エピローグ
「そんなんうちの知ったこっちゃないっす」
…と思ったことを伝えた後の秋埜の返事は、至極素っ気なかった。次の日曜日のことだ。
「大体なんなんですかセンパイ。いつの間にかアッチの肩持つことばかり言うよーになって、うちのことは後回しですか。一回一緒にゴハン食べたくらいでほだされて、センパイしょーじきチョロ過ぎないすか」
「そこまでけちょんけちょんに言わなくてもいーじゃない」
わたしは愛用のクッションを抱いてぶーたれる。
ゆっくり話したいなあ、と思って今日はわたしの部屋にいるのだけれど、割と久々に招いたというのにさっぱり楽しい会話にはなっていなかった。
ちなみに今日はお父さんたちは買い物に行って三人ともいなかったりする。そう伝えた時の秋埜の顔はけっこー見物だったと思うのだけれど、わたしにそんなつもりはない。勝手に期待して後でがっかりされても困るので、部屋に入るなり、三者面談の日にわたしがお母さんと会話した内容とかその時わたしの思ったこととかを伝えたら、斯くの如き反応だった、というわけだ。
わたしとしては別にお母さんの方の味方をするというよりも、秋埜に違うものの見方ってものを伝えたかっただけなんだけど。
「…せっかくセンパイの部屋で二人っきりになれると思ったのに」
でもまあ、わたしを悪し様に言う秋埜の気持ちも分からないではない。ようやく一つの結論めいたものを見出せた後の、のんびり出来る休みの日にまた蒸し返すよーなことを言われたのでは面白くもないだろうから。
なので、少し譲歩。
「うん、ごめんね。でもね、こーして二人一緒に、いろんなこと考えていくのが大事だってことは分かって欲しいんだ。その一歩目として、お母さんはわたしも秋埜も想像できないような苦労だってしてたのかもしれない、って思うくらいはいいんじゃないかな」
「……だからそーゆーのが、母さんの肩を持つ真似、ってゆってんです」
やっぱり納得いかない、って顔。
でも秋埜。お母さんが最初にわたしたちの前に姿を現した時は、憎くて憎くて仕方がない、って顔だったのに、今こうしてぶーたれてる様子は、わたしもとても可愛らしいって思うよ。あの頃と全く変わってないのだとしたら、そんな風にわたしに甘えるように口を尖らせたりしてないだろうから。
今は無理でも、そんな話もあったよね、って、苦笑混じりにはなるだろうけど笑いながら話せる時が来るだろうことをわたしは信じてる……あの、秋埜?
「……センパイ。それよりうちらはやるべきことがあるんじゃないすか?」
「……やるべき、こと?」
「ですー」
と、四つん這いになった秋埜は、少し紅潮した顔をわたしに突き出すようにしてにじり寄ってくる。
なんとなく身の危険を覚えて、わたしはクッションを抱いたままお尻で後ずさり。あ、背中がベッドに当たってこれ以上下がれない。
「……せんぱぁい。いつかうちに聞いたことありますよね?」
「な、なにを…?」
「うちが、タチのほうか、ネコのほうか、って」
「そそそそんなこと言ったっけかなぁっ?!」
わざとらしくとぼけてはみたけれど。
…うう、つき合い始めて最初のデートのとき、意味も分からずそんなことを尋ねたのだった。
星野さんにそーいう言葉があるよ、って教えてもらって正しい使い方も知らずにうっかり聞いてしまったのだけれど……今はもちろん、分かってる。その時のことを思い出すと「なんつーことを言ってたのわたしっ!」とそのままベッドに頭を潜り込ませてしまいたくなる…。
「うふふふ……せんぱぁい?うちはですねー」
「な、なに…?」
女豹みたいなシナを作りながら、秋埜が距離を詰めてくる。わたし、もう後がない。我ながら赤くなってる顔を引きつらせながら、カマトトぶるように無邪気を装った笑みを浮かべてみる。
「うちはぁ、せんぱいにお口のなかをいっぱぁいいいようにされるのも好きですけどぉ…」
「………(こくこく)」
もう頷くことしか出来ない、わたし。
「……こうしてぇ」
「きゃんっ?!」
