運命の日
「藤弘ってプライベート何してるんだろうな」
ある工員がそういうと、そこにいた全員が一斉に発言者の方を向いた。その視線を感じた発言者が何かまずい事言ったかと言わんばかりに口を抑え込むと、場に何とも言えない空気が流れた。
確かに弘樹が休みの日には何をやっているのか、その答えを知る者はこの工場に一人もいない。津和野は無論、浅野でさえも知らない。
「何か誘っても金がない金がないって、何に使ってるんすかねえ」
弘樹は母親と3LDKのマンションに二人暮しである。父親の事業の失敗で財産の大半を失ったとは言えそのマンションは持ち家であり、工員の中ではそれなりに恵まれている環境であると言える。
何をもって金欠だと言うのか、少なくとも住宅に関するそれとは思えない。なら自動車か。だが弘樹は免許を持っていない。趣味か。それにしてはそういう類の話が全然出て来ない。
もちろん弘樹にその質問がぶつけられた事はこれまで幾度もあった。その度に体力がないので疲れを取るために寝ているか買い物にでかけて安い日用品を漁っているかのどちらかだと返されるばかりだった。
何度聞いても同じ答えばかりするせいかだんだんと聞かれなくなり、その内に誰も弘樹のプライベートに感心を示さなくなった。
ある時に工員の一人がいたずら心を起こして彼の家の前に張り込んでみたものの結果は文字通りの籠り切りのままであり、お前のせいで一日潰したじゃねえかとも言えず不機嫌な同僚を前にして弘樹は戸惑いながら勤務した事もあった。
「ああもしかしてやばい所に金使ってるとか」
「やばい所ってなんだよ、クスリか、それともギャンブルか」
そのもっともな推論も、麻薬に手を出しているにしては勤務態度が真面目すぎるしギャンブルに注ぎ込んでいるにしては自分たちがしているそういう類の話に全然乗って来ないなで否定された。
「最近あるじゃないっすか、パソコン一台でデイトレードとか何とかって」
「バカ言えよ、一日中パソコンに貼り付いてなきゃ務まらねえような事をやっときながらよくもまあこんな仕事ができるな」
その上に女っ気までまるでないと来てはもうどうにもならない。結局工員たちの話は簡単に行き詰まってしまい、弘樹は何もしていないのに工員たちにモヤモヤした気分を漂わせる事になった。
「なあお前よ、ほんとに教えてくれよ。一体どこに金を使ってるんだ」
「貯金ですよ、貯金」
津和野の問いかけにも、弘樹は投げやりにそう答えるだけだった。教科書通りとしか言いようのない、間違いなく正解ではあろうがまるで話が広がらない回答。
津和野はそれでも何に使うんだよと広げようとしてけがをして働けなくなった時の為にとか言われればそれまでである事に気付き、その無意味な質問を飲み込んだ。
「あのさ、もしお前ジャンボ宝くじで一等が当たったらどうするよ」
「ギャンブルには手を出しませんから」
「お前いい加減にしろよ!」
それでも必死に弘樹の金の使い道を聞き出そうとした津和野は絡むように話を進めた物の、それでもなおまるで反応しない弘樹にとうとう堪忍袋の緒が切れたかのように怒鳴り声を上げた。
「ちょっと津和野さん、僕が宝くじを買わない事がそんなに悪いんですか!」
「ああ悪いな、お前みたいな夢も希望もなくてただ生きてるだけ奴と一緒に仕事したくないわ」
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!許してください、許してください!お願いします、助けてください、死にたくありません!」
「あのさ、お前な、何か人生で楽しみとかないのか。そりゃいろいろあったのはわかるよ、けどまだお前の人生がもはやこれまでだって一体誰が決めたんだよ。お前まだ二十代だろ、あと何年お前の人生があると思ってるんだよ」
「だったら教えてくださいよ、僕はまだ死にたくありません!」
それに対しまるで麻薬を止められた中毒患者のようにわめきまくる弘樹に、津和野は四年間も一緒にやって来ていたのだから少しぐらい居丈高に出ても自分を信じてくれるだろうと言う自分の思い込みのうかつさを悔いながら心の中で深くため息を吐いた。
