『蒲田』あの熱かった日々-3

狩野晃翔《かのうこうしょう》

『蒲田』あの熱かった日々ー3


             【1】


 ぼくが梅屋敷で木村クンの秘密をバラしたあと、ヒメコさんと木村クンはこれまで以上に親密になったように思える。

 たぶんヒメコさんが在日のこと、うまく木村クンに話したんだろうね。

 だって同胞だもの。共通の秘密なんだもの。親密になるに決まってるじゃないか。

 ぼくが秘密をバラしたこと。その動機は「あわよくば」という不純なものだったけど、結果オーライならそれで何の問題もないんじゃないかな。

 そうしてぼくはヒメコさんへの想いを、永遠に封じ込めたんだ。


              【2】


 ぼくと木村クン、そして途中から仲間に入った遠藤クンの三人はやはり土曜日の午後、肩で風を切るようにして蒲田の街を闊歩していた。

 そんなある日、遠藤クンが喫茶店で、こんな話をしたことがあるんだ。

「知ってるかよ。三ペン野郎の裏番長がよ、蒲田であばら骨折られて今、その相手捜してんるんだとよ。・・・仕返しだってよ」 

 ぼくと木村クンは顔を合わせて、頬を緩めた。

「遠藤クン。そのあばら骨を折った相手って、木村クンのことだよ」

 ぼくが言うと、遠藤クンは驚愕の声を上げ、

「え。え。え。そいつ、二年ダブってて、ケンカ負けたことないって話だよ」。

 木村クンはニヒルな笑い方をして、

「懲りねえ野郎だな。何度やっても同じだよ」

「またぶっ飛ばしてやる。何度だってぶっ飛ばしてやる」。


              【3】


十二月に入ったある土曜日、ぼくたち三人がACボウルで遊んでいるとき、いきなりやつが現れた。相変わらず、相手を威圧する体型、顔つき、ドスが効いた声だ。

「もう一回タイマンやらねえか。今度の土曜日午後、仲蒲田公園でどうだ」

「てめえ、逃げるんじゃねえぞ」

 そう凄む相手に、けれど木村クンはひるまない。

「やってやるよ。てめえが納得するまでボコボコにしてやっから、覚悟しておけよ」

 一触即発の空気のなか、木村クンはそう言って相手をにらみ続けた。

 ぼくはそのとき初めてこの世の中に、こんな鋭利な刃物のような空気があることを知ったんだ。それは少し触れただけでも皮膚を切り裂く、日本刀の切れ味を思わせた。

 木村クン、勝てるかな。大丈夫かな。

 大丈夫だよね。一度勝ってる相手だし、今度も勝てるよね。

 絶対に。


              【4】


 十二月最後の土曜日。

 やつは京浜急行蒲田駅に近い仲蒲田公園に、仲間十人をほどを引き連れて待っていた。その中には以前、木村クンがボコボコにした三ペン野郎も何人か混じっている。

 別に大乱闘するってわけじゃない。

 相手は自分の力を見せつけようとして、仲間を呼んだだけなのだ。

 ただその仲間も全員、チャンスがあれば牙をむいて襲いかかろうとする、危険な空気を漂わせていたけどね。

  

