罵り合うほど
満には、マツ、タケ、ウメと呼ばれる三人の男子大学生を筆頭に何人もの舎弟がいる。彼らのほとんどが満に対して敬愛の念を抱いているが、中には恋愛的な意味で惚れている人も少なくないらしい。
「あんた、満姐さんの恋人なんだって?」
今、目の前でわたしを睨みつけている柄の悪い金髪女もその一人だろう。歳は満より下に見える。下手したら中学生かもしれない。面識は無いが、向こうは一方的にわたしのことを知っているらしい。満の恋人として、満の舎弟の間で広まっているようだ。
それにしても、街で歩いているところをいきなり廃墟に連れ去って椅子に縛り付けるなんて。野蛮なことをするものだ。
しかし、わたしを連れ去ったのが満を慕う人間だと分かって、今ほっとしている。満を慕っている人間なら、なんだかんだで悪い人ではないはずだから。
「そうだけど、何? 気に入らないからボコろうってわけかしら」
「いや、別にボコったりはしねぇよ。気に入らねぇけど、一応あの人の女だからな」
「……なら、離してくれない?」
「悪いがそれは無理だ」
そう言うと彼女はスマホを取り出して弄り始める。しばらくして『どうしたアスカ』と満の声がスマホから流れる。アスカと呼ばれた少女は無言で私にスマホを向けた。少女のスマホに映る満が『何してんの』と苦笑いする。
「知らないわよ。その子にいきなり攫われたの」
『あぁ? 何。囚われのお姫様ごっこ?』
「ごっこじゃないです」
金髪少女はそう言うとスマホをスタンドに乗せてわたしの方に向け、どこからかカッターナイフを取り出し、わたしに突きつけた。それを見ても満は顔色一つ変えない。しかし、和やかな雰囲気が一変し、緊張感が走る。
『私を呼び出したいのは分かったから今すぐその物騒なもん降ろせ』
「……じゃあ、今すぐ来てください」
『言われなくても今すぐ行く。その人のこと傷つけんなよ』
電話が切れる。カッターナイフを突きつけられたが、刃は出ていなかった。そもそも入っていなかった。わたしを傷つける気など一ミリもないのだろう。
「何がしたいの。貴女」
「……あたし、フラれてんだよ。あの人に。その時あの人言ったんだ。『私は誰も好きにならない』って。『誰のものにもならない』って。なのになんで……」
膝を抱えて泣き出してしまう少女。満に対する
レズビアンであることを堂々と宣言出来る空美の従妹に嫉妬して、小桜さんに手を出そうとしたわたしよりよっぽど綺麗な心をしている。
「……満は変わってなんかいない。今もあの子は誰のものでもないわ」
「……あんたはあの人の恋人なんだろ」
「ええ。そうよ。けど、恋人のわたしでもあの子の心を独り占めすることは出来ない。わたしはあの子に惚れてるけど、あの子はわたしに惚れてないもの」
「……満さんは人の恋心を弄ぶような人じゃねぇよ」
「そうね。とても真摯に想いに応えてくれたわ」
「何が言いたいんだよあんた……」
「……満はわたしじゃなくても良いの。きっと、貴女でも良い。貴女の方が良いかもしれない。けど、わたしは満じゃなきゃ駄目。だから、貴女に恋人の座を譲る気はないわ」
「……なるほど。喧嘩売ってんのか」
「先にふっかけてきたのはそっちでしょう」
「っ……」
彼女が手を挙げようとした瞬間、慌ただしい足音が近づいてきた。バァンっ! とドアが蹴破られる。
「で? 何の真似じゃ。アスカ。実さんを人質にとって呼び出すくらいじゃけぇ、相当、大事な用なんじゃろうなぁ」
可愛らしい容姿に似合わない悪人のような笑みを浮かべながら、ドスの効いた声で彼女は言う。方言が出ている。本気で苛立っているようだ。
「……満さん、言いましたよね。『私は誰も好きにならない』って」
「恋愛的な意味では。な。実さんに対しても例外じゃない」
「じゃあ何で恋人なんですか」
「彼女がそう望んだから」
「それならあたしだって……!」
「……まぁそうだけど……あー。めんどくせぇな」
めんどくさそうにため息を吐くと、彼女は両手を構えて、少女を挑発するように指を折り曲げた。
「ほら、こいよ。そのために呼んだんだろ」
「あたしが勝ったら、彼女と別れてくれますか」
「それは無理だが……一回くらいなら抱いてやっても良いよ」
「なっ……こ、恋人の前でそういうこと言います!?」
少女が顔を真っ赤にしてわたしの方に視線を向けた瞬間——その刹那の隙を突き、満は少女と距離を詰めて足を振り上げた。少女が咄嗟に避けるより早く、上がった足は少女の腹に直撃した。バコンッ! と痛そうな音が響いて、少女はその場に腹を押さえてうずくまる。満はそんな彼女の腹に容赦なく靴底を押し付け「冗談に決まってんだろ。よそ見してんじゃねぇよ。ざーこ」と煽り、蹴って転がして背中の上に座った。
