最終話・辿り来た道、向かい往く道(後編)
「それで、どこか行きたいところはあるのかしら」
後部座席にわたしと並んで収まっている秋埜に、お母さんは運転しながら話しかける。
いつぞやと大分違って随分気易い様子だ。お父さんとも話をして幾分気持ちが軽くなっているのだろう。
それは悪いことじゃないとは思うんだけど、秋埜の方がねー…。
「……別にどこでもいーです。センパイ、決めてください」
…なんだかなあ。お母さんの方に咎があるにしても、今の秋埜の態度は子供丸出しな感じがして……実は悪くない。だって、前と違って拗ねてる風なのが丸わかりなんだもの。
秋埜の気持ちに何か変化があったのか。あったんだろうなあ。そうさせられたのはわたしだ、っていう自負はあるし、ね。
「わたしが決めていいならそうするけど。あ、それじゃあお母さんと秋埜が一緒によく行った場所とかあれば、そこにしてください」
「え……あの、センパイ?ちょっとそれはあざとすぎるといーますか、なんつーかうちとしては…」
「わたしが決めて良い、って言ったじゃない。じゃあそれでお願いしますね、お母さん」
はい、とお母さんは笑って車のウィンカーを操作してた。すぐに目的地は決まったみたいだった。
そして十分くらいで着いたのは、何の変哲も無い川岸の土手だった。秋埜の家からもほど近い、なるほど子供を連れて散歩するにはちょうどいい距離だ。
車は…まあ、駐車場なんかないから近くに路上駐車になってるけど、細かいことを気にしてる場合じゃないしね。おまわりさんに見つからないことを願う。
「…ここ、三人でよく来たんですよ」
もう初夏と言っても差し支えない時期だから日差しはそこそこ強く、お母さんは手をかざして日を避けながら土手を降りていく。
わたしがその後に続き、秋埜は仕方ないって様子でわたしの後ろをついてくる。
「秋埜は小さい頃はもう、動き回る子で。一時も目を離してはおけない、ってずうっと見守っていたんです。でも、今思うとそんな義務感ではなかったんです。私も篤さんも、可愛い子の姿から目を離せなかったのでしょうね。そんな家族でいたんです」
歩きながら、わたしになのか秋埜になのか、そんなことを話す。
わたしとしては秋埜の子供時代の話とかいくらでも聞きたいのだけれど、はてさて秋埜はどんな顔をしているのかと思って振り返ってみたならば。
「………なんすか、センパイ」
これがまた、見事なまでに茹で上がったよーな、真っ赤な顔をしていた。それはもう、どこか具合が悪いのかと心配になるくらいに。
「大丈夫?」
「なにがです」
「ん?大丈夫なら別にいいわよ。ふふ」
「なんかその『わかってますぅ』って顔がムカつきますね、センパイ…」
そんなこと言われても。
ただ、そんな秋埜を窘めたのはわたしじゃなくて、踵を返して近くにやってきたお母さんの方だった。まだ土手の途中だから、秋埜よりも目線は下で、顔の高さだけならまるでしゃがんで幼子を下から見上げてるみたいな感じになる。
「秋埜。大切なひとにそんなことを言ってはいけないわ」
「…あんたが言えた立場じゃないでしょーが」
くしゃっと顔を歪めてそう憎まれ口を利く秋埜。けど、お母さんの方はホッとしたような穏やかな顔のまま、その通りね、と口を開いた時だけは辛そうな顔をして、秋埜を驚かせていた。
「あなたに、大切なひとへの接し方を説くようなことが出来る立場じゃない、のは分かるわ。でもね、秋埜。だからこそ、なの。大切なことを手放して、本当に大事にしないといけないひとを傷つけてしまったからこそ言えるのよ。許して欲しいとは言わない」
「それが分かってんなら、うちが面白くないことくらい分かるでしょうが」
秋埜、そこまで言うともう駄々こねてる子どもでしかないよ、と思ってわたしは黙っていた。
