SF映画

 板金工場の昼休みの娯楽は、ほぼレンタルビデオ屋から浅野が借りて来たDVDを見る事である。

 そして今日は藤平浩輔のライブではなく、二十年ほど前に公開された洋画の吹き替えであった。




 その洋画の主人公は、とあるマッドサイエンティストにより作られた人造人間であった。

 人類に絶望し、破壊と殺戮のために作られた存在。当然ながら全身には兵器が仕込まれており、その力を全開にすれば三百万人を殺せる事が出来ると作中で語られていた。しかしそのマッドサイエンティストが人間への憎悪を吹き込む直前に病でこの世を去ったため、彼は何も知らないままに外の世界に出る事になった。



 そんな彼が最初に出会ったのが孤児の少年であり、見るからに危険な姿形をしていた主人公を、彼はまるで嫌悪感を持たずに受け入れた。人間への憎悪こそなかったが自分の持ち物が危険な物である事は多分に認識していた主人公は、少年に対して親愛の情を持ちつつも自分に近寄らないように必死に警告した。

 だがそれでもなお少年は近寄り続け、やがて人造人間も折れた。


 誰も近寄らない様な山奥にそびえるマッドサイエンティストの研究所に暮らす事になった二人であったが、その生活は不思議とうまく行っていた。

 孤児の少年が近くの山から獲物を見つけて来ては人造人間が内蔵された刃物で切り裂き、やはり同じように内蔵された火炎放射器で焼いた。

 頭部に据え付けられたソーラーパネルによるエネルギーの供給だけでなく、普通の人間同様の食事を取る事ができる人造人間の作る料理は非常に適当な物であったがそれもまた二人の中では好評であり、そして少年の味覚の変化に従い否応なくながら様々な調理法も覚える事になった。代わり映えのしない毎日ではあったが、そんな事は二人にとってはどうでも良い事であった。



 そんな二人の生活に変化が生じたのは、二人が出会ってから一年後の事である。少年の父の兄の妻が、かつての研究所に立ち入ったのである。

 何も迷い込んで来た訳ではない。彼女は両親を失い少年の事実上の保護者となっていた事を盾に、少年をこき使っていたのだ。

 最初は厄介払いができてせいせいしていたつもりだったが、実際にそうなってみると人手の不足による生活の困難が襲い掛かって来た。

 ちゃんと優しく接すれば大丈夫だったと言う現実を棚上げしてそんな事を抜かしているのだからお笑い以外のなんでもないお話であるが、本人は全く真剣であった。


 もちろんこんな勝手なやり方に対し、人造人間は極めて人間的に憤った。だが少年の義理の伯母は人造人間の姿を見た瞬間、口ではギャーと言いながら内心では本人も気付かない間に高らかな笑い声を上げていた。

 あまりにも異形めいた存在と自分を裏切った存在がそれと懇意にしている。本格的に罰を与えるには絶好の理由だ。彼女はここぞとばかりに少年をののしった。字幕では馬鹿とか恩知らずとかなっていたが、実際にはもっとひどいセリフを飛ばしていたらしい。

 人間への憎悪こそ植え付けられていなかったがその物言いが最低クラスの恥辱であることは知っていた人造人間は彼女を、蹴飛ばした。内蔵されている兵器を使って殺さなかったのは、少年から人を殺してはいけないと教え込まれていた事による行為である。その結果彼女は大きく跳ね飛ばされたが、新雪に落ちたためけがはほとんどなかった。




「そんでさ、一緒に暮らしゃわかってくれるんじゃないかってさ、伯母さんを屋敷の中に連れ込んだんだよな。二人とも実に優しくて素晴らしい事だよな。でも相手の程度って奴が問題だったよな」

「それは彼女なりの防衛本能でしょ、そしてある時ついに心が折れてしまったんですよ」


 自分たちを害しようと言う意欲にあふれた存在を受け入れその存在の考えを変えようとすると言う事がどれほど勇気のいる事かは、それを強いられる形となった少年の伯母を見れば明白だった。

 二人から三人の生活になった中、少年の伯母に与えられた仕事はなかった。何もかもが少年と人造人間の間だけで行われ、彼女がするべき仕事は今の甥の境遇を受け入れ静かにする事だけだった。

 だがそれこそが彼女にとってもっとも困難な仕事であり、その仕事をするだけで彼女はぐったりと疲弊してしまった。まあそれが二十四時間休みなしの労働ともなればガタが来ない方が不自然な話であるが、少年から言わせれば僕ができたのになんで伯母さんはできないのと言う話であり、伯母の事を信じているからゆえに発せられた純粋なゆえの残酷な刃を突き付けられた彼女は激しく抵抗し、その刃の切っ先から逃れようと必死にもがいた。恩知らずや化け物と二人を誹り続け、一日中ベッドに寝そべって上から目線の物言いを続け、それに対し二人がどれだけ丁重に答え続けても不満と愚痴をこぼし続けた。



 その生活が終焉したのはひと月後のある日、少年が前の住人が遺していた本を興味本位で漁っていた時だった。労働の邪魔だと言わんばかりにまともな読み書きさえ教えていなかった伯母はその光景を目の当たりにして全身の血が沸騰し、少年を親の仇のように殴りつけた。

