルレクスの顔色も良くない。婚約者はいたが、今は弟の妻だ。そういうことを嫌でも思い出すので、お願いだからやめてほしい——などと正直に話すわけにはいかないので、努めて平静を装った。
「じゃあねえ、どんな人がすき?」
この話はまさか続くのか。一瞬にして体力を奪われた気持ちになって、アルレクスは遠くを見つめた。ねえ、教えてよ、と左右からせがまれる。
「私の好みの話を聞いてどうするんだ」
「おねえちゃんたちが聞いてこいって」
なるほど、男女で反応が分かれた理由がわかった。女児にとって「お嫁さん」とは憧れの存在であり、男児は姉たちがふらりと現れた得体の知れない旅人の話をするのが愉快ではないのだろう。
「誰かを娶る予定はない」
弟と婚約者の一件があっては、とてもではないがそのような気持ちにはなれない。質問には答えず、この話は終わりだと顔の前で手を振ると、子供たちの間から不満そうな声が上がる。そしてそのうちの一人が大人しそうな少年の手を引っ張った。その名をマルスランといい、アルレクスを遠巻きにじっと見つめていた子供だった。
「マル、アルルにたのんだら? 『おとうさんになって』って」
名案に違いないと確信しているような、悪意のない声音でそれは放たれた。少年の表情が強ばり、アルレクスは瞬時にその言葉の意味を理解する。子供たちは無邪気に、その少年をアルレクスの前に押し出した。
「ほら。マルのおかあさんはね、モニカっていうんだよ。とってもきれいな人なんだよ」
「お料理がじょうずだよ。あとね、『きだてがいい』」
「『きりょう』じゃなかった?」
マルスランはシャツの端をぎゅっと握り込んだまま俯いて押し黙っている。その様子に、周りの子供たちだけが気づかない。
「おかあさんが言ってたよ、『かわいそうに』って——」
「うるさい! ほっといてくれよ!」
マルスランが周囲を怒鳴りつける。その瞬間、しん、と水を打ったように静かになり、マルスランは息を震わせた。そして、堰を切ったように涙が溢れ出す。
「……皆、家に帰りなさい。マルスラン、お前はもう少しここにいよう」
しゃくりあげるマルスランを見ていられなくなって、その華奢な肩を撫でる。子供たちはおろおろとマルスランの様子を窺っていたが、アルレクスに再三促されると、それぞれとぼとぼと散っていく。
「ごめんなさい……」
「お前が謝ることではない」
むしろアルレクスは拒絶される側だろう。子供達が勝手に囃し立てたこととはいえ、気分が悪くならないはずがない。
地面に腰を下ろし、マルスランに隣に座るよう促す。マルスランは涙を拭いながらそれに従った。呼吸が落ち着くまで、アルレクスは小さな背中を撫で続ける。昔、父に手ひどく叱られた弟を慰めるのにしてやったことだ。時折頭も撫でてやる。そうして涙が途切れる頃、マルスランは口を開いた。
「ぼくのおとうさん、死んじゃったんだ」
やはりそうか、とアルレクスは頷いた。彼の母親であるモニカは夫に先立たれ、かわいそうにと哀れまれている。塞ぎ込むマルスランを見て、子供たちは、亡くなった父親の代わりが必要だと考えたのだ。
「あたらしいおとうさんなんか、いらない……」
マルスランは、愛されて育ったのだろう。そしてその中で、命が掛け替えのないものだということを学んだ。しかし、愛した者の死によってそれを実感してしまうことになるのは不幸である。
「おかあさんにも聞かれたんだ。あたらしいおとうさん、ほしいかって……おかあさんは、おとうさんのこと、すきじゃなかったのかな」
「それは……」
言葉に詰まる。母親とて、そんな簡単なことではないことは分かっているだろう。仮にも夫を愛していたのなら、代わりが見つかるはずなどない。代わりにならないから愛なのだ。だが、失われたままの状態が続くことが、マルスランにとってよくないと考えたのかもしれない。
だが、「お前のためだ」と子供に背負わせるには、あまりにも重い。母親も、悩んだ上での問いだったのだろう。それはきっと、息子を愛しているが故だ。
「アルルにも、おとうさん、いる?」
「……いた。病で死んだ」
「そっか……おとうさんのこと、すきだった?」
「おそらく」
愛していた、と自信を持って言えるほど、お互いの間にあったものは確かではなかった。愛していなかった、というには、こぼれた涙の理由がつかない。そんなふうに感情を曖昧なままにして、アルレクスは生きている。
「だれか、あたらしいおとうさん、ほしい?」
「……そんな歳ではないな。もう、父親がいなくても、生きていける大人だから」
だが、マルスランは違う。まだ親の愛情と庇護が必要な子供だ。そしてこの世は、子供を女手ひとつで育てられるほど優しくはない。村の人間はモニカを助けてくれるだろうか。全くの善意で、新たに夫を迎えるように言うかもしれない。すでに言われて、モニカはマルスランに次の父親の話をせざるをえなかったのかもしれない。
「……早くおとなになりたいな」
マルスランの言葉に、少し胸がざわついた。その横顔は焦燥に駆られて、ぐちゃぐちゃの心をなんとか律しているように見えた。
そしてその夜、マルスランは失踪した。
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