新の恋
好きの形が違っても
大学生になったばかりの四月のある平日のこと。『今日暇? 暇ならちょっと新の様子見てきてくれない?』と、満から連絡がきた。新が学校を早退したらしい。過保護だなと呆れつつも、その日はたまたま午前中が空いていたため、コンビニでスポーツドリンクを買ってそのまま満の家へ。
「お邪魔します」
いつもならわたしが来るとつきみが走って来て出迎えてくれるのだが、今日はとぼとぼと歩いて来た。あからさまに元気が無い。それでも迎えてはくれるところにきゅんとしてしまう。あの悪魔に飼われてるとは思えない純粋さだ。
「わざわざありがとね。実ちゃん」
「いえ。新は?」
「部屋に閉じこもってるよ」
満の部屋の隣の部屋をノックする。
「新。入るわよ」
声をかけると「どうぞ」と、彼らしくない元気のない返事が返ってきた。扉を開けると、布団にくるまっている彼と目が合う。相変わらず可愛い顔をしている。満にそっくりだ。顔だけは。彼が女の子で、満より先に出会っていたら、私が恋に落ちたのは満ではなく新だったかもしれない。
だけど、満でなければわたしの恋は永遠に呪いのままだっただろう。満がわたしを闇の底から無理矢理引き上げてくれたから、今のわたしがある。
「……姉ちゃんから聞いたんですか」
「そう。お見舞いに行ってあげてって。今日はたまたま午前空いてたから。熱は?」
「……微熱です」
「寝れば治るわね」
「はい。……あの、実さん」
「何?」
「……恋って、なんですか?」
そう聞く彼は未知への不安に怯えるような顔をしていた。新は満と同じく、恋を知らない。満のように性に奔放なわけでもなく、むしろ性的なことに興味を持てないらしい。そこは姉とは違うようだ。
『私ね、恋が分からないんです。誰かを独り占めしたいとか、自分だけを見てほしいとか、一緒に居るとドキドキするとか…そういうの、私にはないんすよ』
二年前、そう語る満は寂しそうだった。彼女は恋を知りたがっていた。新もそうなのだろうか。
恋とは何か。それに対する答えは人それぞれだと思う。素晴らしいものだと説く人が多いかもしれない。だけど、素晴らしいものと思えるか、人間には不必要な感情だと思うかは、個人の経験次第だろう。わたしは恋に歪まされ、恋に救われた。だけどわたしの答えは、恋という感情に憎悪を抱いていたあの頃と変わらない。
「
「呪い……?」
「そう。ある日突然、なんの前触れもなくかけられる、心を狂わせる呪い。避けたくても避けられない恐ろしい呪いよ」
「心を狂わせる……呪い……」
さらに不安そうな顔をしてしまう新。もしかしたら彼は満や柚樹と違って、呪いに抗えない側の人間なのかもしれない。二年前のわたしならきっと、苦しめば良いとさらに
「……けど、
そう語ると、彼は不安そうな顔から一変して、悪戯っぽく笑ってこう問いかけた。「実さんの恋はどっちなんですか?」と。その意地悪な顔が、わたしを呪った大嫌いで大好きな恋人と重なる。
「……わざわざ聞かなくても分かるでしょ。馬鹿」
買ってきたスポドリで彼の頭を小突く。「すみません」とヘラヘラ笑う彼。だけどその笑顔はすぐにまた曇ってしまった。
「……もし、貴方が今誰かに呪われてるなら、さっさと向き合った方が良いわよ。その呪いは抗えば抗うほど、心を蝕んでいくから」
「……呪いを解く方法は、無いんですか?」
「フラれるか、別の相手に呪われるかしかないんじゃない? あとは、自然に解けるのを待つか」
「……別の相手」
しばらく沈黙が流れた後、彼は布団の中に沈んでいった。中から鼻を啜る音が聞こえてくる。彼に呪いをかけたのは誰なのだろうか。問いかけると「実さんも知ってる人です」と返ってきた。
「男? 女?」
「男の子です」
「ふぅん……空美の妹かと思ったけど、男ということは弟の方かしら」
「……はい」
空美の妹の七希も満や柚樹と同じく恋をしない側の人間だと言っていた。しかし、見た目が良いからモテにモテる。異性からモテることを羨ましがる人間は多いが、好きな人に同じ気持ちになってほしいというならまだ分かるが、不特定多数から恋愛感情を向けられたがる人たちの気持ちはわからない。わたしには理解出来ない。わたしはレズビアンだが、女性からモテたいと思ったことはない。わたしが欲しい恋はただ一つだけ。だけどその恋は手に入らない。彼女の中には存在しないのだから。代わりに彼女は、愛をくれた。だからわたしは不満を抱きつつも彼女の側にいられる。彼女はわたしに恋してはくれないけど、わたしを愛してはくれるから。
「……ふーん。どこが良いの?」
「え、えっと……良いところは……いっぱいあります」
「そう。言い方変えるわね。どこに惹かれたの?」
「……分からないけど、今日、色々あって、俺のこと守ってくれたんです。めんどくさがり屋で、自分のことでもほとんど怒らない彼が俺のために怒ってくれて……」
「……ふっ」
思わず笑ってしまう。そこまで愛されて、何故不安になっているのか。
「両想いじゃない」
「でも……七希の好きはきっと、俺の好きとは違います」
「満とわたしもそうよ」
「そう……ですね……けど……」
「けど?」
「……七希はずっと、人から向けられる恋心に苦しめられてきたんです。だから……」
「だから?」
「……俺はこれ以上、彼を傷つけたくないです」
あの悪魔の弟とは思えない甘っちょろい答えだ。こういうところは彼女とは違う。満ならきっと——彼女が恋に悩む姿は想像出来ないが、きっと、正面からぶつかりに行くのだろう。私はあんたが好きだと、ストレートに伝えるのだろう。
「……ふぅん。あぁそう。そのためなら自分は傷ついても良いって言うのね。ふーん。自己犠牲の愛ね。素敵ね」
七希の方はどう思っているのだろうか。満に、七希に新への想いを聞いて来るようにメッセージを送る。『り』とだけ返ってきた。了解の意味らしい。
「大体貴方、自分の気持ちを一生彼に隠し通せるの? 無理でしょ。貴方、わかりやすいもの。貴方が隠そうとしたって、きっと彼は気づくわよ。いっそはっきり言った方が彼のためなんじゃない?」
「……うぅ……」
満なら上手に隠しそうだが、新は素直だ。満と違って。絶対いつかはバレる。
「さっきも言ったけど、ちゃんと向き合った方が良いわ。心を蝕まれる前に。素直になりなさい。新」
そう言った瞬間『あんたがそれ言うのかよ』と、脳内の満がツッコミを入れた。多分、新の中でもツッコミが入った。
「……今、あんたがそれ言うのかよって思ったでしょ」
「う……」
あからさまに目を逸らす新。
「ほら、やっぱりわかりやすい。隠すのは無理ね」
わたしがそう言うと、彼は俯いた。しばらくして、意を決したようにため息を吐いて言った。
「……ありがとうございます。実さん。俺、彼に話してみます。自分の気持ちを」
彼がそう言うと同時に、スマホが鳴る。七希の回答は、満がわたしに向ける感情と同じとのこと。なんだ。やはり両想いじゃないか。
「その
私がそう言うと新は「はい」と笑った。そこにはまだ不安の色が見えたけど、満がわたしに向ける感情は恋ではないけど愛ではある。七希がそれを理解して同じだと言ったのなら、きっと大丈夫だ。
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