クッションを抱きかかえていた両腕をつかまれ、うしろのベッドに押しつけられる。
「…ちょっと困ってイヤがるせんぱいをー」
「……あ、あの…あきの?ふんっ?!」
秋埜の勢い止まらず、そのまま寄せてきた顔がわたしの顔と最接近あんど一部濃厚接触。
「……んー…ん。いーにおいですぅ、せんぱぁい」
「………あう」
すぐに離れてはいったけど、陶然とした秋埜の顔と、きっとそれに負けず劣らず同じよーな顔になってるわたし。
「……いきなりなにするのよぅ…」
「……うふふふ、いー反応ですねー…うちはですねぇ、ちょっと困ってイヤがるせんぱいを、こーして無理矢理押したおしてぇ…」
言うだけじゃなくて実際にそーしてた。
低いベッドに上半身を預け、肩から上が仰向けになったわたしの上にのしかかるように、秋埜がおそってくる。
「ちょっ……や、ちょっとあきの、まって、まっ……んふぅ…」
「ん…んん……いいですよぅ、せんぱい。とってもかーいーですぅ……うちのキスとかいろいろでぇ、こんな風にせんぱいをとろっとろにするのがぁ……とっても、うちは、好みなんです……んー……」
「あきの……あきのぉ………ふぅん……はっ、ふ……んん、ふぅん………」
くっついては離れ、離れたかと思ったらこんどはもっとあついものがはいってきて、秋埜にいいようにされるわたしのお口。
もう、腰のあたりから力が入らなくなって、今までじゃ考えられないくらいの昂りが体をかけめぐっている。最初は逆らっていた腕からも力が抜け落ちて、秋埜もそれが分かったのかわたしの腕の自由をうばっていた自分の手を動かすと……。
「?!…あきのぉ、そこは……ちょっと、まって…だめ、だめぇ………あ、ん!!」
とても目を開いてはおられず、薄目の向こうに見えた秋埜の顔は怖いくらいに真剣で、でも口の端にはとても優しげな笑みを浮かべていて、それだけでわたしは歓喜でトんでしまいそうになる。ていうか、なりかけた。
「……せんぱぁい?いー声、いっぱいうちに聞かせてください……ね?」
「……あっ、あ……あきのぉ……そ、こ……やぁ……んっ!」
そしてこれがトドメとばかりに、秋埜の左手はわたしの胸をやさしくもみしだき、そして右手はその更に下の………あ、もう……どうなっても、いい………。
「…いっしょに、おとなに、なろ…?ね、りんこ……?」
「あっ…?!」
……わたし、いっちゃった。秋埜に、初めて名前を呼び捨てにされて、大事なところに触れられながら、生まれて初めて、体が歓喜を覚えてしまった。これ、もう……こんなの、わすられなく、なっちゃう……。
「ん、んん……」
「………はふ、ん………」
それでとどまることも出来ず、わたしは体と心の両方で秋埜を求めてしまい、力のはいらない両腕を秋埜の背中にまわして、必死に口づけを繰り返す。顔が離れた時に見える、真っ赤になってとろんとした目でわたしを見下ろす秋埜がとても愛しくて、わたしだけこんな悦びを覚えるのがもったいなくって、今度はわたしの方が…。
「せんぱい……うちも…」
「う、ん……いっしょ、に……いこ?」
「せんぱい…せんぱい……せんぱぁい………!」
わたしの体のあちこちをまさぐっていた秋埜の両腕は、再びわたしの上半身を掻き抱く。
それに縛られて自由にならないわたしの体だったけど、今度は秋埜にわたしの悦びを分けてあげたくて、くふぅん、とか鳴き声をあげる秋埜を愛でながら、背中の後ろの両手を下に、秋埜の腰から下に向かって蠢かせ……。
・・・・・
「な、なんでこの子はこんなにムッツリしてるの?」
「あ、あははは……」
かつてないくらい不機嫌な顔でミラー越しに睨んでくる秋埜に、相原先生も戸惑いを隠せないよーだった。
まあそりゃあね。恋人といー感じの時間を過ごし、で、体も心も繋がろーか、ってタイミングで電話かかってきて止められたら、誰だってそーなるよね…。
