人造人間の怒り

 尖った耳に大きな目、真っ赤な体に尖った爪。右手にはどこで切り出して来たのかわからないような木でできた棍棒が握られている。

 なぜだと人間たちは泣き喚いた。世に言うゴブリンと言う化け物が目の前に現れたのだから無理もなかったが、冷静になってみれば背丈は自分たちの四分の三ぐらいしかない相手であり、その上に一人である。

 集団で取り押さえようとすれば平易に取り押さえられただろう。だがそれが、神様に対しての必死の嘆願の成果となると話は違ってくる。



 恐怖の果てに精神を壊した中年女性が高笑いを上げながら踊り狂って村に戻って来たのを見た村人たちは、当然ながら驚愕した。何があったんだと聞いた所でまともな返答など返って来るはずはなく、踊るだけ踊って疲れると安らかそうに眠るその姿はとても成人女性のそれには思えなかった。


 彼女がひと月前に向かい、そして帰って来た方角。当然、その方角に耳目が集まる。いったい何があったっけ、その方角で何かがありその結果あんなになってしまったんだ。全くもって当然の考え方だった。


 そして誰かが一つの事実を口にした。―――そう言えば数十年前、変な男があの屋敷に住み着いていた。それだ。人当たりだけは良かった彼女は、少年以外にはおおむね好かれていた。その彼女をこんなにしてしまったのはあの男のせいだ、許せない。これもまた自然な流れだっただろう。


 そして彼らは、人造人間を見てしまった。彼らは人造人間が圧倒的な力の持ち主である事をすぐに察し、傍らににこやかに立つ少年を彼の伯母と同じように恐怖で心を壊した人間だと見た。そして見ただけで中身のある事は何も言わず、悲鳴を上げて逃走した。







「そうして村の教会で神様に向かって必死こいて祈って出て来たのはたった一匹のゴブリン……絶望しただろうな」

「でもそれが神様の意志なんでしょう」


 ゴブリンもまた妖精の類だから、神様の使者としてはあまり問題はない。でも一匹で人造人間に立ち向かった所で結果は目に見えていた。


「俺だって中学生ぐらいの時母ちゃんに悪態つきまくってた年頃があったよ、誰が飯を作ってくれるかもわかってねえのにさ」

「津和野さんのお母さんも怒ったでしょう」


 自分に物を与えてくれる存在に対し文句を言えば怒られる、これまた当たり前の話だ。ましてや相手に何にも与えていない分際で言えばなおさらである。

 にもかかわらずかつての津和野は吠え続けた。四十路になったばかりの母親をババアと呼んではばからず、少しでも怒鳴られるとその倍以上の声で吠え返した。だが今から振り返ってみると誇れたのは声量の大きさだけで、中身はただの駄々だった。


「あの時は狂犬津和野とかって言われてたけどよ、吠えてるだけで何も中身がないから大人たちは耳を貸しちゃくれなかった。それに気づくのに俺は中高六年間丸ごと費やしちまってな。まあむちゃくちゃな言葉だけどいい具合の荒れっぷりってのも身に付けるようになったってわけよ」

「神様は非情でしたよね、彼らにとっては。津和野さんには誰かいたんですか神様が」


 そんなもんいなかったよと言いながら映画の内容を振り返る津和野は苦笑いを浮かべた。

 それでも少なくとも津和野の行動を悪い方向に持って行こうする人間だけは津和野の周りに存在しなかった。








 さて映画の中では村人たちの絶望に輪をかけるように、そのゴブリンは暴れ出した。家屋を棍棒で殴りつけて壊しにかかり物凄い速さで走り回り、村人数人で抑え込むまでに十数分の時を要した。なぜだ、なぜ神はこのような存在を私たちに遣わしたのか。信仰が足りないとでもいうのか、それとも自分たちが何か怒りを買うような事でもしたと言うのか。村人たちの恐怖と絶望は頂点に達した。