だって、子どもが親にわがままを言うことくらい当たり前のことで、秋埜は今までそれすら出来なかったんだから。
「ええ。許せるものじゃないことも、分かってる。その上で聞いて欲しいの。秋埜、中務さんは、本当にあなたと自分のことを考えて、往く道を選ぼうとした。なら、あなたもその気持ちに応えて欲しい。してはいけないことをしてしまった、どうしようもない大人からのお願いとして、それだけを聞いて欲しい。あなたとあなたの大切なひとを、また傷つけてしまった過ちの多い大人の、懺悔だから」
「……」
秋埜もわたしも、お母さんの言いたいことが分かったから何も言えなかった。
傷つけた、というのは女の子同士で好き合うことがおかしいと、秋埜の気持ちも考えずに言ってしまったこと。
秋埜の激昂と、わたしが見定めた道の存在と、それからお母さん自身が辿ってきた道の重みをきっと知ったから、秋埜をまた傷つけてしまったと思えたのだろう。
「……勝手なことを…」
けれど、娘の方は…秋埜は、まだ自分を全部さらけ出してなんかいない。お母さんと向き合うことすら拒んできた秋埜は、きっとこれからなんだ。
「そんなしおらしいこと言ったくらいで、うちがあんたを許せるわけない。うちと父さんは苦しんで、この街から逃げ出して、それだけじゃなくて藤原の家にもいっぱい迷惑かけて。藤原の爺さんは、うちに言ったんすよ。娘のしたことを許してくれとは言わないが、いつか話を聞いてやってくれ、って。うちは、だから、こうして話をしてるんだ……あんたが迷惑をいっぱいかけたひとからのお願いだからっ!」
「……そう。父が、そんなことを…」
「…だから、これで終わりっす。あんたとうちの間にはもう、話すことなんかない。うちはこれから、センパイと一緒に、幸せになって……そんで…」
「秋埜」
多分だけれど、秋埜は、お母さんの方から拒んで欲しかったのだろう。
この間言っていた通り、実のところ秋埜は今までの自分の選択、わたしとこういう関係になったことが、お母さんのやってきたことから繋がっていることを認めているんだ。
だけどそれをお母さんに伝えることが出来ない。否定したことが今の自分の足下にあるのだとしたら、お母さんと認め合うことで今の自分を見失ってしまうんじゃないか、って。そんな風に考えているのかもしれない。
わたしは秋埜が、今でなくともいつかお母さんと向き合って話しあえる関係になることを望んだ。それは、わたしたちがそれぞれに辿ってきた道が繋がり、そして歩いていく道を一緒に歩いていこうと思ったからだ。
否定も拒否もしたっていい。それは仕方のないことなのだから。
でも、そのことと今からをむやみに結びつけて、向かい往く道まで閉ざしてしまいたくない。それはわたしの願いで、きっと秋埜も頷いてくれると思う。本当の、最後の、言ったらお終いになってしまう言葉を口に出来ずに肩を震わせているのだから、きっと。
「秋埜。焦らなくてもいいんだよ」
「センパイ……」
わたしは、自分より少し高い秋埜の震える肩を優しく抱いて伝える。
体温と一緒に、言葉と、わたしの想いも秋埜に融けてしまえとばかりに。
「わたしは秋埜に感謝しているよ?子どもの頃、いじめられていた秋埜を守ったのは、本当はわたし自身のためにでしかないはずのことで、でもそのおかげで秋埜がわたしを慕ってくれて、この街を離れてもずっと想っていてくれた。戻ってきたのもきっと秋埜の意志だっただろうって今は思うし、そしてわたしの迷いとか至らないところを教えてくれて、それも認めてくれて、丸ごとわたしのことを好きになってくれた。そんな秋埜だったから、わたしだって秋埜を好きになった。そこに後悔なんかない」
「………うー」
秋埜は照れくさそうに唸っていた。かわいいな、人目も憚らず抱きしめたいな、って煩悩を一生懸命追いやって続ける。