「ず、ずるいっすよ……てか、あんたもなんで平然としてるんすか」
そう言って少女はわたしを見る。
「こういう人だもの。月島満は」
煽ってやると、少女は「姐さんの彼女めちゃくちゃ性格悪いっすね」と吐き捨てる。「それな」と、少女の上で足を組みながらわたしの方を見て同意する満。
「……良いから、これ、解いてくれない?」
「それくらいなら自力で抜けれるだろ」
「無理よ。忍者じゃないんだから」
「で? アスカ、気は済んだ?」
「……やっぱ納得いかないっす。なんであんな性格悪いのが良いんすか。誰でも良いなら、あたしの方がよくない?」
そう言って少女はわたしに挑発するような視線を送る。言ってくれる。しかし、確かにわたしの方が性格は悪い。それは認める。
「……私は恋愛的な意味の好きがわからん。あの人と付き合ってからもそれは変わらないよ。あの人を選んだのは、恋をしない私を受け入れてくれたから。それと……あの人さ、ヴァイオリンがめちゃくちゃ上手いんだよ。別れたら、その演奏をタダで聴けて見られる特権を手放すことになる。それは惜しい」
「……すぐ寝るくせによく言う」
「すぐ眠くなるくらい癒されるってことだよ。で? 納得いった? まぁ、いかなくても私の答えは変わらんし、納得するまで退かないけど」
「……ごめんなさい。あたし、あの人に嫉妬してた。誰も好きにならないって言ったあんたの特別になれたあの人に」
「まぁ、私は性格も良いし宇宙一可愛いし、対してもあの人は可愛いけど性格最悪だし、相応しくないって思うのは無理ないな」
「恋人の目の前で他の女に『抱いてあげても良い』とか言ったり、人を椅子にしてる女のどこが性格が良いのよ」
「少なくとも、自分と同じ苦しみを味わってほしくて私に執着してたあんたよりは性格良い」
「うるさいクズ」
「お互い様だろメンヘラクソビッチ」
「ビッチは貴女でしょう」
「あぁ、ごめんごめん。雌犬じゃなくて雌ネコだったな」
「くっそ……今日こそ泣かす……!」
「はっ。相変わらず威勢だけはいいなネコちゃん。いつも通り返り討ちにしてやるよ」
満の
「……人質にされても一切動じなかったり、満姐さんに対してボロクソ言ったり……とんでもねぇ女だなあんた」
「な。見かけによらずやべぇ女だよな。あの人」
満はそうケラケラと笑いながら、ようやく少女の上から退いた。少女はそのまま、満の方を向き直して床に頭を擦り付ける。
「すみませんでした」
「気は済んだみたいだな」
「……はい。他の奴らにも伝えておきます。満さんの選んだ人だから口出すなって」
「ん。よろしく頼む。また助けに行くの面倒だからな」
そう言うと満は私の後ろに回り込み、ようやく拘束を解いた。「帰るぞ」と差し出された手を取り、未だ頭を上げようとしない少女の横を通り、廃墟をあとにした。
「……ありがと。助けてくれて」
「えっ。珍しく素直。もしかして性格悪いって言われたの気にしてる?」
「う、うるさいわね……」
「まぁでも、良かったよ。アスカがあんたに何かすることはないとは信じてたけど……あんまり煽り耐性ないからなあいつ」
「……一瞬殴られそうになった」
「あんたが煽るからだろ」
「被害者はわたしなんだけど。なんで加害者を庇うのよ。大体、元はと言えば貴女が無闇に人をたぶらかすから悪いのよ」
「はぁ? 私のせいかよ。別にたぶらかしてねぇし」
「人たらし。クズ」
「実さんだってこの間大学で告られてたらしいじゃん。聞いたよ。空美さんから」
「あら。何? 妬いてくれるの?」
「いや、別に。あんた、離れられないくらい私の虜になってるから」
「ちっ……自惚れんなばーか」
「事実じゃん。てか舌打ちすんなよ。行儀悪いぞ」
「貴女に言われたくないわよ。クソヤンキー。貴女より良い人見つけたら貴女なんて捨ててやる」
「見た目良し声良し性格良し、ついでに身体の相性も良い。これ以上の好条件の女なんて、この世に居ます? 宇宙の果てまで探しても見つからんだろ。私に出会えた奇跡に感謝するんだな」
「見た目以外最悪な女の間違いでしょ」
「昨日はあんなに好き好き言ってたくせによく吠えますね」
「そういうところが嫌いなのよ」
お互いに悪態を付き合いながら帰路に着く。口汚く罵り合う。だけどそんな私達の間に、険悪な空気は流れない。わたしはこの、彼女と悪態を付き合うこの時間が、なんだかんだで嫌いではないから。
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