「ったくもうしょうがねえなあ……じゃあな、来週の土日俺んちに来い。それで俺がいろいろと遊びって奴を教えてやるよ」
「申し訳ありませんけど、土曜日は私的な買い物の予定が……日曜日はお伺いいたしますのでどうかお許しを」
「そうかそうか、よくわかった。約束は守れよ、な!」
御曹司から一度転落した存在であるだけに、再び金を失う事が恐ろしくて叶わないのだろう。そしていつの間にか自分にくっついてしまっていた権力を恐れ、自分に逆らったら首にされて野垂れ死にするしかないとでも思ったのだろう。
津和野は弘樹が台風の日の子犬のように震えながら自分に許しを乞う姿を見て、そのように解釈した。しかしそれにしてもあまりにも過敏だ。もしかしてあるいは本当に弘樹には金がないのかもしれない。津和野は少しだけそう思っていた。
その土曜日、弘樹は母を家に置いてデパートへと向かった。その目線はともすれば万引きと思われかねないほどに怪しく動き、まるで何か獲物を探しているようであった。
「すみません、せっかく電車で三十分もかけて来たのでいい物がないかと思いまして」
そして実際にどうしたのかと店員に質問されると、澄ました顔になってそのように答えた。実際あちこちの店に入ってはいろいろと物色した弘樹であったが、その度に財布を開いては顔をしかめため息を吐き、結局何も買わなかった。
そんな弘樹がぐるぐる回ったあげくたどり着いたのは、おもちゃ売り場だった。自分とはまるで縁のなさそうな代物だと思いながら通り過ぎようとしていた弘樹の視界に、一つのガチャガチャが目に入った。
「藤平浩輔フィギュア 6+シークレット1種 1つ100円」
ありふれたオモチャである。とは言えそのモデルが自分とほとんど年の変わらない、巷で今大人気のお笑いタレントとなると話は違ってくる。
収入はおそらく自分とケタ一つ、下手をすれば二つ違うかもしれない存在。もし津和野であったならば苦笑いするか歯噛みして悔しがるかするか、いずれにせよ何らかの反応をするだろうなと弘樹は思いながらも、それ以上顧みる事なく足を前に進めようとした。
すると全身から幸せと言う言葉に満ちたオーラを出していた一人の子連れの中年女性が子どもの言葉に従わずにキョロキョロとしたまま歩み寄って来て、弘樹と衝突してしまった。
一応肉体労働者である弘樹と普通の中年女性では体幹を支える力が違った。ましてや女性は子どもの方を向いてやや屈んでいる体制を取っていたためバランスが悪く、弘樹がまるで動かなかったのに対し女性は仰向けに倒れ込んでしまった。
「すみません!大丈夫ですか」
「いえいえすみません、私もよそ見してまして」
ドサンと言う音と共に、財布に入っていたカード類がデパートの床にぶちまけられた。女性の娘と思しき少女があわてて母親に近寄る中、弘樹は平謝りを繰り返しながらたくさんのポイントカードを拾っては女性に渡していたが、一枚のカードを見た途端手が止まり、感嘆のつぶやきをこぼした後に女性に手渡した。
「僕なんかじゃ一生持てそうにないカードを」
「私もできる事なら一生使いたくないカードですけどね」
―――――――クレジットカード。かつて藤森産業に入社した際に持つ事になった一枚のカード。結局何も買わずに紙切れと化したそれと同じカードを持つ女性。
自分が着ている物と大差なさそうな服や財布にカバンを身に付けていながらも、その一枚のカードが彼女の身分をいかんなく示していた。
「ごめんね優樹菜、ママつい優樹菜とお話しするのが楽しくなっちゃって。じゃあおうちに帰ろうね」
「うん」
そしてそのカードに書かれていた名前――――――――――シマカナコ。
娘と共に羽を伸ばしながら去って行った女性の名前。ありふれた名字にありふれた名前。カタカナゆえ島か嶋かあるいは別の字かはわからないし、可南子なのか佳奈子なのか神奈子なのかもわからない。だが弘樹にとっては、それだけで十分だった。
「すみません、うちで使ってる包丁が錆びちゃって、新しい物が欲しいんですけど」
