月が綺麗ですね

 わたしは成人式には参加しなかった。公立の小中学校に通わず受験したわたし達は地域の成人式に参加したところで思い出話を出来る友人などいないから。母校主催の成人式はあるが、そっちに行ったところで結果は同じだ。柚樹も同じ理由で成人式には参加しなかった。一緒にバンドをやっている他の三人は地域の成人式に参加したが、その数日前にわたし達二人の成人を祝う会を開いてくれた。わたしと柚樹にとってはそれが、少し早い成人式だった。


「ちなみに私、今日のために一曲作ってきました」


「マジかよみぃちゃんいつの間に」


「昨日浮かんだ」


「天才かよ」


「打ち込みでパッと作ってきたから共有するねー」


 そう言って、空美がわたし達のグループチャットに共有した曲の名前は『大人になっても』これからもずっとこのまま五人で音楽を続けたいという祈りがこもった曲だった。流し終わった後、彼女は恥ずかしそうにこう言った。「本当はバンド結成二年くらいの頃に作った曲なんだ」と。


「こうやって大人になってもずっと五人でやれたらって、あの頃から思っててさ。でも、いざそれを曲にしたらみんなに聴かせるの恥ずかしくて。結局未完成のままパソコンの中にしまったままだったんだけど、やっぱり、なかったことにするのもなぁって思って」


「……この曲、どうすんの? 形にして次のライブで使う?」


「いや、これは私からみんなへのラブレターみたいなものだから。他人には聴かせたくないかな」


「ラブレターねぇ……まこちゃんにも個人的にそういう曲作ってやったりしてんの?」


 きららがそうニヤニヤしながら空美を突く。まこちゃんというのは空美の彼氏のことだ。幼馴染で、付き合い始めたのは中学生の頃からだが一度も別れずにずっと付き合っているらしい。


「まこちゃんには無いな」


「には?」


「うみちゃんになら一度だけ。ラブソングではないけどね。小さい頃、うちに遊びに来てた時に、帰りたくないってぐずったあの子のために即興でピアノを弾いてあげたの。誰かのために曲を作ったのはそれが初めて」


 ビールを呷りながら、懐かしそうに空美は語る。うみちゃんというのは空美の従妹だ。満の幼馴染でもあり、満とは仲が良い。しかし、わたしはあの女のことがあまり好きではない。王子だなんて呼ばれてちやほやされているが中身は真っ黒だし、満と幼馴染だからとはいえ、距離が近すぎる。本当にただの幼馴染なのだろうか。もやもやしながらグラスを手に取る。口元まで持っていき、傾けると喉を通ったのはただの水だった。ふと横を見ると、柚樹が何食わぬ顔でわたしのグラスを空にしていた。目が合うと「ごめん、間違えた」なんて悪びれる様子もなく笑う。本当に間違えたのか、飲み過ぎだからこれ以上はやめておけと言いたいのか、おそらく後者だろう。わたしは元々、酒には強い方ではないらしいから。今も、満に会いたくて仕方ない。これはきっと酔っているからだ。込み上げる切なさを誤魔化すように、柚樹に身を寄せる。


「俺は満ちゃんじゃないよ」


「……分かってる。そこまで酔ってないわよ」


「そうは見えないけどな」


 なんて苦笑いしながら、彼は私の頭を抱いてあやすように撫でながらグラスを傾ける。双子なのに、彼は私と違って酒に強いらしい。


「……貴方は酒に強いのね」


「……ああ、そうみたいだね。兄さまも実も弱いのにね」


 わたしの何気ない一言に、彼は複雑そうに相槌を打つ。そういえば、柚樹には昔からこんな噂がある。柚樹はじつはわたしの双子の兄ではなく、たまたまわたしと同時期に生まれてしまった父の愛人の子なのではないかと。それを隠すために、わたしと双子ということにしたのではないかと。母はわたしを溺愛していたが、柚樹に対しては冷たかった。だから尚更そんな噂が流れたのだろう。わたしはそんな噂などどうでも良かった。誰の子だろうが、彼はわたしの兄だから。けれど、本人は意外と気にしていたのかもしれない。


「……柚樹、わたしは貴方に感謝してるのよ」


「……何急に」


「貴方が居なかったらわたし、独りぼっちだったもの」


「それは俺もそうだよ。君が居てくれたから俺は生きたいって思えた」


 そう言う彼の顔を見上げる。わたしの方は見ずに、虚空を見つめている。


「……わたしが居たせいで死にたいのに死ねなかったの間違いじゃない?」


 わたしの問い掛けを、彼は否定しなかった。否定はしなかったが少し間を置いて返ってきた「今は生きていて良かったと思ってるよ」という言葉はきっと、本心だろう。表情は見えなかったが、声は穏やかだったように思えたから。


「で? そういう実はどうなの?」

 

「……最初に言ったでしょう。貴方には感謝してるって」


「ああ。……ああ、そっか。なら良かった。その感謝、ちゃんと満ちゃんにも伝えてあげなよ」


「……そうね。帰ったら伝える」


「……いつもなら『あの子に感謝することなんてないわよ』とか言うのに。やっぱめちゃくちゃ酔ってんな。これ以上飲むの禁止ね」


「……」


「……おーい? 実?」


 その先の会話は覚えていない。おそらくそのまま寝てしまったのだろう。

 気づいたらわたしは家のベッドの上にいた。寝返りを打つとベランダに人影があった。明らかに柚樹ではない小さな人影が月明かりに照らされている。床に脱ぎ散らかされた服を拾って着てベランダの窓を開けると、小さな人影は振り返り「今日の月、すげえ綺麗じゃない?」と夜空を指差した。そして少し間を置いてハッとして「今の、愛してるって意味じゃねえからな?」と苦笑いする。


「は? なんの話よ」


「よく言うじゃん。夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねって訳したって話」


「ああ……」


「まあ、都市伝説らしいけど」


「……貴女ならどう訳すの?」


「ああ? 難しいこと聞くな……」


 少し考えるように夜空を見つめた後、彼女は私の方を見てこう言った。


「あんたが望むなら、あんたが飽きるまで側に居てやるよ」


 いつも言われている言葉に思わずドキッとしてしまい、悔しくて目を逸らす。


「……偉そうに」


「私らしいでしょ。で? あんたは?」


「……やらないわよそんな恥ずかしいこと」


「なんだよ人にやらせといて」


「聞かなくても分かるでしょ。……いつも言ってるんだから」


「酔ってると言ってくれないけどな」


「……嘘」


「いや、本当に。酔ってると素直な甘えん坊になるから言ってくれないんだよ」


「なんでちょっと寂しそうなのよ……」


「あんたベタベタに甘えられると調子狂うんだよ」


「そんなにベタベタしてないでしょ」


「いや、してた。好き好き大好きってにゃんにゃん擦り寄ってきてさぁ……まぁ、あれはあれで悪くないんだけど。素面だとほとんど言ってくれねえからなぁ。好きって」


「恋という呪いにかかってるだけで好きじゃないもの」


「ははっ。なんだそれ。意味わかんねー」


「でしょうね」


「分かんねえよ。だってどう考えても私のこと好きじゃん」


「嫌い。大っ嫌い」


 そう吐き捨てると彼女は「やっぱ好きじゃん」と満足そうにふっと笑ってわたしの頭を撫でた。

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