バレンタインデー(side:実)

想いはきっと、伝わっているけれど

「おーっす。おはよう。ほれ、例のもの」


「…つまみ食いしてないでしょうね」


「しねぇよ」


 2月14日朝。ラッピングされた一箱五千円の高級チョコレートを柚樹から受け取る。

 家で冷やしておいて見つかったら面倒なので彼がよく泊まりこんでいるの家で預かって置いてもらっていた。


「にしても、こんなたっかいチョコ、一体誰に渡すわけー?」


「…分かりきったこと聞かないで」


「あはっ。ようやく素直になった?」


「…この気持ちからは、どうしたって逃れられないもの。認めざるを得ないわ」


 恋なんてただの呪いだ。あの子にも移してやりたいのに、あの子に呪いは効かない。わたしに堕ちてはくれない。わたしだけが苦しむばかり。

 それでもわたしは、どうしたってあの子を諦めることが出来ない。彼女もわたしが戦う勇気を出すまで待っていてくれる。どうしようもない馬鹿だ。わたしも、彼女も。





 学校に着き、下駄箱を開けて靴を履き替えていると、声が聞こえてきた。


『どうした?ちる』


 部活の後輩の声。というのは満のあだ名だ。


『いや…』


『うわ、なにそれ…果たし状ってやつ?』


『果たし状って。普通にラブレターでしょ』


『…だよなぁ』


 ラブレター。

 …ラブレター?あの子に?誰から?女?男?本気?悪戯?


「満ちゃんモテそうだもんなぁ…うわっ、俺も入ってた。わーお…1、2、3、4、5…」


 下駄箱に入っていた手紙を数える柚樹。満がモテるのも理解できないけど、彼がモテるのはもっと理解できない。…やはり顔か。


「うわっ…なにそれ。今まで弄んだ女からの呪いの手紙?」


 そう声をかけて来たのは空美の恋人の藤井くんだ。


「あ、まこちゃんおはよー。違うよ。ラブレター。あ、これは違うわ」


 ちらっと見えた手紙には赤文字でびっしりと"死ね"と書いてあった。


「…おい、今恐ろしいもん見えたぞ」


「やだぁー見ないでよーまこちゃんのエッチー」


 へらへらと笑いながら手紙を後ろに隠す柚樹。彼は辛い時ほど笑って誤魔化す癖がある。昔からそうだ。


「…大丈夫か?お前」


「何?心配してくれてるの?やっさしー」


「…はぁ…お前のそういうところほんと嫌い。…あいつにそっくりだ」


 あいつというのは恐らく空美の従姉妹のことだろう。満も言っていた。彼女と柚樹は似ていると。初対面の印象だけなら真逆に思えたが、今は私もそう思う。




 昼休み。満から連絡が来た。


『ラブレター貰っちゃったんで、ちょっと返事してきます』


『どうでもいいです。一人で食べます』


 我ながら、めんどくさい返しをしていると思う。すると彼女は『行けたら行く』とだけ返しきた。『別に良い』と打ちかけてやめる。わたしはいい加減、素直にならないといけない。せめて、母のいないこの学校にいる間だけでも。


「…貴女が好き。…わたしの恋人になってほしい」


 箱を握りしめて呟く。


『憧れを恋と勘違いしては駄目よ』


 母の言葉が蘇る。逃げるように教室を出て、部室の鍵を借りるために職員室へ向かっていると、彼女を見かけた。追いかけていくと、部室ではなく別の場所に向かっていく。呼び出された場所へ向かう途中なのだろうか。

 誰も居ない体育館の裏に入って行った。壁にもたれかかってスマホを弄り始める。

 バレないように影に隠れて見張っていると、そこに女子生徒がやってきた。


「つ、月島さん!…だよね…」


 一年生のようだ。


「…悪いけど、人を待たせてるんだ。手短に頼む」


「…これ…」


 女子生徒は彼女にラッピングされた袋を渡した。


「あの…私…月島さんのことが好きで…その…一目惚れ…ってやつで…文化祭の演技見て、ギャップに惚れたっていうか…」


「…私、あんたの名前も知らないんだけど」


「ご、ごめん…一年七組の…小林です…ごめんね…気持ち悪いよね…」


 過剰に謝る女子生徒。その"気持ち悪い"は単純に、見知らぬ人間からの好意を表しているのだろうか。それとも、同性からの好意だろうか。


「…同性から好意向けられんのは別にキモいとは思わんけど、面識無い相手からの好意は正直困る。それがどういう好意かにもよるけど。恋愛的な意味なら、悪いけどこのチョコは受け取れんよ」