「秋埜は本当は分かってる。お母さんのことを許せないんじゃなくて、許してしまうことで今まで秋埜が育ててきたいろんな気持ちが、無かったことになってしまうんじゃないか、って、だから許したくないんだよ。でもね」
口を尖らせている秋埜がとても愛しくなる。肩を抱く手に自然力がこもる。わたしの、わたしたちの今までと、今と、これからがここにもあるんだよ、って伝えたい。
「……そんな、今まであったことが無くなったりはしないんだ。辛いことも楽しいこともあって、重ねてきたものの上にわたしたちはいる。そして、またいっぱい、嬉しいことや悲しいこと、たくさん積み重ねていくことが出来る。わたしたちには、一緒にそれをやっていけるひとたちが、いっぱいいるんだ。わたしはそう思うから……秋埜のお母さんとも話をしていきたい。ダメ、かな…?」
こんな問いかけは狡いとは分かってる。秋埜が首を振るわけがないって決まり切っているからだ。
けれど、それでも、秋埜の意志でわたしと歩いていこうと決める以上は、ちゃんと自分で選んで欲しい。だからこその問いかけだ。
「……センパイ、ずるいっす」
「うん。わたしもそう思う」
「うちは、センパイがいれば他に何もなくてもいい、って思ってました」
「うん」
「でもセンパイはそれじゃ、イヤなんですよね」
「わたしの大切なひととことの入れものは、いくら秋埜が大事だからってそれだけじゃ埋め切れないもの。秋埜と、秋埜の大切なことも一緒に入れておきたいんだ」
「………うちの、母さんも……ですか?」
「今は無理でも、いつかは、ね」
わたしに肩を抱かれていた秋埜は、身体を回してわたしの正面に回る。自然、秋埜の肩のところにわたしが鼻から下を埋める格好になった。いいな、って思う。わたしはこの位置が、とても好きだ。秋埜の存在をからだいっぱいに感じられるから。
「……じゃあ、いいです。センパイがうちの代わりに母さんを入れてくれる、っていうなら…そのうち、センパイの中でお隣さんくらいにはなれるでしょーし」
「その『いい』は、秋埜の望むこと?それとも仕方なしに?」
「……わかんないす。でも、イヤじゃないと思います」
「そっか」
いつの間にか秋埜の方がわたしを抱きしめる形になる。背中に回された秋埜の腕は力を増して、わたしの鼻がつぶれそーになった。
「…あきの、くるしいってば」
「………」
「……もー、しゃーないなー………お母さんが見てるってのに」
「………うるさいです。見せつけてやります。うちらは一緒だって、教えてやります」
瞑っていた目を開いて、秋埜はお母さんの方を見ていた。今まで見たことのないような、穏やかな顔だった。
「……それで、これからどーします」
そのまま、なんだかぽかぽかしてくるまでそーしていたのだけれど、お母さんの目の前でいつまでも抱き合ってるわけにもいかず、間にある温もりめいたものを惜しむように離れると、秋埜はお母さんの方をチラと見てからそんなことを聞いてきた。
「どう、って?」
でも、どう、と言われてもいろいろあると思うのだけれど。
「まー、うちとしてはセンパイといちゃいちゃ出来ればそれで文句無いので、他はどーでもいいとして」
「おい」
「ほらほらセンパイ、母さんがアホを見るよーな目に」
「あのねえ……」
呆れはしたけど、いつの間にかお母さんの呼称が「母さん」になっている点を鑑みて大人しく矛はおさめておいた。というか、秋埜も気付いているのかいないのか。下手に突いたらまたヘソを曲げそうだなあ。
「………」
代わりにお母さんの方を見たら、なんだか驚いたような困ったような、それでも嬉しいことに違いはないのだろうな、ってわたし的には安堵できる様子ではいた。よかった。
「今日、センパイうちでご飯食べていきません?」
「……どゆこと?」
