#4

 一旦外に出て、枯れ木を集めて火をおこす。その火で持ち寄った水を温め、干し肉と野菜を茹で戻し調味料を加えれば、簡素ではあるがスープの出来上がりだ。それに硬くなったパンを浸す。器によそったものを差し出すと、レネットは戸惑いがちにそれを受け取った。

「良い匂い……」

「味は保証しないぞ。食べられれば良いという代物だ」

 味を問われれば不味い。レネットが手を出さないのを、自分の言葉のせいだろうかとアルレクスが眺めていると、レネットはおずおずと口を開いた。

「よそを向くけど、これは目を隠すためで……」

「ああ……すまない、配慮がなかった。向こうを向いているから、それを取れ」

 アルレクスが背を向けると、レネットがヴェールを取る気配がする。スープをゆっくりと啜り、ほうと息をついた。

「確かにおいしくはないけど、なんだか、ほっとする」

「そうか」

「ありがとう、アルル。……妖精の瞳のことは、おばあちゃんから聞いたの?」

 首肯すると、レネットはしばし沈黙した。スープに浸して柔らかくしたパンをもぐもぐと咀嚼して飲み込み、続ける。

「一ヶ月くらい前かな。妖精と遊ぶ約束を破ってしまったの。そうしたらすごく怒らせてしまって。村に戻ったらなんだかみんなの様子がおかしくなって、お前のせいだって言われて……追い出されて、ここにいるの」

「一ヶ月も?」

 この時期に、少女を一人、野盗が出るような森に追いやる。驚きを隠せず、アルレクスは振り返りそうになって思いとどまった。背後で、レネットが頷く。

「おばあちゃんがみんなに内緒で夜中にご飯を持ってきてくれてたの。危ないからやめてとは言ってるんだけど……」

 アルレクスは、ノーラ婆が怪我していることを伝えようか少し迷った。これまでの話からして、レネットは村の人間から忌避されている。ノーラ婆が食事を持っていくこと自体には反対していないようだが、ノーラ婆が動けなくなったからといって代わりを務めようという者はいないだろう。季節は十一月になろうとしていて、この森にはそもそも実りが少ない。妖精を怒らせていなければ助けを得られただろうが、そもそも怒らせてしまったからこんなことになっているわけで、レネットがこのまま森の中で冬を越せるとは到底思えなかった。

 アルレクスは故郷を後にしてから他人と関わるのをできるだけ避けているが、ノーラ婆やレネットのような存在を前にして、自分に関係ない、と無視できるほど卑怯ではないとも自負していた。せめてノーラ婆の足が治るまで、ということにしても、根本的な解決にはなっていないし、二人は危険に晒され続けることになる。かといってずっと二人の面倒を見続けることはできない。

 となれば、呪いをどうにかしてしまうほかにない。

「……妖精の呪いは、妖精が指定した条件でしか解けないと聞いたことがある」

 妖精の呪いが人の操る魔術やまじないと決定的に異なる点がこれだ。呪いを解く条件が困難であればあるほど、呪いは強く、厄介なものになる。そしてそれは「口にする」ことで効力を発揮する。ゆえに、レネットは解呪の条件を知っているはずだ。

 言外に含ませてたずねると、レネットはやや恥じいるように押し黙った。器が置かれた音がしたので振り返ると、レネットは俯いてヴェールを引き降ろした姿勢のまま、震える声でつぶやいた。

「……け」

「け?」

「『まことの愛の口づけ』!」

 レネットの叫びが静寂の森に響き渡った。咄嗟に反応できず、ぽかんとしていると、レネットは呻き始めた。

「遊ぶ約束をすっぽかした理由を、で、デートだって言ったの。実際に付き合ってる人がいるわけじゃないけど! ちょっと、見栄を張りたくなって……そしたら、すごく怒って」

「……妖精は、純粋で、狡猾で、残忍で、独占欲が強い。特に自らの〈いとし〉に関しては」

 〈愛し子〉とは、妖精の寵愛を受ける子供たちのことである。大人になったり、妖精が〈愛し子〉への興味を失うことでその加護は失われる。また、妖精はこれと選んだ〈愛し子〉が誰か他の存在を愛することをひどく嫌うとも言われている。円満な解消ができればいいが、レネットの場合はそうではなかったのだろう。

 それにしてもかなりの難題だ。『まことの愛』を示せる人間がこの世にどれほどいるのだろう。アルレクスでさえ、アルヴィンやエステラのことを心から愛していると信じていたのに、この体たらくだ。

「んっ?」

 他の解決法を思案していると、ぐいと服の裾を強く引っ張られた。レネットとの距離が縮まる。ヴェール一枚隔て、鼻先が触れ合いそうなほど近くに、お互いの顔があった。

「呪いを解いて」

「なに?」

「村の人は私のこと嫌いだもん! だからあなたが私のことを好きになって!」

 突拍子もない要求に、アルレクスは唖然とした。

「愛とは、そのように育まれるものではない。それに……」

 アルレクスの心にはまだ、エステラがいる。どれだけ振り払おうとしても、色褪せたと思っても、アルレクスの心に火を灯すのは、彼女の微笑みなのだ。もっとも、それがアルレクスに向けられたことは一度たりとてなかったが。

「君は、私を愛せるか?」

「えっ、そ、そんなの……わかんないよ。会ったばっかりなのに」

「私も同意見だな」

「でもでも! それじゃ困るの!」

 ぐいぐいと引っ張られる。このままではうっかり唇に触れてしまうと、アルレクスはレネットの肩を掴んで自分から引き剥がした。

「この際はっきり言っておくが」

「な、なによ」

「君は私の好みじゃない」

 一瞬の沈黙の後、レネットは怒りに任せてアルレクスの頬を引っ叩いた。

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