「向こうが何かして来たら、その時は本気でやればいいんじゃないですか。今んとこはほっといても別に何もしてない訳ですし」


 この事態に対し村の代表たちが再び十数人集まった中ひとりの男性が突如舟をこぎ始め、少しすると目を覚ましてこのような事を言い出した。

 その言葉に対し集まった者たちはすさまじいまでの怒声を男性に向けて浴びせ続け、男性を叩きのめして絞首台に運んだ。


 そして次の日、もはやこれまでと言わんばかりにありとあらゆる物を持って村人たちは屋敷に乗り込もうとした。

 すると、外には目を覆わんばかりのゴブリンの大群が待ち構えていた。ゴブリンたちは天にも届くほどの奇声を上げながら村人たちに殴りかかり、建物を壊し始めた。


 そう、天にも届くほどの声である。その声は少年と人造人間の所にも届き、その上に村人たちの悲鳴が重なった。

 助けに行かなければいけない、となる。少年は村人たちの対応を知っていたから淡泊にやめた方がいいと言ったが、それでも人造人間は村へと走った。一度も行った事のない、少年の故郷へ。



「神よ、あなたをお恨み申し上げますぞ!」


 だが人造人間が村へ向かい、ゴブリンたちを内蔵された兵器で打ち破っていく姿を見た村人から出た言葉はそれだった。


 この化け物と仲良くする事がお前たちの唯一の生きる道だと言う神からのメッセージだとでも言うのか。現在進行形で自分たちの数倍の力を持ったゴブリンたちをなぎ倒していく存在、自分たちなど小指一本で全滅させられそうな存在と仲良くしろとでも言うのか。幾百年幾十世代神を守って平穏に過ごして来たと言うのになぜこのような仕打ちをするのか。村人たちは神に絶望し、そんな言葉を吐いたのだった。







「なあ、あれで良かったと思うのか」

「雑談はやめましょうよ」


 津和野も弘樹もガンガンと言う音を響かせながら、緑色のつなぎを汗で濡らしていた。十月などと言う事は関係なく、いつもの風景であった。違う事があるとすれば昼休みに見た映画の話題がある事だけの日常。

 七日間100円で浅野が借りて来た映画はその日常の中に確かに潤いをもたらしていた。


「まあ僕はあれで良かったと思いますよ、あの方が幸せだったと思いますし」

「手厳しいねえ、俺だったらこの工場をクビにされるようなもんだから絶望しただろうけど」

「少なくとも面子なんて物は考えなくてよくなりますし、飢えて死ぬか老いて死ぬかさもなくば喰われて死ぬかのどれかになるだけですよね。まあ人間だって二番目がほとんどなだけで基本的に三つの内どれかですけどね。それが人間にとって幸せか否か、わかりませんよ。僕もいっそ人間じゃなきゃ」


 そうなったらどうなるか、決して多くはない貯金を削りながら次の就職先を求め奔走する事になるだろう。

 それができなければ野垂れ死にか、いいとこ派遣社員である嫁のヒモである。少なくとも男の面子はない。

 生物が基本的に何のために行動しているか、一番身も蓋もない事を言えばそれは己が一族を未来に残す事にある。その為に動物は様々な方向に進化した。そして進化・適応できない種は滅んだ。それが生物の歴史と言う物だ。人間だって生き残り、数を増やすために知能を発展させて来たのだ。


「寂しい事言うなよ、人間には人間の楽しみって奴があるんだ」

「でもあの顔を見てしまうとね」

 弘樹は映画のラストシーンを思い浮かべながら苦笑いを浮かべていた。







 村を救わんとしている相手に対しての罵詈雑言に対する報いは、すぐに出た。


 人造人間に怯え神を呪った者たちは、犬と呼ぶには耳が尖り猫と呼ぶには目が小さく狼と呼ぶには牙が小さく、そしてそのいずれにも似ない紫色の毛色を持った獣に姿が変わって行った。なぜだ、どうしてだと叫ぶ村人もいた。

