飽きない人
梢さんと話をして数日後、梢さんとタケからほぼ同時に『お付き合いすることになりました』との報告が来た。個別におめでとうと返信をした直後、全く関係ない別のところからメッセージが届く。伯父からだ。内容は見なくても察したが、一応確認する。『来週の土日ヘルプ入れる?』とのこと。伯父はメイド喫茶を経営しており、たまに手伝いに駆り出される。メイド服といってもいわゆる萌えを意識したものではなく、クラシカルで上品なタイプのメイド服だ。丈が長めで、露出も少ない。客層も女性の方が多い。の割には、従業員には萌えを意識したようなぶりっ子キャラを要求してくる。しかし、最近は客のアドバイスで方針を変えたらしい。もうぶりっ子キャラを演じなくて良いのかと期待したが、私には今まで通りのキャラでいてほしいらしい。なんでだよ。私もぶりっ子卒業させろよ。
断わろうと思えば断れるが、報酬が良い上にたった一日だけなのでつい食いついてしまう。金に執着しているわけではないが、稼いでおいて損はない。
そんなわけで土曜日。私はメイド服を着てビラを配らされていた。従業員が外でビラ配りをしていると絡まれることがよくあるらしき、トラブルを避けるために伯父が直接配っていたが、やはり可愛い女の子にやらせた方が客の食い付きが良いらしい。『満なら可愛いから目引くし、絡まれても平気でしょ』と、親指を立てて私にビラを渡してきた伯父を見る従業員達の冷ややかな視線が忘れられないが、まぁ実際、その辺の不審者くらいなら軽くいなせるから問題はない。
『うわ、あの子可愛い』
『マジだ。メイド? この辺メイド喫茶あるんだ』
声が聞こえてきた方を見ると、大学生くらいの男性二人組のうちの一人と目が合い、近づいてきた。厄介なことになる気がしたが、とりあえずビラを渡す。
「よろしくお願いしまぁす」
「君もここの従業員なんだよね」
「はい。といっても、私は今日はお給仕はお休みなんで、お店に戻ることはないんですけどぉ」
「萌え萌えキュンみたいなやつ、やるの?」
「あー。うちはそういうのはやらないですぅ。でも、お料理はちゃぁんと、ご主人様方のことを想って、愛情と真心を込めてお作りしてますよぉ。美味しくなぁれって」
まぁ、料理を作っているのはほとんどメイドではなく
「ちなみに君はか「ちなみに私のおすすめはこのハンバーグなんですけどぉ「あー……えっと……」
分かっている。男性達はただ私と話したいだけで、店に入る気などない。しかし、鈍感なふりをして、男性の言葉を遮ってひたすらおすすめのハンバーグについて語る。
「ですからぁ、宜しければ是非食べていってくださると嬉しいですぅ」
とびっきりの笑顔でそう言ってやると、男性は「いやぁ……はは……」と曖昧な返事をして目を逸らす。
「あ……すみません。もしかして、お腹いっぱいでしたかぁ?」
「うん……まぁ……」
「すみません。本当に美味しいから一回食べてもらいたくてついぐいぐいと……またお腹空いてる時にいらしてください」
ハンバーグが美味いのは事実だ。
「ち、ちなみに、君が給仕をするのはいつなの?」
「んー。分かんないですねぇ。私は人が足りない時だけの助っ人要員ですからぁ」
「そう……なんだ……」
あからさまに残念そうな顔をする男性達。あまり本気で惚れられると厄介だ。とはいえ、本性を出すわけにもいかない。いっそ、少しでも手を出してくれれば容赦なく拒絶出来るのだが。
「じゃあ、今日の仕事終わるのは何時なの?」
「えっとぉ?」
「良かったらお茶でもしない?」
最初に目があった方の男性が急に距離を詰めてきた。もう一人の方がぐいぐい行きすぎだろと彼を制そうとするが、彼は止まるどころかさらに私と距離を詰める。
「俺、君に一目惚れして。目があった瞬間、雷に撃たれたみたいな衝撃が走って。あの、守ってあげたいなって」
今時そんな口説き方するやついるんだ。守ってあげたいって。そんなひょろひょろの腕して言われても。連れの男性も引いているが、呆れるだけでそれ以上は止めようとはしてくれない。友人なら止めてやってくれよ。
「ごめんなさぁい。私はメイドなのでぇ、ご主人様との恋愛は禁止されてるんですぅ。身分が違いますからぁ」
「仕事が終わったらメイドじゃなくなるだろう!?」
まぁ確かにそうだけど。しかし、メイドではなくなるということは素に戻るということで。どうせ彼もそれを見たら幻滅するのだろう。一目惚れとか言ってくる連中は大体そうだ。見た目に惚れたくせに何故中身で冷めるのか、私には理解できないが。中身を知らないからこそ見た目のイメージで期待してしまうのだろうか。