              【5】


 木村クンと相手は、短いにらみ合いのあと、ケンカとなった。

 木村クンはふうっと息を吐いて肩の力を抜いたあと、見抜かれているチョーパン攻撃はやめて、いきなり腰を沈めて、相手のみぞおちあたりに体当たりしたのだ。

 相撲でいうぶちかまし、ラグビーでいうタックルだ。

 でも相手はそれも読んでいたんだろうか。

 相手は左足を後ろに下げて重心を低くし、左腕を木村クンの右腕にからめて、無防備な木村クンの背中を強い力で殴り続けた。

 その連打によって息が詰まった木村クンは、動くことができない。

 そのあと相手は全体重をかけて木村クンにのしかかる。

 やがて四つん這いにさせられた木村クンは、いとも簡単に仰向けにされ、横四方固めを決められてしまう。 

 驚いた。やつは、柔道もできるのだろうか。

 木村クン。やばいよ。頸動脈、絞められるよ。気をつけるんだ。

しかし相手は何を考えたか、いったん身動きできない木村クンの身体から離れ、両手でカモンというジャスチャーをして木村クンに立つよう合図したんだ。

 どうやら相手はあくまでも立ち技で勝負しようとするらしかった。

 怒気をはらんで立ち上がった木村クンのラッシュが始まった。

 この野郎、という大声とともに、木村クンはローキックを放つ。

 しかしこのキックは見切られたようで、空振りに終わってしまう。

 こういう場合、空手でもキックボクシングでも、主な攻撃はパンチになる。

 相当練習を積まないとキックはすぐ出てこないけれど、パンチは本能で繰り出せるからだ。

 木村クンは接近戦でパンチを連打する。しかしそれは力まかせのワンパターン攻撃だ。だからその攻撃は相手の強固なディフェンスにさえぎられて、有効打がでない。

 そして木村クンの少し疲れて相手と距離を取ったとき、それは起こった。

 「ヒメコ」

 なんと相手は、木村クンの彼女の名前を大声で叫んだのだ。

 一瞬、自分の彼女の名前だ叫ばれ、きょとんとする木村クン。そこに相手の狙いを定めた右フックが木村クンの左頬にさく裂し、木村クンは膝から崩れ落ちた。

 それは一瞬の出来事だった。けれどぼくにはその一瞬が、何度も頭の中でリピートし、フラッシュバックした。


             【6】


「木村クン」

 ぼくと遠藤クンは倒れた木村クンに駆け寄って、彼の上半身を起こした。

 しばらくして木村クンの意識が戻ったとき、相手は腰を降ろした格好で木村クンに

話しかけた。

「お前がやった作戦。使わせてもらったよ」

 そうして相手は、ここだよ、ここ、と自分のこめかみ辺りを人差し指で示し、勝ち誇ったように笑った。 

 そしてやつは「いいこと教えてやろうか」と、言葉を続ける。

「ヒメコはな、実はオレの妹なんだよ」


              【7】

 ヒメコが妹・・・

 ぼくたちに衝撃が走った。

 ヒメコさんが、こいつの妹・・・・・・。 マジかよ。信じられないよ。

 やつは木村クンに向かって話しかけた。

「ヒメコが彼氏ができたって、言うもんだから、どんなやつかって訊いたら、どうやらそれ、お前らしいんだよ」

「だからオレは、それを確かめたかったんだ」

 無言のままの木村クンに、やつが提案した。

「これからは仲良くしようぜ。もうオレら、蒲田でチョッパリに悪さしねえからよ」

 チョッパリとは、在日が使う日本人の蔑称だ。 

 無言の木村クンに、やつは握手の手を差し伸べてきた。

 木村クンはふてくされながらも、プロレスタッグマッチの選手交代のように軽く手のひらでそれを叩いた。

「帰るぞ。みんな」

 そいつの声で、遠巻きにしていた三ペン野郎どもが引きあげ始める。

 帰り際、そいつが振り向きざま、木村クンに声をかけた。

「キム。今度メシでも食おうや、ヒメコも入れて、三人で」


              【8】


 やつらが帰ったあともぼくたちは、公園の地面に座り込み、しばらくぼんやりしていた。

 長い沈黙のあと、ぼくが木村くんに話しかけた。

「木村クン・・・負けちゃったね・・・・・・」

 すると木村クンは真顔になって、

「ばか野郎。わざと負けてやったに決まってんだろ」

「考えてみろよ。ヒメコの兄貴なら、ボコボコにできるわけねえだろ。あいつはオレの、ヒョンニムになるかも知んねえんだぞ」

 ヒョンニムとは、お兄さんという意味だ。

 ほんとうは負けたのに、それでも強気の木村クンの言葉がおかしくて、

ぼくたち三人は顔を見合わせ、大声で笑い合った。


 ふと気づくと、空から白いものが舞い降りてきている。

 雪だ。その雪がやがて、空を乱舞しはじめた。

 十二月。冬ざれた蒲田。凍てつきそうな蒲田。

 でもぼくたちは熱かったんだ。

 蒲田で過ごしたあの頃は、ぼくたちはほんとうに熱かったんだ。




                               《了》








 

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