実の誕生日(3年目)

ほんとムカつく

 8月8日。今日はわたしの誕生日。なのだけど——。

 今日は彼女の帰りが遅い。いつもは遅くても十九時までには帰ってくるのに、もうとっくに二十時を過ぎた。柚樹の家に寄ってプレゼントを渡してから帰るとは聞いているが、そう時間はかからないはずだ。流石何かあったのだろうかと思い、連絡を入れようとスマホで文字を打ち込んでいると『悪い。遅くなる』とメッセージが届いた。


「……むぅ」


 今日、なんの日か分かってる? と打ちかけて止める。打ちかけて、止める。それを繰り返していると、誤って送信してしまった。慌てて取り消そうとするが、既読がついてしまった。すぐに呆れるような表情をする犬のスタンプが送られてくる。言いたいことは分かる。どうせ『めんどくせぇなこいつ』と思っているのだろう。分かっている。そんなこと自分でも分かっている。すると彼女はこう続けた。『あんたの誕生日ケーキ買ってるから遅れる』と。誕生日のことを考えてくれたことに嬉しくなるが、つい『それなら最初からそう言いなさいよ』と悪態を吐いてしまう。


『ケーキより私が良いと』


『言ってない』


『はいはい。もうちょっとだから。待ってて。通知切りまーす』


 そこからは何を送っても既読がつかなくなる。本当に通知を切ったのだろう。腹いせに意味の無いスタンプを連打して、夕食作りに取り掛かる。

 包丁すらまともに握れなかった私だが、彼女と暮らし始めてもう三年になる。料理はそこそこ慣れてきた。

 今日の夕食はハンバーグ。付け合わせにポテトサラダ。ポテトサラダはあらかじめ作ってあるため、あとはハンバーグを成形して焼くだけ。

 フライパンに並べたハンバーグに、コンソメを溶かした水で作った小さな氷を入れて蓋をする。こうすることで、コンソメの味が仲間で染み込むだけでなく、溶けた氷の蒸気で中までしっかり火が通り、ふっくらと仕上がるのだと静から教わった。家政夫をやっていただけあって家事スキルは高く、彼から教わることは多い。しかし、教わったからと言ってすぐに技術が身につくわけではない。


「……はぁ」


 ひっくり返す時に崩れてしまった上に焦がしてしまったハンバーグを見て、ため息を漏らす。

 裏面まで焼き上がったところで皿に乗せ、気を取り直して残りのハンバーグをフライパンに乗せる。氷を刺して、蓋をして、しばらくしたらひっくり返す。今度は上手くいった。

 焼き上がったハンバーグを皿に乗せて、レタスとポテトサラダを盛り付けたところで、タイミングを見計らったように玄関から物音が聞こえてきた。


「もしかして、ハンバーグ? おっ、やった。ビンゴだ」


 ただいまも言わずに一目散にキッチンを覗き込みに来た彼女に呆れながら、焼き上がったハンバーグを食卓に運ぶ。食卓の上には白い箱が置かれていた。彼女は思い出したようにそれを冷蔵庫に入れて、カバンに挿していた白い薔薇の花束を引っこ抜いて来て私に渡す。


「ん。やる」


「……何。どこで摘んできたのこれ」


「アホか。買ったんだよ。花屋で」


「……わざわざ?」


「んだよ。要らないのか?」


「……要る。ありがと」


「はっ。最初から素直にそう言え。バーカ」


「う、うるさいわねぇ……!」


「あとこれも」


 そう言って彼女がポケットから取り出したのは縦長の箱。中には緑色の宝石が一つついたシンプルなネックレス。


「ペリドットかしら」


「そう。誕生石」


「……ありがとう。大事にする」


「おう」


 貰った薔薇を花瓶に刺して、ネックレスをしまい、席に戻る。彼女はいつの間にか勝手にご飯をよそって勝手に食べ始めていた。全く勝手な人だと呆れながらご飯をよそって、席に着く。いただきますと手を合わせてハンバーグに手をつけようとしたところで、ふと気づく。目の前に置かれたハンバーグが綺麗なことに。崩さずに焼けた方を彼女の方においたはずなのに。交換されている。


「なんでハンバーグ交換したのよ」


「あ? 誕生日の人に失敗した方を食わすわけにはいかんだろ」


「……何よそれ」


 焦がしたのはわたしなのに。全く。こういうところが嫌いだ。


「にしても美味いなこのハンバーグ」


「お世辞はい——むぐ」


 言い終わる前に、口の中にハンバーグを突っ込まれた。「な? 美味いだろ?」と笑う彼女に何も言い換えせなくなり頷くと、彼女は私に食わせた分を取り返すようにわたしのハンバーグを一欠片持っていった。彼女の分は焦げていたが、焦げの苦味はない。わざわざ焦げていないところを食わせたのだろう。その気遣いがなんだムカついて、焦げた部分を摘む。苦い。


「な? 多少焦げたくらいでおいしさは大して変わらんだろ?」


「……味覚音痴」


「あぁ? あんた、舌肥えすぎだろ。やっぱ交換してよかったじゃん」


「……ふん」


「はぁ……ほんと意地っ張りだなあんた」


 呆れるようにそう言うが、その表情は慈愛に満ちていた。そんな優しい顔をするくせに、わたしに恋してないと頑なに言い張るところがまたムカつく。ムカつくが、その感情が恋ではなくもっと深いものであることは事実なのだろう。


「ほんとムカつく」


「別れるか?」


「冗談でも二度と言わないで。貴女は一生わたしのものよ。絶対離してあげない」


「離れたくないの間違いだろ」


「うるさい。バーカ」


「あんたほんっと可愛くねえな。まぁ、だから抱きがいがあるんだけど」


 サラッと言われ、思わず咽せてしまう。動揺する私を見て、彼女は悪魔のようにケラケラ笑う。


「ははっ、顔真っ赤!」


「貴女のそういうところ! ほんっと嫌い! 大っ嫌い! 食事中に下品な話しないで!」


「私は食べ終わった」


「私はまだ食べてるの!」


「はははー。お風呂沸かしてくるー」


 煽るだけ煽って、さっさと食器を片付けて逃げるように去っていく。


「ほんっとに……あの女はぁ……!」


 ムカつく。本当にムカつく。彼女にも、あんな女を愛おしいと思ってしまう自分にも。きっと明日の私も、明後日の私も、明明後日の私も、彼女から離れない限りはきっと同じことを思いながら一日を過ごすのだろう。

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