「まあ、ですね。いろいろ考えてみましてー。センパイがうちのおっぱいの感触楽しんでいるうちにー」
「ちょっ…?!あ、あの秋埜ぉ、お母さんの前でそーいうこと言わない……」
「私は何も聞いてませんから…」
あ、そうですか。ぶっちゃけ助かります…。
怖くて思わずお母さんからは顔を背けてしまうわたしだった。
「うちが出来るようになったこと、少しは見てもらおうかと。帰りは遅くなるかも、って父さんには言ってありますけど、今から電話してお腹空かせて待ってるように言っておきます。センパイ、一緒に作りましょ?」
「それは悪い話じゃないけど……お母さん、どうするの?」
「どうって。そりゃもちろん」
秋埜はわたしの両腕を掴んでいた手を下ろし、そしてお母さんに向き直り、言う。
「うちが出来るようになったことを、見てもらうんすから。あれからあったこと、少しは知ってもーちょっと罪の意識に苛まれればいーんすよ。ダメですか?」
そんな憎まれ口めいた物言いのあと、静かにゆっくりと、付け加える。母さん、って。
「………ええ。ありがとう、秋埜」
「礼を言われるよーなこっちゃねーですけどね。さ、センパイ。今日はアシもサイフあることなんで、思う存分買い物してきましょ?普段買えないよーな高級食材使って何作ろーかって、楽しみっす!」
「…いいのかなあ」
お母さん、暮らしぶりに余裕あるとは思えないのだけど。
先に立って土手を上っていく秋埜。その後をついていくお母さんは、わたしの前を通り過ぎる時にこちらを見て会釈をする。
涙こそ流してはいないけど、その時お母さんが泣いていただろうことは、わたしの確信として胸に刻まれていた。
だって。
「……せんぱーい、早く来ないと置いてき……センパイ?」
「……なんでぼない」
…他ならぬわたしが、秋埜のために泣いていたんだから。
・・・・・
「中務さんの成績でしたら、このまま努力を続けていけば問題ないと思いますよ」
「そうですか…ありがとうございます」
深々と担任に頭を下げるお母さんだった。
わたしは、といえばその隣で面映ゆいというか親の前で先生に褒められるという、あまり慣れない体験によって気持ちの置き所に困っていたのだけれど。
三年生になって最初の三者面談。というか基本的にうちの学校は、親も交えて進路相談、っていうのは希望者だけがやるもので、当然ながらわたしもそんなつもりはなかった。
でもこーいうことになってしまったのは、おばあちゃんの一言が切っ掛けというもので、曰く「麟ちゃんのことだから心配は要らない、なんて油断するものではありませんよ。子供など、親の知らないところで勝手に大人になっていくんですから、普段どうしているかくらい、きっちり把握しておおきなさい」……だそうで、わたしとしては反駁する機会ゼロになる、有無を言わせぬ指摘だったのだ。
「では失礼します。これからもよろしくお願いします」
「失礼しまーす」
もっとも、実際に来てみればおばあちゃんの心配も杞憂というもので、何事も無く面談は終了。わたしとお母さんは教室を出ると、同じく三者面談の順番待ちをしているクラスメイトと時折言葉を交わしながら玄関に向かう。
「……ふう。麟子?成績が悪くないのは良かったけれど、受験を舐めないようにね」
「一回目を無難にこなした娘をもっと信用して欲しいんだけどなあ」
「二回目も同じようにいくとは限らないでしょうに、まったく…」
傾いた日差しの差し込む廊下。聞こえてくるのはこんな時でも賑やかに部活をしてる、運動部の子たちの声。
他に生徒もいない廊下を、慣れない場所で気疲れでもしたのかため息をついて歩くお母さんに、わたしは自分のホームグラウンドに迎えたように、裏付けもなく勝ったような気分になる。
