梢さんの本音

 それから数日後。うみちゃんにくるみを連れ出してもらい、梢さんの家で話をすることに。


「びっくりしたよ。私と二人きりで話がしたいなんて。彼女、怒らない?」


「怒られました。けど、浮気じゃないことは理解してくれてるから」


「そう。……それで? くるみや大樹くん達には言えない話ってなに?」


「タケのこと、どう思ってんだろうって思って」


「……大樹くん? なんで?」


「くるみの父親の話、あいつだけに話したらしいじゃないですか」


「あぁ……うん。……聞いても楽しい話じゃないよ」


「別にあいつだけずるいから私にも話せとか、そういうのじゃないです。ただ、なんでなのかなって。なんで、あいつなんだろうって」


「……たまたまだよ。たまたま……誰かに話したくて、浮かんだ顔が彼だっただけ」


「ふぅん。……私の友人の話なんですけど」


「うん」


「友達から恋愛感情を向けられて、それが嫌で……相手の気持ちに気づいていながら気付かないふりをして『私達は友達だよ』って相手に言い聞かせてたんです」


「……そうなんだ。残酷なことするね」


「あんた、タケに似たようなことしてません?」


 そう指摘すると、彼女はあからさまに私から目を逸らす。


「……そんなことしないよ。大体、大樹くんは私のことなんて……」


 そしてそのまま目線を合わせずに言い淀むようにごにょごにょと喋る。


「嘘吐くの下手ですね」


「う……」


「恋愛感情を向けられるのが嫌なら、あいつにだけ重い話を打ち明けるなんて特別扱いするような真似は逆効果だと思いますけど」


「……うん」


「これは私の推測なんだけど、本当は追いかけてほしくてわざと突き放してるんじゃないですか?」


「……満さん、恋愛感情が分からないとか嘘でしょ」


 どうやら図星らしい。意外と素直だ。これ以上は誤魔化して無駄だと思ったのだろうか。それとも、私に何かを期待しているのか。相変わらず目を合わせようとはしてくれない。


「分かんないというか、共感が出来ないんです。自分の中にはない感情だから。けど、物語や現実の人間を観察して、なんとなくは分かってきました。少女漫画では綺麗なものとして描かれがちですけど、実際はわがままで、醜くて、矛盾だらけで、理屈ではどうにもならない超絶めんどくさい感情だと思うんですよね」


「……うん。そうだね。その通りだと思う。私も恋は綺麗なものだとは思わない。……正直、無い方がいいと思ったことは何度もあった。……きっと、無い人は無い人で色々と悩んだだろうからこんなこと言うのあれだけど、正直、恋をしない満さんが羨ましい」


「私は別に気にしない。よく言われるし。けど気にする人も居るかもしれないからアロマンティックの人の前では言わない方がいいかもね」


「うん。そうだよね。ごめん。気をつける」


「私は気にしてないってば。私も昔は恋を出来る人が羨ましかったけど、今は無くてよかったって思ってるんですよ。羨ましかったのは恋という感情そのものじゃなくて、尊重しあえるパートナーの存在で、無くても出来る相手が見つかったらやっぱ要らねえなって最近気づきました」


「そっか」


「私は恋というわがままな感情故の行動に共感することはどうしても出来ません。でも、共感できないだけで、恋をする人間の考えを受け入れられないわけじゃないから。そもそも、考え方も性格も生まれ育った環境も違う他人と共感出来ないことがあるのは当たり前ですし」


「……君、本当に高校生?」


「実は千年以上生きてる吸血鬼です」


「やっぱり。文化祭のあれは演技じゃなかったんだ」


「冗談なんだからつっこめよ」


「ごめん。……ふふ」


 緊張が解けてきたのか、ようやく笑顔を見せる梢さん。目が合うと逸らされてしまうが、少し沈黙したあと胸の前で手を握って、俯いて、深く息を吐いて、私を見る。しかしまた俯いてしまう。急かさず待っていると、俯いたままぽつりぽつりと少しずつ言葉をこぼす。


「くるみを産んだのは高校生の頃で……高校は中退してて、父親はいない。この情報だけで、君くらいの歳ならもう大体察するよね」


「はい」


「……お察しの通り、高校を中退したのは妊娠が原因。父親は……妊娠したことを伝えると『バレたら仕事が無くなるから堕ろしてくれ』って言ってきて」


「仕事?」


「彼は教師だったんだ」


「あー……生徒に手出すとかクソだな」


「うん。今なら私もそう思う。けど当時の私は、誰にも言えない秘密の恋に酔ってた。純愛だって信じて疑わなかった。だから私は秘密の恋と、それから、先生を守るために自ら学校を辞めたの」


「……そいつは今ものうのうと教師やってんの?」


「……ううん。くるみが生まれてしばらくしてから逮捕された。他の女の子にも手出してたみたい。……そんなクズを守るために自分を犠牲にして、馬鹿みたいでしょ?」


「……そうだな」


「そんなことないとは言ってくれないんだ」


「悪い。嘘吐くの苦手なんだ」


「そうは見えないけどな。けど……ありがとう。下手に気を遣われるよりは良い。……本当に馬鹿みたいな考えなんだけど、あの子が居たら帰ってくる気がしたの。彼が。私はそんなクソみたいな理由であの子を育ててた」