 悪い子、けだもの、化け物…ありとあらゆる罵詈雑言をもって彼女は甥をののしり続けた。さすがに人造人間も少年の命の危機を察したが、それでもなお理性を保ち後方から彼女の首を締め上げて手を止めさせた。

 その手つきはあまりにも優しく、あまりにも温かかった。しかし、居丈高に威張り続け何とか精神の平衡を保っていた彼女にとり化け物であるはずの人造人間の手が自分と同じかそれ以上に温かいと言う事実は心に打撃を与えるには十分であり、それが彼女の心の梁を叩き折ってしまった。




「まあ二時間の映画だから今日はここまでっつー事でよ、仕事仕事」


 昼休みの一時間で流される分にはどうしても限界があったが、それでもなお工員たちはこのSFヒューマンドラマを存分に楽しんでいた。

 弘樹さえも、明日流れるであろう後半がどうなるか楽しみになった。中にはそうやって明日もバリバリ働けよなんて言う理屈かよなどと愚痴をこぼす者もいたが、その口調に暗さはなかった。




「元気ですね津和野さん」

「どうだ、お前も踊ってみるか」


 やがて終業時間になり、帰社準備を始めた弘樹の隣で津和野は妙な事をしていた。


 昼休みに流れていた映画の前半ラストのシーン、ついに精神を壊してしまった彼女が笑いながら踊った奇妙な踊りを、津和野がやっていたのだ。他の工員たちが笑ったり拍手をしたりする中、弘樹だけはいささか遠い目で津和野を見つめた。


「なんていうかそれって、人間的じゃないって言うか、野性的ですよね」

「野性的ねえ、確かにそうかもしんねえなあ。でもよ、人間だってもともとサルって言う野生生物だぜ。その点ではあのおばさんもしかりじゃねえのか?」

「あるいは人間ってのは進化するとあの人造人間みたいに何でも使いこなせるようになるのかもしれませんね、もちろん性格も込みで」


 彼は使おうとすれば百万以上の生命を奪える力を、友人である少年のためにのみ使っていた。あれほどまでに素晴らしく正しい力の使い方もそうそう存在しない。

 だがそれは彼がよほど正しくかつ欲を持たずに行動している結果であり、少年もまた多くを望もうとしていないゆえの結果であった。


「まあ金づちで板を叩いている時は集中を強いられますけど正直な話同時にすっともするんですよね。それが自分の手でやってるとしたらもっとすっとするかもしれません」

「お前もけっこう言うようになったな、それでこそうちの工員だぜ」


 弘樹の勤務態度は極めてまじめであり、四年間で欠勤したのは父親の年忌を除けば三日だけだった。もちろん有給休暇を受け取っていない訳ではなかったが、それもまるで規則性のない日にちに消化しており、その間津和野たちと出くわす事もなかった。打ちひしがれた母親を慰めようとしているのだろうとか津和野は勝手に推測していたし、実際に弘樹もそう答えていた。


 同じような日々の繰り返しの中で、ほんの少しだけでも変化が加わるとその事が与える影響は大きくなる。

 テレビの朝の占いで一位になったり家を出る時刻がぴったり00分だったり玄関を出た時に朝日をちょうど真上にあったり、そんなほんのささいな事でも人間は幸福になれるし不幸にもなれる。今回弘樹に起きた変化は津和野にとって明らかに前向きな変化であり、津和野を確実に幸福にしていた。


「津和野さん機嫌いいっすねえ」

「まあなあ、藤弘が面白いジョークかましてくれたからな」

「こりゃ明日は大雨っすかねえ」


 自分をネタにしての無邪気な雑談に、ぎこちないながら弘樹は笑みを返した。その事がますます工場の中を明るくした。馴れ合いやだらけとは違う、温かい空間。


 その空間の一部として弘樹は今、確かにこの工場に存在できていた。


「津和野さんも大変っすよねえ」

「しゃあねよな、所帯持ちはな。カミさんは派遣OLやってるけど今日は休みで、んな日に飲んだくれて帰るのもどうかっつー話だしな」


 現場で働く工員たちの中で家庭があるのは浅野を除けば津和野のみであり、恋人がいるのも三人だけである。一人身と妻帯者ではどうしても住む世界は異なって来る、そして恋人がいるのといないのでも異なって来る。


「まあよ、うちのカミさんも弘樹の事結構気に入ってるし、藤弘がいいってんなら」

「僕は結構です」


 自分でも卑怯だと思っていない訳でもないが、話が飲みに行かされる方向になると藤森は津和野を盾に使う。藤森は下戸と言う訳ではないが、津和野達がおごってやろうとすると一杯も飲もうとせず、無理強いすると皆さんの財布が心配とかなんとか言い出して空気を重くして逃げにかかっていた。

 それでも今ならばある程度空気に馴染んでいたしいけるかと思った工員たちの期待は、静かにかつはっきりと裏切られた。


「まあよ、明日映画がどうなるか楽しみに待とうじゃないかよ」

「じゃあ俺らは軽く一杯ひっかけて帰りますんで、そんじゃまた明日」


 津和野が妻と子どもと今日の昼休みに見た映画の続きを楽しみにしながら帰途に着く中、藤森は眼鏡に照明を映しながら淡々と歩いた。

 そこに突如冷たい風が吹き、津和野が肩をすくめると同時に藤森は両手のこぶしを握りしめ、顔に力を込めた。

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