散歩デートの話
普通の恋はもう望まない
満と正式に付き合うことになって間もない頃。
「あ、満お帰り。帰ってきて早々悪いんだけど、つきみの散歩行ってきてくれない?」
「あ? まだ行ってなかったの?」
「バタバタしてて。って、実ちゃん来てたのか。あー……」
「お構いなく。部屋で待ってますから」
「待たなくても一緒に散歩行けば良いじゃん。なぁつきみ?」
名前を呼ばれると、つきみは駆け寄ってきて尻尾を振りながら期待するように満を見上げる。「今から散歩行くよ」と彼女がリュックに物を詰め込みながら言うと「わんっ」と嬉しそうに一鳴きして、走り去っていく。しばらくして戻ってきたつきみは犬用のハーネスを咥えていた。散歩行くという言葉の意味がわかっているようだ。
「……この子、貴女より賢いんじゃない?」
「な。天才だよな」
嫌味を言ったつもりだったが、つきみへの褒め言葉として受け取られてしまったらしい。
「……はぁ」
「あ? んだよ」
「……別に」
「で? 実さんどうすんの。一緒に行く? 家で待つ? 待つなら二、三十分かかるけど」
リュックを背負い、満はわたしに問う。
「……」
「なに? 早く決めてよ。つきみ待ってるから」
「——みたい」
「は?」
「……二人で犬の散歩とか、そんなの、デートみたいじゃない」
「……はぁ?」
何言ってんだこいつみたいな顔をする満。心無しかつきみも同じ顔をしている気がする。
「嫌なら一人で行くけど」
「い、嫌なんて言ってない」
「はぁ? どっちなんだよ」
「だ、だから、その……」
わたしは彼女と付き合う前に、一つ上の女性と付き合っていた。彼女との関係は表には出せなかった。同性同士で付き合ってると周りに知られたら差別されるから。家の近所でのデートはなるべく避けていた。学校で噂になったら困るから。周りから疑われても友達だと誤魔化した。『そんなわけないでしょう』『ただの先輩よ』そう誤魔化すたび、心が死んでいく気がした。あんな思いはもう二度としたくない。
「……はぁ。もう。めんどくせぇなほんと」
彼女は言葉に詰まるわたしにそうため息を吐くと、つきみに「行くよ」と声をかけて、ハーネスの紐を引く。そして「あんたも」と私の腕を引いて無理矢理連れ出す。
「えっ。ちょ、ちょっと」
「時間切れ。つきみは賢いし偉いからあんたが動き出すまで待ってくれるけど、いつまでも待たせてたら可哀想だろ。ほら、紐持って」
「は? な、なんでわたしが……」
「良いから。離すなよ。絶対離すなよ?」
離すなよと念押しをする彼女に何か嫌な予感がしていると、彼女はしゃがみ込んでつきみに「いつもの公園に向かって走れ」と命令した。つきみは了解したと言うように「わんっ!」と一鳴きして、走り始める。持っていた紐が思った以上に強い力とスピードで引かれ、走らざるを得なくなる。
「は!? ちょ! ま、待って!?」
「はははっ。ほら、実さん。走らないと置いてかれんぞ」
満は楽しそうに笑いながら私達と並走する。この女。本当に最悪だ。文句の一つでも言ってやりたいが、息が上がって上手く言葉が出ない。
「あ、貴女……ねぇ……! きゃっ!」
勢いよく走っていたつきみが急に止まり、勢い余って転びそうになる。すると満が一切動じることなく腕を伸ばし、わたしを抱き止める。悔しいが、その冷静すぎる対処に思わずときめいてしまう。彼女もそれに気づいたのだろう。わたしを見て「あんたほんと私のこと好きだよな」と小馬鹿にするようにフッと笑う。
「だ、誰が貴女のことなんて!」
ムカつく。本当にムカつく。しかし、つきみは何故急に止まったのか。その答え合わせをするように、目の前を車が横切る。向かい側の歩道には赤になった歩行者信号。ついて行くのに必死で見えていなかった。
「……信号まで理解してるのね」
「赤が止まれ、青が進めってところまでは多分理解してないよ」
「でもちゃんと止まって待ってるじゃない」
「色に関係なく信号があれば一時停止して指示を待つように教えてるんだ。だから青でも一旦止まるし、止まったら指示があるまでは動かないよ」
信号が変わったが、満の言う通りつきみは動かない。指示を仰ぐように満の方をじっと見ている。
「つきみ、ゴー」