自嘲するように笑う梢さん。それは責められるようなことだろうか。くるみが愛されて育ったのは彼女を見ていればわかる。偽物の愛情で育ったとは思えない。


「だとしても、くるみに対する愛情が偽物なわけではないんでしょう?」


「……どうしてそう思うの?」


震える声で問う梢さん。打算的な理由で彼女を産んだことを責めてほしいのだろうか。そうだとしても、私は責めたくない。責める理由なんてないと私は思うから。むしろ彼女は立派だ。学校を辞めてまで一人であの子を育てて。


「くるみを見ていればわかりますよ。あの子、変なところで気を使うことはありますけど、愛されてなかったらもっと良い子ぶってると思うんです。好かれるために。くるみは結構わがまま言ったり悪戯したりしますからね。ああいう子供らしいところ見てると、それが許されるような環境で育ったんだろうなって思います。かといって、善悪の区別がついていないわけでもないですし……甘やかすだけじゃなくて、叱るところはちゃんと叱ってるんだろうってことも分かります」


「……」


 黙ってしまう梢さん。しばらくすると、泣き始めてしまった。ポケットティッシュを差し出す。


「……くるみには父親が居なくて、周りの大人から私のことで心無いことを言われて……きっと私のせいで、たくさん辛い思いをさせてるんだろうなって……そう、思ってたんだけど……君達からはそう見えるんだね」


 震える声で泣きながら語る彼女。君達ということは、タケにも同じことを言われたのだろうか。問うと彼女は頷いた。


「優しいよね。大樹くんも、君も、あの二人も。くるみが懐くわけだ」


「懐かれすぎてちょっと困ってますけどね」


「ふふ……満さんは特に人たらしだよね」


「私が?」


「人助けもいいけど、彼女さんも大事にしなきゃ駄目だよ。吸血鬼さん」


「分かってますよ。あと、吸血鬼じゃないっす」


「ふふ……でも、わざわざ聞きにきてくれてありがとう。満さんの言ったことは本当。私は……大樹くんが好きだし、追いかけてきてほしかった。でも、怖かった。また裏切られたらって思うと。追いかけてきてほしいけど、追いかけてこないでほしかった。友達のままでいたかった。そんな矛盾した気持ちでぐちゃぐちゃになってた。……自分じゃどうしようもなかった。だから……本当に、ありがとう」


「あいつはあんなんですけど、根は真面目ですよ。子供が出来たから逃げるようなクズとは違う。けど、複雑な恋心に気付けるほど鋭くはないんで、本音は言葉にして素直に伝えるしかないと思います。今ならまだ間に合いますよ」


「……うん」


「ないとは思いますけど、万が一あいつになんかされたら言ってくださいね。しばくから」


「お、お手柔らかにね?」


「ははは。じゃあ、私は帰ります」


「あ、送っていこうか」


「大丈夫です。ちょっと寄るところあるんで。じゃ、さっさとタケと仲直りしてくださいねー。いつまでも気まずいの嫌なんで」


 時刻は三時前。おやつにはちょうど良い時間だ。並ばずに買えたらの話だが。

 梢さんの家を出て、うみちゃんに連絡を入れてから店へ向かう。店の外にできていた列に並び、頼まれていたプリンを買って、今から行くと連絡を入れて彼女の家へ。玄関の鍵は開いており、キッチンの方からコポコポと音が聞こえる。覗くと、ちょうど彼女がコーヒーを淹れていた。


「実さん。プリン買ってきたよ」


「ありがとう。貴女もコーヒー飲む?」


「うん」


「座って待ってて」


 テーブルの上にプリンを置いて待っていると、彼女が二人分のコーヒーを持ってきて私の隣に座る。


「……それで? 問題は解決したの?」


「まぁ、一応。後は彼女次第」


「……そう。お疲れ様」


「うん。ありがとね。許してくれて」


「……わたし以外の人にも優しい貴女が嫌い。その優しさはわたしだけに向けてほしい。けど……その思いは貴女には理解出来ないし、重荷になるんでしょう?」


「そうだね。恋人なんだから自分だけに優しくして欲しいって気持ちは私には理解出来ない。優しくした結果恋愛感情を向けられたとしても、私はそれに応えることはない。あんたとそういう約束したから」


「恋愛感情を向けられてること自体が嫌なの」


「そんなこと言われたら外出歩けねぇよ」


「そうね。見た目だけは良いものね貴女。本当は家に閉じ込めておきたいくらい。監禁しても自力で脱走しそうだけど」


「する。鎖で繋がれたり鍵かけられたりしたら流石に無理だけど」


「鎖くらい引きちぎれるし壁くらいぶち壊せるでしょ貴女なら」


「私をなんだと思ってんだよ。魔物か?」


「とにかく……流石にそんな非人道的なことは出来ない。だからこの先も貴女と付き合っていくならわたしが我慢するしかない。悔しいけど、わたしは貴女じゃなきゃ駄目だもの。貴女と違って。貴女と違ってね」


「二回も言うなよ」


「大事なことだから。……ムカつくけど、割り切るしかないって分かってる。貴女がカウンセラーになるなら尚更。それに貴女は、誰でも良い中でこんなわたしを選んでくれた。嫉妬深くてめんどくさいこんなわたしを。わたしじゃなくても良いくせに」


「なんだかんだであんたの隣が居心地良いから」


「……なによ。めんどくさいとか言うくせに」


 彼女はいつものように「大嫌い」と言いながら私の肩に頭を寄せる。だけどその声は言葉とは裏腹に温かく、優しかった。

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