さて、どうしたものか。ビラ配りを始めていきなりこれとは。自分の可愛さが憎い。行き交う人々は騒がしいなと一瞥するものの、見て見ぬ振りをするばかりで、助けてくれるお人好しなんて——
「あ、あああああの! め、メイドさん! 困ってます! よ!」
居た。声をかけてくれたのは、気弱そうなオタクっぽい少女だ。どこかで見たことあるような気がする。男性達が少女の方を見ると、少女はカバンの紐を握りしめて視線を彷徨かせながらぶつぶつと小さな声で抗議する。
「は? なんだよお前」
「だ、だから、その、メイドさん、こま、困ってる、から……その……」
「あぁ!? はっきり喋れよ気持ち悪いなぁ!」
「ひぃっ! す、すみません!」
男性が少女に向かって拳を振り上げる。私は咄嗟に少女の前に出て、その拳を受け止める。
「は……えっ……ちょ……力、強……」
「鍛えてるんですぅ。メイドたるものご主人やお嬢様方を守らないといけませんからぁ」
まぁ、そんな設定はないが。私以外の従業員は大体、守られる側にいるか弱い女の子だ。
「というわけでご主人様、私のことは守っていただかなくて結構ですぅ。おかえりくださぁい」
男性の手を離す。彼が連れの男性に連れられて気まずそうに去っていくのを見届けたところで、少女が「怖かったぁ」とその場にへたり込んだ。
「助けていただいてありがとうございましたぁ。お嬢様」
「えっ。あ、あぁ、い、いえ……全然お役に立てなくてすみません……むしろ足手まといで……守ろうとしたのに守られて、情けないですね……はは……」
「そんなことないですよぉ。お嬢様が囮になってくれたおかげで、お店のイメージを傷つけることなく追い払えたので」
「普段のあなたなら普通に投げ飛ばしてたものね」
「投げ飛ばすなんて、そんなことは……って、うわぁ!?」
急に誰かが会話に入ってきたかと思えば、そこに居たのは実さんだった。どうやら私を助けてくれた少女——
「ていうか……あれ? メイドさん、どこかで……あっ!」
「な、なに。どうしたのよ」
「思い出しました! メイドさん! 前に会ったことありますよね!」
「うん? 私とですかぁ?」
「えっ、えっと、これ!」
新芽さんが見せてきたのはストラップ。アイドルドリームの
「ふぅん。知り合いだったの」
「知り合いっていうか、まぁ、うん。素知られてんなら演じる必要ないか……あの時はありがとうございました」
「こ、こちらこそ。でも、一条さんのお友達だったなんて」
「友達じゃないわ」
「えっ、違うんですか?」
「えぇ。彼女はわたしの……こ、恋人……よ」
「……なんで今更照れてんだよ。もう二年近く経つのに」
「う、うるさい! 大体、なんなのよその格好!」
「何って、メイド服だけど」
「メイド喫茶で働いてるなんて聞いてない!」
「言ってないからな。てか、正式な従業員じゃないんだよ。たまに手伝わされてるだけで」
「手伝わされてる?」
「そこ。伯父が経営してる店。はいこれ。よろしければお友達連れていらしてくださぁい」
新芽さんと実さんにビラを一枚ずつ渡す。
「……まだ全然余ってるじゃない。いつからやってるの?」
「まだ三十分くらい。手伝ってくれるんですか? お嬢様」
「お嬢様はやめて」
と文句を言いながら、彼女は私の手からビラを適当に数枚持っていき、通行人に配り始めた。
「ぼ、ぼくも、手伝った方が良いですか? あ、えっと、こっちの用事は終わって、もう解散するところだったので。ぼくも——あ、わ、私。私もこの後暇なので……接客は苦手なんで、力になれるかは分からないですけど……」
戦力外なのは実さんも——と、思ったが意外とビラのハケが早い。そういえば、彼女はバンドをやっている。意外と慣れているのかもしれない。
『えっ! 待って、あれ、一条実じゃない!?』
『誰? 有名な人?』
『いや、全然マイナーなバンドのヴァイオリン担当の人。でも、あたしはこれから有名になるって確信してる』
『なにそれ』
『マジで良いんだって! 特にヴァイオリンがレベル高いんだけど、それ以外も全然負けてなくて! あれはもうプロだよ!』
『バンドにヴァイオリン? へー。初めて聞いた』
『後で動画送るから見て』
『おー。見てみるわ』