つい先ほどまで、わたしと秋埜はそーいうことに、なりかけていた。ていうかわたしは、なった。とてもよかった。次が待ち遠しい……じゃなくて、わたしだけ一足先によくなって、じゃあ今度は二人で一緒に、と意志が合致した瞬間、マナーモードでもなんでもなかった秋埜のスマホが、「ワルキューレの騎行」を奏で始めたのだ。相原先生からの着信の時のみに鳴る、戦争映画でお馴染みのあの曲だった。
まあこれが普通のメロディー音とかだったらそーでもなかったのかもしれないけど、何せ曲が曲だし相手が相手だ。わたしも秋埜も…どちらかというと秋埜の方が、茹だっていた頭が一気に冷えてしまい、一度は無視することに成功はしたものの、途切れてまたすぐに鳴りだしたスマホを乱暴にかっ攫ってすさまじーまでの不機嫌な声で「……もしもし。なんすかオバさん」とやり始めて後は、続きをする気分なんかすっ飛んでしまっていたのだった。
「何があったか知らないけれど、今回のゴタゴタを労ってあげようって従姉妹のお姉さんに、その態度はないんじゃないの、秋埜」
「………うるせー」
場は相原先生の愛車、あばると号の車内。
二人仲良く後部座席に腰掛け、秋埜はいつぞや相模湖に行った時のよーにかわいい顔をぶすったれさせてはいるけれど、あの時に比べれば車内の空気も各員の心情も穏やかなものだ……と思う。たぶん。
「…ねえ、中務。何があったっての」
「さあ?なんでしょーねー」
「あんたまで一体どーしたっての…妙にあんただけつやつやしてるし」
ぎくり。自分一人だけ満足してしまったのがバレてしまったのだろーか。
ミラーから目を逸らし、車の外の風景を眺めてる秋埜の様子をそっと窺ってなんとか誤魔化そうとする。普段だったら「おかしい」と思われても無理のないところだけれど、秋埜に気をとられているのか、わたしの不審な態度は先生の気を引くところとはならなかったみたいだ。
「ま、まあ今日は先生がおごってくれるそうですし、そのうち秋埜の機嫌も直るんじゃないですか。秋埜、何か食べたいものある?」
「……ケーキバイキング」
「…だそーです。いー感じのとこありましたらお願いしますね、先生」
「あのねえ。ま、いいけど。でも私もケーキバイキングの店なんか心当たりないわよ。ちょっと近場でそんな店がないか探してちょうだい」
「はぁい」
行きたい場所があるなら探すことに不満はない。わたしは自分のスマホでお店を探し始め、やっと話をするつもりくらいにはなった秋埜ときゃーきゃー騒ぎながら、先生の疲れたみたいなため息をBGMにあーでもないこーでもないとお店を探すのだった。
「あ、先生。いーとこ見つけました。コーヒーの評判もいいみたいですから、ここにしましょう」
「ん、どれどれ。ああ、ここなら行ったことあるわ」
なんだそれ。知ってる店があるんだったらさっさと連れてってくれればいいのに。
…という不満を呑み込んで、地図を確認した先生から離れて席に戻る。秋埜は、そんなわたしと体をぴったりくっつけるように身を寄せてきた。あのね、いちおー今日の保護者がミラーの向こうで見てるんだけど。
「…いいわよ、今日は。多少のおイタは目を瞑ってあげるから、好きなだけいちゃいちゃしてなさい」
でも、先生にしては珍しく、流石に大歓迎って態ではなかったけれど、そんな感じに鷹揚に許してはくれたのだった。
…ただなあ。さっきまでのわたしと秋埜の嬌態は絶対「多少のおイタ」では収まらないと思うんだけど。先生から電話が来るまでわたしたちが何をしていたか知ったら、何て言うだろうか。
そんなことを思っていると、秋埜がわたしの腕を引っ張って自分に方に寄せてきた。ちょうど、わたしたちの顔が角度的に先生からは見えなくなる位置に。
「…なに?」
そんな態度に、きっと先生には聞かれたくない話でもするんだろーなー、って思って声を潜めるわたし。間近の秋埜の顔は、さっきのことをイヤでも思い起こさせるような、ふにゃけた表情になっていた。
「……センパイ、センパイ。つぎ、いつします?」
「……先生に聞こえたらヤバくない?」
「いーじゃないですか、別に」