「はい」
弘樹は先ほどまでその親子が入っていた刃物屋にこれまでと同じようにいろいろと物色する素振りを見せながら入って行き、それから十分ほど歩き回った末に一万五千円の現金を店に落とした。
「何だよ、ずいぶんウキウキしてるじゃねえか」
「大丈夫、無理してない?」
津和野の妻が弘樹と会うのはこれが結婚式以来二度目であるが、彼女にとって弘樹の印象はその時におずおずしている姿を見て以来アップデートされていなかった。
夫から弘樹の話が出て来た所で、いつも懐具合ばかり気にし暗そうにしていて手のかかる後輩だと言う印象が消える事はなかった。
だから夫が弘樹を誘った時、弘樹に無駄に金を使わせ苦しめる事になるのではないかと思い危惧していた。だから自分の思惑と違い笑顔でやって来た弘樹を見て、津和野の妻は戸惑いそしてあからさまな不安を口にした。
「無理してませんよ、ただ実は昨日ちょっと日用品を買いあさってる最中にいい家電を見つけて衝動買いしちゃいましてね、派手に使っちゃいました」
「何だよ意外に充実してるじゃんか」
「でもお金はないんでしょう。やっぱり無理をさせなくても」
「いいんですよ奥さん、これから当分大きな出費しなくて良さそうですし」
「まあそうだけどよ、宝くじぐらいは買っても罰当たんないじゃねえかって俺は思うんだけどなー、これから買いに行くか」
「昨日買いましたから、ほらこれ」
「おっそうか、いやさすがに宝くじさえ買わねえって聞いた時は俺も引いたわ。小学生でも買える代物にも手を出さねえとは思わなかったんで」
「あらそうですか」
宝くじすら買おうとしなかった事には津和野の妻も驚き、真面目だなと思うと同時に面白味のなさそうな人だなと言う夫と同じ感想を抱いた。
そして元大企業の御曹司だったと言う事を知らないなりに弘樹の過去を慮ると同時に、自分が半ば強引に口説いて教えるならばお金を使わせない遊びを教えるべきだと言った事をほんの少しだけ後悔した。
「まあよ、そういう訳なんで今日はうちでゲームでもやろうじゃねえか。俺が小学校一年生の時に母ちゃんが買ってくれた奴だけどよ、俺が結婚するっつったら押し入れの奥から引っ張り出して送って来やがってよ、これが今でも楽しいんだよ」
「実は私も昔やってたんですよ、ああ操作簡単だし藤森さんもやります?」
「ああはいやります、ゲーム機を触るのなんて十七年ぶりかなあ」
「おっ、お前もかよ!俺もこの前十七年ぶりに触ったんだ!いやあ運命だよなあこれも一つのさ!」
現在のそれから比べればあらゆる意味で古めかしく単純であったが、それがまた愛おしかった。
丁重にクリーニングされていたためか動作そのものは問題なく、津和野にああだこうだと説明を受けながらも弘樹も必死にキャラを動かしていた。
「この、このっ!」
「あーあー俺もそんなんだったわ、なあ」
「藤森さんって案外面白い人なんですね」
津和野夫妻の顔をほころばせつつボスの所にたどり着いた弘樹であるが、そのボスをなかなか倒せない。何度挑んでもゲームオーバーの文字ばかりが出る。
それでもこれまで以上に声を荒げる事はなかったが、その反面目つきはだんだんと鋭くなっていた。
「闘志全開ってやつか、さっきよりはだいぶ健闘してるぞ」
津和野の声援ももはや耳に入っているかどうかわからない。その時の弘樹はボスを倒す事だけに専心していた。
そして二十分余りの激闘の末、ついに弘樹はゲームクリアの文字を画面に出させた。
「おめでとう藤弘、よくやったぞ!」
「うちの人より早くクリアしましたね」
戦いを終えた弘樹は口こそ笑っているが目つきは鋭さを残したままであり、死闘を終えた主人公が乗り移っているかのようであった。
その後も別のゲームや津和野夫妻との会話を楽しんだ弘樹であったが、その目つきの鋭さが消える事はなかった。津和野は普段の味気なく面白みのない弘樹との違いに驚きながらも、ただ喜んでいた。
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