二人組の女性に声をかけられ、握手をする実さん。どうやら二人のうち一人は彼女のファンらしい。私もたまにライブに行くが、女性ファンの大半は柚樹さんか静さんを目当てに来ている気がする。見る目あるな。あの人。と思っていると、実さんと目が合い「なに?」と近づいてきた。
「いや、見る目あるなって」
「は? なにが」
「あんたのファン」
「……は? 何よそれ」
褒めたのに不満そうだ。何故。と首を傾げると「妬いてほしかったんじゃないですか」と新芽さんが私に耳打ちをする。
「新芽、余計なこと言わないで」
「す、すみません」
「ふん」
追加のビラを持ってぷりぷりしながら行ってしまった。そういえば、実さんのファンの女性が動画を送ると言っていたことをふと思い出す。絡まれることが原因でビラ配りができないならいっそ、やらなくても良いのではないだろうか。こんなアナログなやり方をしなくても宣伝する方法はあるのだから。
「満、無くなったわよ」
「ありがと。私もなくなった。新芽さんも、ありがとうございました」
「い、いえ。お仕事、頑張ってください」
「はい」
「実さんももう帰って大丈夫だよ。手伝うとか言って、私が心配だから側にいてくれたんでしょ? ありがとね」
「な……そ、そんなわけないでしょ! 誰が貴女の心配なんて——「じゃ、お疲れー」ちょ、ま、待ちなさい! 話を聞きなさい! 満!!」
わーわーと騒ぐ彼女をスルーして、裏口から店に戻ってキッチンに居る伯父の元へ。
「終わった」
「おう。お疲れ。今日はもうあがっていいよ」
「中は良いの?」
「おう。今日は人足りてるから。……お客さんから聞いたよ。絡まれて困ってたって。悪かったな。お前なら平気だろとか言って」
「あー……いや、別に恐怖で動けなかったとかそういうのじゃないけどさ、店の看板背負ってたらやっぱり大人しくした方が良いかなって」
「お前でもそういうこと考えるんだ」
「あ? んだよ。ボコって良かった?」
「いや、駄目です」
「だろ? これでも真面目なんだよ私。制服着てる時は暴れないようにしてるし」
「……校内で暴れ回ってるって聞きましたが」
「中はいいんだよ中は。イメージ悪くなるの私だけだし」
「いや、問題児が居るって噂になってるから……」
「居るだろ問題児の一人や二人くらい。てか、誰から聞いたのそれ」
「友人から。娘が青商生なんだと。そういう話は聞いたことないって誤魔化したけど絶対お前のことだろうなって思ったよ」
「ちなみにどんな噂?」
「男子を背負い投げしたとか」
「あー。よくやる」
「だろうな。ちなみに見た目だけはめちゃくちゃ可愛いって褒めてた」
「ほう。ならば許そう」
「ちょろいな」
「心が広いと言え。じゃ、お疲れさん」
更衣室に戻り着替えてからビラ配りのことを相談するのを忘れていたことに気づく。
「……後でメッセージ送っておけばいいか」
戻るのをやめて、荷物を持って裏口から店を出る。実さんが待ち構えていた。
「うわっ。出待ちするなら一言くれれば良いのに」
「……話の途中で逃げたじゃない」
「メッセージ送ってくれればいいじゃん」
「送った」
確認する。確かに来ていた。スタンプで謝罪すると睨まれてしまった。
「……いつもあんな感じで絡まれてるの?」
「いや、そんなことはないけど……店内よりは絡まれる確率高いから、従業員は嫌がるんだと。んで、私なら平気だろって」
「は? なにそれ」
「悪かったって言ってたし、別に私は怒ってないよ。心配してくれてありがとね」
「するわけないでしょ。貴女の心配なんて」
そっぽを向く彼女だが、握られた手は離れる気配はない。
「私の心配するとか、あんたくらいだよ」
「してないって言ってるでしょ」
「はいはい。ありがとね」
「だから……! はぁ……もう良い」
「んで、メイド姿の満ちゃんはどうでした?」
「媚びてて気色悪かった」
「素の私が好きと」
「はぁ……嫌い」
「私は好きですけど」
そう言うと、彼女は足を止めた。
「あっ。あんたのことじゃなくて自分のことね」
そう補足すると、彼女は顔を真っ赤にして私を睨み「もう!」と手を振り払ってぷりぷりしながら先を歩いていく。
「あははっ! ちゃんとあんたのことも好きですよー」
「うるさい! ばーか!」
バーカバーカと、子供のような幼稚な罵倒を浴びせてくる彼女の後ろを歩きながら、私達はきっと何十年先でもこんなやり取りを繰り返しているのだろうなと思った。
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