顔だけじゃなく、声までえげつなかった。そんな顔と声で言われてしまうものだから、わたしもまた思い出してしまって、なんだかそのー……。
「センパイだって、まだしたりないって顔じゃないすかー」
「……うるっさいなあ。でもまあ、悪くないって思ったから、またそのうちね?」
「期待してます」
短い密か事めいた会話はそれで終わった。
わたしも秋埜も、正しい姿勢で席に座り直し、わたしのスマホで開いたこれからいく店のホームページを見て、あれが食べたいとかこれがいいとか、そんなことで騒ぎ始める。
そんなかしましい娘どもの様子を、運転席の先生はまた胡散臭いものでも見るよーな藪睨みな目付きでミラー越しに何度か見て来たのだけれど、車が信号で止まったタイミングで、すっかり上機嫌に戻った秋埜にこんなことを言うのだった。
「……二人とも。仲良く乳繰り合ってたのはいいんだけどさ、ちゃんと下着くらい替えてきたんでしょうね?」
「……ふえっ?」
「……はいっ?!」
………は?え、あの、どゆこと?いや確かにわたしのショーツは貸してあげたけど…じゃなくて、なっ、なんで?どうしてバレたのっ?!
「…あっ、あのあの……オバさん?うちとセンパイは別にそーゆーことは…」
「いつぞやあんた保健室にパンツ借りに来たでしょうが。そんときと同じ顔してんのよ。……ったく、なんでこんな色ボケしたガキどもの子守りとかしなけりゃならないんだか…由津里さんに言われてでなけりゃとっとと放り出して帰るとこだっつーのっ!!」
「あっ、秋埜ぉぉぉぉぉ…あなた結局あの後先生に下着借りにいったとかって……この迂闊ものぉっ!!」
「ちょっ、センパイ待って!これオバさんのカマかけですって!」
「え?」
カマかけって……あの、まさか、もしかして、わたし……見事にひっかかった…?
「……間抜けはどうやら見つかったようね。語るに落ちるとはこのことだわ。あーもーいいわねー日曜の昼日中からガキどもは盛ってるってのに、こんな佳い女が独り身を託ってるとはねー……くそ、世の男どもの見る目の無さときたら…ったく……」
ブツブツと怨念じみた独り言を繰る先生を余所に、わたしと秋埜は顔を真っ赤にして責任のなすり合いに突入。
「迂闊はどっちですか!センパイが妙なこと言わなければこんな恥かいたりしなかったんすよ!」
「そもそも秋埜がじょーきょーも踏まえず先生にパンツ借りに行ったりしなければ良かったんじゃない!」
「それ以前にセンパイが貸してくれなかったのが悪いんですぅ!」
「わたし持ってないって言ったじゃない!それなら今村さんにでも借りればいーじゃないの!」
「友だちのパンツなんか恥ずかしくて借りられますかぁっ!」
「わたしのパンツならいーわけ?!秋埜に貸したら匂い嗅がれそーで怖くて貸せないわよ!」
「あー、センパイうちのことなんだと思ってるんすか!センパイのパンツの匂い嗅いで楽しむとかうちを何だと思ってるんすか!!」
「わたしの恋人だと思ってるわよ!」
「そーです!だからセンパイのパンツならうちは…うちは……匂いどころじゃなくて他にたくさん使いますからっ!!」
「え……あ、あのその…それなら別に、かまわな…じゃなくて、パンツなんかじゃなくて、わたしを直接のほーがいーかなー……」
「……せ、センパイ急にしおらしくならないでくださ……あう…あの、ちょっと……うう…」
「………う、うん…」
「……あんたたち、バカ?」
……うん、まあ途中から照れ隠しに無茶苦茶言ってた気がする。先生のツッコミがなければどーなっていたか想像するのもコワイ。なんだかケンカした後って、その反動なのか普段なら照れくさくて言えないことでも言えてしまいそうで、なんか。
「……ま、ガキがガキらしく突っ走ってのは悪くないんだけどさ。女同士なら何やったって子供こさえるよーなことにはならないだろうし」
「お、オバさんが下世話すぎる…」