 なんだかんだで彼女は真面目だ。『あんたじゃなくてもいい』とか言うくせに。いや、真面目だから言うのだろう。『あんたじゃなきゃ駄目』と言ったって、嘘になってしまうから。だとしてもあまりにも正直すぎる。


「…」


 チョコレートを渡した女子生徒は俯いて黙り込む彼女。やがて口を開いて出てきた言葉は「月島さん…恋人いるの?」という質問。わたし達は恋人ではない。もちろん、彼女も恋人が居るとは答えなかった。しかし


「恋人っつーか…大事な人は居る。まだ恋人と呼べる関係ではないんだけど」


 恋人と呼べる関係ではない。

 彼女はどうしてそうもわたしのことを待っていてくれるのだろう。どうしてわたしを見捨てないのだろう。馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。


「恋人じゃないなら、私にもチャンスは「無いよ」そんな…」


 あんな約束、破ってくれて構わないのに。手を離したらわたしが死を選ぶと思っているのだろうか。馬鹿だ。わたしには死ぬ勇気も気力も無いというのに。


「そういうわけだから、チョコ返すよ」


 彼女がチョコレートを突き返すと女子生徒は俯いて泣きながらチョコを奪い取り「ごめんなさい」と呟いて走り去って行った。

 わたしよりよっぽど勇気のある彼女より、わたしを選んでくれた。そのことに優越感を覚えてしまう自分にどうしようもなくイラつく。こんな卑怯でめんどくさいわたしをどうして。どうしてそんなに…


「…実さん、居るのバレてますよ」


 彼女の呟きで現実に引き戻される。


「!…た、たまたま通りかかっただけよ!別に覗き見してたわけじゃないから!」


 彼女に近づかれ、咄嗟にチョコレートを後ろに隠す。


「…後ろに隠してるのなに?」


「な、なにも隠して無いわ」


「バレバレっすけど」


「っ…」


 何をしているんだわたしは。ほんとに。渡すつもりで来たというのに。

 隠したチョコを彼女に見せる。


「…こんなの、貴女は要らないわよね」


「別に、あんたからのチョコなら貰いますよ」


「…何よ。…期待させるようなことはしないんでしょう」


「私はあんたと契約したんでね。他の女のところ行かないって」


「…わたしのことなんて好きじゃないくせに…」


「嫌いでも無いよ。…で、くれるの?くれないの?どっち?」


 ほんと、ムカつく人だ。ため息を吐いて近づき、チョコレートを握らせる。


「返品不可、3倍返しだから」


「…3倍って…いくらするチョコなんすか、これ」


「一箱五千円」


「は!?たっか!!この手のひらサイズが五千円!?」


 やはり、高かっただろうか。重かっただろうか。


「嘘だろ!悪質な押し売りじゃん!!」


「さ、3倍返しは冗談だから!…だから…受け取りなさいよ…」


「…へいへい。もらっときますよ。そのかわり、お返しはあんま高いもん期待しないでね。あ、どうしても3倍返ししてほしいなら身体で払いますけど」


 …彼女のこういうところは嫌いだ。だけど、そんなことではこののろいは解けない。


「…貴女の身体にそんな価値ないわよ」


「あぁ?むしろ釣りがくるくらいなんだが?」


「…ほんと自信過剰ね」


「にゃんにゃん鳴かされてるくせによく言う」


「貴女…ほんっと下品ね…」


 そんな下品な女を好きになってしまったわたしも大概だけれど。


「事実じゃん」


「うるさい。…今日は一人で食べます。来ないでくださいね」


「へーい。チョコ、ありがとね」


「…ふん」


 彼女がわたしを選んでくれた喜び、素直になる勇気を出せない自分に対する苛立ち、嘘でも『あんたじゃなきゃ駄目』と言ってくれない彼女に対する苛立ち、そして—彼女に対する恋情。複雑な想いが絡み合い、息が詰まり、涙が止まらなくなる。職員室で鍵をもらい、弁当も持たずに一人部室に閉じこもる。その日の昼は彼女は部室には来ず、わたしは誰にも慰められることなく、ただただ一人で涙を流した。

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