 だがその叫び声はほどなくして獣の吠える音に変わった。人間にはわからない獣の声で吠え掛かり続ける哀れな獣たちは、無駄な体力の消耗により次々に飢えで苦しみ始めた。


 そして、ほどなくして共喰いを始め出した。獣が獣の肉を喰らい合う凄惨な有様に、人造人間はこの時初めて知った神と言う存在に呪詛の言葉を放った。なぜそこまでしなければならないのか、何の罪を犯したのかと。彼のその言葉に対しても、神はすぐさま報いを与えた。人造人間は強い光を浴びせられて意識を失い、そのまま倒れ込んだ。


 彼が目を覚ますと、そこはいつもの屋敷であり、いつもの少年がいる、いつもの山野だった。一体何があったのか、村人たちはどうなったのか。体を動かしてみるが何の異常もなかった。

 それならすぐさま何とかしなければとばかりに、共食いをやめさせようと食料を持って屋敷を飛び出そうとした人造人間が見た物は、あまりにも異様な風景だった。


 前日に絞首刑に遭っていたはずの人間の男性が鞭を手に取り、紫色の毛を持った獣たちに向かって怒声を上げている。しかも以前かけられたのとは違う、内容のある怒声。

 その事が人造人間の心をおびえさせた。そしてその怒声に従い村の獣たちは、教会へ向かい人造人間の像に向けて礼拝するかのように前足を合わせた。それを怠った者にはまともな食事が与えられない。まるで数年かけてその事が徹底されて来たかのように彼らは整然と並んでいた。


 こんな所に自分が飛び込めばどうなるか。

 非難はされないだろうが、今度は逆に過剰な歓迎を受けそうだ。なぜこうなったのか、他に手はなかったのか。人造人間は、もう一度神を恨みたくなった。だがその時人造人間の頭をよぎったのは、少年の言葉だった。

 どんなに辛い事があってもそれは神様の意志、僕たちはそれを受け入れそして乗り越えなければならない、と。ここで吠えれば少年さえも失ってしまう。そう考えた人造人間は何も言わないまま、少年の待つ屋敷へと帰って行った。


「もうどうしたのそんなに慌てちゃって、何どうしたのあったかいよ」


 自分が守るべき物は何か、その答えを見つけ出した人造人間が少年と抱き合う中、紫色の獣が地に這いつくばって笑みを浮かべる所で話は終わった。







「飼い慣らされた獣として生きる方が幸せだったって訳なんだろうけどさ、何もあそこまでってのが俺の本音だよ」

「でも共喰いに次ぐ共喰いをやってるのは人間も同じですよね。この工場は一種の楽園だと僕は思っていますよ」

「楽園かよ、まあ今日もまた特別な仕事がないのがでかいとは言え定時上がり。その上週休二日。ブラック企業なんてもんから比べればここは楽園だよな、悲しいけどさ」

「少なくとも社畜ではないつもりです」


 定時と言っても午前9時から午後6時までの9時間労働ではあるが、残業を課せられることはめったになく、あっても手当てがちゃんと払われていた。

 下さえ強ければほっといても上は強くなると言う親会社の方針を徹底した結果であったが、それだけでも優秀な企業と言われるのが今の日本の現実であった。


「社畜ねえ、ある意味ではみんなそうかもしんねえけどよ。牧場だって家畜の扱いを間違ったら自分までおしまいだしな」

「扱いを間違えれば自分まで殺される……わかりそうな物ですけどね。まあいざとなれば思い切り吠えかかってやりますよ、僕だって」

 弘樹の両手は、目に見えないブラック企業に向けられるかのように構えられていた。そしてその鼻は、映画に登場した紫色の獣のようにはげしく鳴らされていた。

 風邪かよと言う津和野の問いに、弘樹は苦笑しながら全然と言う二文字を返しただけであったが、津和野を満足させるには十分な反応であった。

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