第5話 背骨骨折?

そうこうしてるうち、何年も過ぎ上司も変わった。体力が保たなくなり、短時間勤務に切り替えてもらった。非正規になった。通院が増えて居づらさの解消のつもりだった。かなり手取りは減っただろうけれど、数字のない世界に生きているからべつによかった。元から給料明細を見ることもあまりなかった。


新しい勤務形態に慣れた頃、背骨が折れた。もう座ることはむずかしいだろうと言われた。寝たきりになれば車椅子に乗れなくなる。それはひとり暮らしの私にとって、生活の崩壊だった。泣いた。声を出すと痛いから、泣くつもりはなかったけれど、勝手に涙がこぼれた。骨が固まる前にまずは座ってみるとリハビリの先生が言った。「きっと脂汗が出るほど痛いだろうから、ダメなら戻すからね?ひとりで起き上がらないようにね。」座れる日を待った。


緊張で眠れない。YouTubeで落語を一晩中聴いていた。あしたになったら骨がついてるかもしれない。そう思いながら、頭のもう片方で、ひとりで寝返りも打てない体で、これまでの人生を思った。なんのために歩く練習をしたのか。足の手術を繰り返したのか。親と離れて施設暮らしでリハビリをし続けたのか?立ってるだけでもやっとの手術前にランドセルを背負う練習をしたのか?靴も履けない足を矯正するよう辛い日々があったのか?重い舗装具をはいたのか?階段の練習も職を得るための英語も無駄だったのか?できないと言われた就職もしない方がよかったのか?こんなことになるなら。元から生まれてこなければ、こんな苦労はない。親だってそう言った。けれど、せっかく、自立したのに。生活保護じゃない。ひとりですべてを回せるようになったのに。家族のために働く日々だった。片親で貧乏すぎた。車椅子だって、せっかく新しいのができてきたばかりなのに、職場の通路幅に合わせて。机の高さにも合わせて。歩けなくてもいい。座れればいい。車椅子に乗れば、家で生活していける。けれど病院では全介助のリハビリ病院への転院が当たり前だった。


救急車から降りたてで救急外来のベットにいる時、今から転院先を探してくださいとメガネの人が言っていた。なぜベットで待っていたかと言えば、大げさに泣いてるだけだと思われたのだった。骨折したての骨はレントゲンではわからない。子供の時にもそうだった。音がするから骨がおかしいのは自分にはわかるし痛い。けれどレントゲン異常なしとなるのだ。この日も座れるはずだから、座れたら帰りましょうとなった。引越したばかりだった。帰りたかった。犬もいる。帰りたかった。でも激痛で大声で泣いたので寝かされた。そしてCTの検査室に連れて行かれた。レントゲンと違って、体の中がよくわかる。食べたオムライスの米粒だってちゃんと見えるのがCTだ。結果、背骨は折れていた。急にみんなが優しくなる。重病人になる。絶対安静のベットが用意される。帰れないと知って、また泣いた。


苦労して車椅子用にスロープを玄関直付にリフォームした。何度も登り降りするためには、緩やかな傾斜が必要だった。仕事だけじゃなく、通院や買い物。ゴミ出しや回覧板。ひとり暮らしの玄関の出入りは、高齢者のお出かけとは違う。介助者なしで毎日何回も出入りする。安全とされる角度は社会福祉協議会の法律で決まっていた。その通りにすれば助成金も出る。数字がわからない私のため、申し込みの時から書類のすべてを書いてくれ、通帳のコピーも渡し、お金の計算と割り振りを考えて、手続き前には持ち物チェックをして、実際の手続きの銀行関係は全部書いてくれた不動産屋さんが、助成金が出るならと、工務店さんにも話しを繋いでくれてあった。けれど、工務店さんには初めての福祉世界。そして社会福祉のベテランたち。「どうしてなんにも教えてくれないんですか!なんのために呼ばれたんですか!」と優しい工務店さんは大声を出して助けを求めた。回を重ね、建築家の先生と工務店さんが、半分喧嘩になりながら、やっと図面ができた。そして、コンクリートをいざ流そうという頃には台風の季節と重なってしまい、6か月ぐらい出来上がらず、団地と新しい家の二重生活を送って、やっと引越した。帰れないなら、たった三ヶ月の子犬は家に置き去りだ。


寝られない夜中に神様に祈った。19歳で聖書に出会ってから、お祈りは生活の一部になっていた。私を創ったと聖書にある。死人も生き返らせることができると聖書にある。その神なら、背骨の一本ぐらい治してほしいとイエスの名前で祈った。胸までのコルセットをはめて、できることはそれだけだった。そして、1ヵ月の入院中にコロナは広がっていた。病院のあちこちにあった消毒液が消えた。面会も制限された。まるで違う星にいるようだった。

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