合図を受けると、先ほどと変わらないパワーとスピードでまた走り出した。満の言うことは素直に聞くくせに、もう少しスピードを落とせというわたしの指示は一切聞いてくれない。
「ねぇ! 貴女から言ってよ! もうちょっとスピード落とせって!」
「しゃあねぇなぁ……」
並走していた満が少しペースを落とす。それに気づかず走っていたつきみだが、満がついてきていないことに気付くと一旦止まった。振り返り、追いつくのを待ち、満の走るペースに合わせてまた走り出す。
「これくらいで良い? まだ速い?」
「散歩っていうか、これじゃあもうランニングよ!」
「はー。わがままだな……」
満が走るのをやめて歩き出すと、つきみもそれに合わせて歩き出す。これでようやく落ち着ける。
「実さん、ほんと体力ないよね」
「貴女が体力馬鹿すぎるのよ……」
そこから一、二分歩いて、公園に着いた。満の家からはそこまで距離はなかったが、走ったせいで疲れた。
「ちょっと待ってて」
そう言って満はリュックをわたしに預けて、走っていく。その先には自販機。ベンチで座って待っていると、ペットボトルを二本持って戻ってきて一本をわたしに投げ渡す。しかし、上手く取れずに落としてしまう。手渡ししてよと彼女に文句を言いながら拾いに行こうとすると、つきみが咥えてわたしのところに持ってきてくれた。
「……ありがとう」
お礼を言うと、つきみは座り込み何かを催促するようにわたしを見上げる。
「撫でてやってよ。良い子だねって」
満に言われた通り、つきみの頭を軽く撫でてやる。すると彼女は嬉しそうに口角を上げ、自ら身体をわたしの手に擦り付けてくる。わたしの言うことを聞かずに容赦無くわたしのことを引っ張ってたくせにという怒りはもふもふな感触に全て吸い込まれていく。
「こんな可愛くて健気な奴をダンボールに突っ込んで置き去りにする奴の気がしれないよな」
満は語る。つきみは元々捨て犬だったのだと。そうは思えないほど人好きなのはきっと、月島家で充分すぎるほどの愛情を受けて育ったからなのだろう。
「さてと。つきみ、遊ぼうか。実さんはそこで休んでて良いよ。リュック持ってて」
リュックを預かり、ベンチに座ってボールで遊ぶつきみと満を見守る。あれだけ走ったのによく遊ぶ元気があるなと呆れていると「あなた、満ちゃんのご親戚かしら」と、パグを連れた中年女性が話しかけてきた。答えに困っていると、満が戻ってきて女性に言う。「その人、私の恋人っす」と。隠すようなことでもないと言わんばかりに。サラッと。
「あら。満ちゃん恋人居たの。恋愛に興味無いと思ってた」
女性の口からは否定の言葉は一切なく、会話がスムーズに進んでいく。思わず「驚かないんですか」と聞いてしまった。すると女性は言った。「私も彼女居るから」と。見せてきた写真には仲睦まじく写る中年女性が二人。
「……すみません」
「……色々あるよね。分かるよ。おばちゃんもたっくさん悩んだし、たっくさん傷ついてきたから。でも……私みたいなのは案外たくさん居るのよ。みんな、言えないだけ」
大丈夫よと、女性はわたしにハンカチをくれた。
「……実さん。私は誤魔化さんよ。あんたが私の恋人だってこと、隠さないし、隠さなくて良い。むしろ周りに自慢してくれよ。こんな可愛い彼女なんだからさ」
彼女のその言葉に、最後の一言さえなければと呆れることも出来ないほど、心臓がときめく。悔しくて「貴女のどこが可愛いのよ」と悪態を吐くが彼女はその反応を待っていたと言わんばかりに楽しそうに「主に顔」と笑う。そしてつきみに同意を求める。つきみはまるで同意するように一鳴きした。
「中身はちっとも可愛くない」
「顔が可愛いのは否定しないんだ?」
「……うるさい。バーカ」
普通になりたいと願っていたあの頃のわたしならきっと、女性のその優しさを素直に受け取れなかっただろう。貴女は恵まれているんだと彼女に嫉妬心をぶつけていただろう。だけど、今のわたしは違う。ナルシストで、自分勝手で、ドSで——決して、周りに自慢したいと誇れるような人ではないけれど、わたしを心から大切にしてくれる。全力で守ってくれる。恋という彼女にとっては不可解で、わがままな感情を受け止めてくれる。そんな恋人が、今のわたしには居るのだから。
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