#3

 先日、この代わり映えのしない景色の中で迷っていたことをすっかり忘れていたということを除けば、アルレクスの行動は讃えられて然るべきだろう。森の奥の小屋、という情報しかなかったため、とにかくそれらしい立地を探して歩き回る。

 小屋とは、おそらく管理小屋のことだろう。平坦な場所で、日陰ではない場所を巡っていると、細い道らしきものを見つけることができた。薄らと雪が積もっているそこには、少女のものと思しき小さな足跡がある。

 あちらこちらへ散逸する足跡を苦労して辿ると、やがてノーラ婆の言っていた小屋が見つかった。しかし小屋は朽ちかけていて、ずいぶん放置されているものだとわかる。荒屋あばらやと言った方が正確だろう。こんなところに少女が押し込まれているのかと思うと哀れな気持ちになって、一刻も早く安否を確認しようと近づく。

 かろうじて壁にはまっている扉を軽く叩く。しかし、返事はない。すわ手遅れかと思い扉に手をかけると、唐突にそれが内側に開いて、アルレクスはつんのめった。

「どちらさまですか?」

 か細い声は少女のものだ。反射的に顔を上げて、アルレクスはしまったと思うと同時に、少女の姿に目を奪われた。

 妖精の呪いのせいではない。少女はヴェールをかぶっていた。しかしその出立ちが、アルレクスの心を掻き乱す。かつて愛した少女エステラを思い起こさせるものであったからだ。

 アルレクスの婚約者であり、高位の星読みドルイドであったエステラは、薄いヴェールをいつも被っていた。それは彼女を、より一層華奢で儚く、神秘的に見せた。背格好も似て、違うのは髪の色くらいだろうか。エステラは美しい黒髪だった。巻毛なのを気にしている姿が愛らしく——

「あの!」

 目の前の少女が大きな声を出したので、アルレクスははっと我に返った。その拍子に口に含んでいた鉄の輪を飲み込みそうになり、慌てて吐き出す。それに、今度は少女が面食らっているようだった。

「あ、いや、これは。失敬。妖精の瞳に惑わされないためのまじないだ。妖精は鉄を嫌うからな」

「……あなた、村の人じゃないですよね」

 少女——レネットは警戒心をあらわにして壁際まで下がった。とにかく彼女が無事だったことにほっと胸を撫で下ろし、警戒を解いてもらおうと語りかける。

「私はアルル。旅のものだ。ノーラ殿に頼まれて食事を——」

「異端審問官ね!? 街から遠路はるばるご苦労様!」

 最後まで聞くことなく、レネットは床に置いてあった水の入った器を、アルレクス目掛けてひっくり返した。咄嗟に手が動いて器を弾く。しかし、冷たい水を頭からかぶってしまった。

「……人の話は最後まで聞け」

 ぽたぽたと滴り落ちる水をそのままに、アルレクスは深くため息をつく。おそらくアルレクスの発音が綺麗すぎたために、都市の上流階級だと判断され——そこから異端審問官などという職業につながったのだろう。彼らが美しい教会語を重んじ、少女は排斥されているがゆえに。

 コベリの実の染料が水で落ちて赤い髪があらわになると、レネットはますます混乱したようだった。腰のナイフを引き抜き、果敢にもそれを向けてくる。

 先ほどはエステラに似ていると思ったが、まったく正反対だ。エステラはもっと奥ゆかしく繊細だ。もっとも、か弱い乙女が突然現れた見知らぬ男に怯えるなという方が難しいので、エステラのことは一旦脇に置く。両手を挙げて敵意がないことを示すと、レネットはナイフの切先をわずかに降ろした。

「……君のおばあさんに頼まれて食事を持ってきた。昨日この森に現れた野盗を逃してしまったので、君の安否を確認するためでもある。無事で何よりだ。危害を加えるつもりはない。怪我をするからそれをしまいなさい」

 宥めるように語りかけると、レネットは渋々と言った様子でナイフを鞘に収めた。それから、部屋の隅に置かれた袋から布切れを取り出すとアルレクスに近づき、垂れる水を拭き取ろうとしてくる。

「待ちなさい。自分でできる。汚れるから近づかないように」

 布だけを受け取って、フードを下ろすと染料ごと水分を拭き取る。おかげで布が真っ黒になってしまったが致し方ない。それを突っ返すのはやや気後れしたが、レネットはむしろ興味を惹かれたようで、黒くなった布の匂いをすんすんと嗅いでいる。それは年頃の娘の行動としてどうなのか。

「綺麗ね。そんな色の髪、見たことないわ」

 アルレクスは言葉に詰まった。この赤い髪は、フォルドラ公王の血筋に伝わるものだ。いわゆる赤毛といわれる髪色よりも濃い赤い色で、血のようだとも揶揄される。お世辞にも綺麗と言われたことはなかったので、なんと返したものか戸惑っていると、レネットが頭を下げた。

「突然ごめんなさい。少し気が立っていて」

「無理もない。警戒するのは当然だ。まあ、相手を逆上させない立ち回りは覚えた方がいいが……」

 まったくとんだおてんば娘だと呆れ返る。レネットは視線を彷徨わせ、もじもじとしてから、くぅ、と小さく腹を鳴らした。

「あの、」

「なんだ」

「耳、良い?」

「……食事にしようか」

 幸い、鞄は濡れずに済んだらしい。布にくるまれたパンを取り出すと、レネットはヴェールの下で小さく笑った。

「二日ぶりの食事なの」

 保存食を持ってきてよかった、とアルレクスは今日何度目になるかわからないため息を漏らした。

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