「うるさいわ。大体子供の頃から知ってるあんたのシモの話なんか聞くに堪えないってーのよ。ったく、こっちは最後の男と別れてから何年経つと思ってんの。ああもう、こうも男に縁が無いんなら私も若い女子に手を出した方が幸せになれんのかしら。ええ、どうよ?秋埜。どう思う?」
「ンなことうちに言われてもー…」
いくら女しかいない場とはいえ、先生がぶっちゃけすぎてる。この二人の会話で秋埜がここまで押し込まれるってのも珍しい。
となると、だ。わたしとしては先生にこのまま言わせておくのも業腹なので、一つ突いておくことにしよう。
「せんせい、せんせい」
「んあ?なによ、せーよくの権化の片割れ」
仮にも教師が生徒に言っていい台詞じゃないと思うんだけどなあ。でもわたし、華麗にスルー。
「そのぼーげんはこれまで受けた恩に鑑みて聞かなかったことにしますね。それで、ですね」
「な、なによ」
車はとっくに発進してたけど、わたしは少しばかり威圧感を増したわたしに気圧される先生の様子もわきまえず、言う。
「ありがとうございますね。秋埜のお母さんに言われてわたしたちを連れ出してくれたんでしょ?」
「……何のことよ」
「さっき言ってたじゃないですか。由津里さんに言われてでなければほっぽって帰ってやる、って」
「………」
「……オバさん?」
ここで動揺して運転が乱れたりしたら困ったのだけれど、幸いにして先生は大人しくなっただけだった。弄り甲斐があって楽しいなあ、とわたしあくまの笑み。
「秋埜のお母さんには後で感謝するとしましてー…先生もお母さんと仲直りくらいはしたんですね。そーでなければ頼まれてわたしたちを連れ出すなんてこと、しないでしょう?」
「………………………あー、うっさいわね!いいでしょそんなことどうでも!!」
「ええ。まあ別にいいんですけどね。秋埜がどー言うか、ですけどね」
「え?」
「………オバさん」
わたしの意を汲んでくれた秋埜は、再び藪睨み目で運転席のシートを睨む。
「……うちを裏切って母さんと仲直りするとか……ひでぇ」
「ひっ、ひでーって……ちょっと秋埜、私は別に由津里さんと何かあったわけでもなくて…」
しどろもどろ。そんな感じで、完全に面白がってる秋埜の追求に慌てまくる先生。うわー、正直とても面白い。先生はこっちを振り返ることも出来なくて、実はにやにやしながら恨み言を言う秋埜に必死に弁解しているし、わたしは先生から見えない位置で肩を震わせ、笑いを堪えている。
「……そーすよね。オバさんはいつだってうちのこと大事にしてくれましたしねー」
「そ、そうよぉ。あれだけ可愛がってた秋埜のことをないがしろになんかするわけないじゃない………って、中務?」
でも、それも長続きしなかった。
とーとー、体を折り曲げて助手席のシートをばんばん叩き始めたわたしに、先生も流石になんかヘンだと勘付いたのか、矛先がこちらに向く。
「あんた何を笑って………ちょっと、あんたたち。まさかとは思うケド……」
「……っ、あーもうダメ!あははははははは、せんせい、秋埜に弱すぎですって」
そしたら、もうガマン出来なかった。
わたしは堪えていた分笑いが爆発して、唖然としてる先生の顔がよけいにおかしくって、いつの間にか秋埜もばか笑いし始めて。
賑やかな車内の中、大笑いしてるわたしと秋埜、憮然としてる先生って図が本当に楽しくって、「…そんなに笑わなくてもいいじゃないの」と先生がさみしそーにこぼすまで、そんな感じでいたのだった。
「…ほら、ついたわよ」
結局その後、先生は一言も喋らず、目的地に着いた頃にはさすがにわたしも秋埜も笑いを収めていた。
車は静かに郊外のケーキ屋さんの駐車場にすべりこみ、日曜の午後ということでそこそこ場所も埋まっていたのだけど、先生はハンドル捌きも巧に狭い駐車場の中、一つだけ空いてた駐車スペースに車を止める。
「行くわよ」
「あ、オバさん。ちょっとセンパイと話あるので、先行っててちょうだい」
「……なにするつもりなのよ?」
「なんもしないって。話するだけ」
「………席とっておくわよ」
よろー、って手を振る秋埜に、先生は鍵を預けて降りていった。
その背中が見えなくなったころ、秋埜は深い息をついて、こんなことを言う。
「…センパイ。うち、ちょっっっとだけ、嬉しかったです」
「なにが?」
「……その、母さんが…うちらを気遣って、オバさんをやってくれたこと、です」
「…そっか」
姿勢正しく、前を向き、ほんのちょっと照れくさそうに話す秋埜の顔を、わたしはなんとなくだけど誇らしく見守っていた。
「昔は…割と、親ながら勝手なとこのあるひとだなー、って思った時もあったんす。ですけど、いろいろあって、そのいろいろをうちはまだ全部許せるとは思ってませんけど……でも、今日みたいなことがもっとあれば、うちも母さんも、変わっていけるかなー、って」
「そうだね」
「うちは、センパイのことが好きです。センパイを好きになれたのは、うちの幸せです。素直にそう思えるようになれたのは……まあ確かに、うちの母さんのやってきたことのせいかもしれませんけど、それとは別に、ですね……えーと、なんかうまいこと言えないんですけど……」
「大丈夫」
言葉が上手く出てこない秋埜の、膝の上に乗せられた両手にわたしは右手を重ねる。
ちゃんと伝わってるから。秋埜が、お母さんが変わったように、自分も変わっていきたいと思ってることは、分かるから。
だけどね。だからね。
「秋埜が変わっていっても、きっとわたしを好きでいてくれる気持ちに変わりはないから。わたしも、秋埜がどんな道を往くとしても、秋埜を好きでいることに変わりはないから。そうでしょ?」
「……ですねー。やっぱりセンパイは、うちの言えないことを言葉にしてくれます。だから、センパイのことが、いつまでも好きです」
「わたしもね。秋埜と一緒にいるために、わたしは人生をそう決めちゃったんだから。ちゃんと責任、とってよね?」
「もちろん、です」
見つめ合う。なんの躊躇いもなく顔を寄せ、そして唇を重ねた。とても、心地よいキスだった。
そして惜しみもなく触れ合ったものを離すと、微笑みあう。
それで充分だ。確かめ合えた、それだけで、わたしたちは歩いていける。
「………よし!じゃあ行こっか。ケーキがわたしたちを待って…秋埜?」
そう思って扉を開けようとしたわたしの右腕を、秋埜がとって、引き留める。あのー、秋埜?ここは力強くとかそんな感じで車を降りてく場面なんじゃない?
「……うー。なんかさっきのこと思い出して、うち…たまらなくなってんすけど……せんぱぁい、今から続きしません?」
…この子はもー。せっかく気ざっぱりとしたキスでこれ以上ないくらい爽やかな気分になったっていうのに。もー。まったく。秋埜はまったく。
「……仕方ないなあ。ちょっと濃いめにキスするくらいでも、いい?」
「センパイ愛してますぅっ!……じゃあ…」
と、目を瞑って秋埜を待ち構えようとした時だった。
コンコン。
背中の方から窓を叩く音。やっば、そういえばここお店の駐車場だった……とそちらに顔を向けたならば。
「………あんたら。人の車ん中でお盛んなことよねぇ…」
…そこには、呆れ顔、ではなく鬼の形相の先生がいたのだった。あああ、これはマジでヤバいかも。婚期逃しまくるほど愛してる車の中でこんなことをしてるって知られたら…。
「うるっせーわ!思ってることが口に出てんのよ中務!」
「ちょ、まってオバさんここだと人目があ…」
「その人目のある中でナニしよってのこのガキどもはぁっ?!」
慌てて車を飛び出した秋埜に食ってかかる、大人げない教師がひとり。
車外でとっくみあいとゆーか、じゃれ合いとゆーか、そんなことをおっぱじめた二人を見ながら思う。
今回は随分世話になったことだし、おばあちゃんにお願いして先生のお見合い相手でも探してもらおうかな、って。
そんなわたしのよけーなお世話が実を結んだかどうかは……ここでは語らないのが華というものだろうなあ。
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