そういえば、お母さんはわたしの入学式以来だったっけ。一年のときも二年のときも、三者面談は体よくスルーしてたし、実際わたしも素行に問題のある生徒ではなかったから、学校に保護者が呼び出される、なんて事態には縁が無かったのだ。まあこの学校でそんなことがあるのか、といえばまず無いのだけれど。
「……もうすぐ卒業なのねえ」
「もうすぐ、って…あと九ヶ月近くあるんだけど」
「そりゃあ高校生くらいなら九ヶ月も、でしょうけど大人になるとあっという間に過ぎるものよ」
そんなものなのかな。
比較出来ない身ではお母さんの言葉に反論する根拠なんか無いのだし、わたしとしては「ふうん」と呟いて黙り込むしかない。
そして、玄関に来てわたしは自分の下足箱に、お母さんは来客用のところで靴を履き替えて、外で合流。
今日はこのまま帰るところ…なので、学校のこととかを話しながら、わたしにとっては通い慣れた、でもあと九ヶ月は通ることになる道を歩いていく。
考えてみれば、最近はすっかりお母さんやお父さんと並んで外を歩く、なんて機会はなくなっている。買い物をする、ってことはあるけど、わたしの場合おばあちゃんと一緒ってことが大半だからなあ。
お母さん、か。
この間、秋埜と一緒に会って、久々の一家が揃ったところにわたしも混ざり込んだ時のことを思い出す。
どこかぎこちなくて、まだ互いに気をつかうような雰囲気ではあったけれど、秋埜の家に今まで欠けていたものが埋まったような、そんな気持ちになったのは確かだった。
そう思うと、一つ思い出したことがあった。
「あら、どうしたの?麟子」
それは、わたしのお母さんにも言えたことだったから、ついそちらの方を見つめていると、わたしの視線に気がついたのか、低い日差しを眩しそうにしながらお母さんがこちらに顔を巡らして聞いてきた。
「うん?まあちょっと思い出したことがあって」
「あら、何事なの」
「ね、お母さん。お母さんとお父さんって、駆け落ちみたいにして結婚したんだよね?」
お母さん、固まる。
そりゃあまあ、突然娘にこんなことを尋ねられて面食らわない親なんかいないだろうけど、わたし的にはどこか今の自分を巡る境遇とも繋がる出来事だったとは思うのだ。
「…わたしが生まれてからおばあちゃんに会いに行った、って聞いたけど、どうしてそうするつもりになったの?」
「……またそんな古い話をほじくり返してどうしようっての、この子は」
お父さんとお母さんは、結婚をそれぞれの親に認めてもらえず、必ずしも家族に祝福されない状態で結婚したという話を聞いた。以前、秋埜と付き合っていることを明かした時のことだ。
最初のうちはお父さんもお母さんも混乱していて、でもおばあちゃんがわたしたちの関係を認めることを言ったんだけれど、お父さんたちがちゃんと家族と向き合わずに一緒になったことを引き合いに出して、ちゃんと親と向き合って伝えたわたしたちのことを褒めてくれたんだ。
「ん、ちょっとね。おばあちゃんに会いに行くときってどんな風だったのかなあ、って。それだけ」
「それは最近、帰りが遅かったりするのと関係があること?」
うーん、我が親ながら鋭い。秋埜のお母さんのことは何も話してないんだけどな。そのうち話はしないといけないとは思ってるけど。
「それはそのうち話せると思う」
「秋埜ちゃんのおうちのこと?」
「まあ、ね。けどわたしたちのことでもあるから。教えて欲しいなって」
「そうねえ…」
わたしたちのこと、というところでほんの少しだけ、お母さんはむつかしい顔をする。けれど、それでも、お母さんは歩みの速度を緩めてゆっくり考えこむようにし、そしてそれも長くは続かずに前を向き歩きながら、話し始める。
「麟子が生まれて親になって、そうしたら、お父さんとお母さんは自分たちの親がどんな思いでいるのか、初めて考えられるようになったから、かしらね。それで、会えるうちに会っておかないといけないと思ったのよ。その場で認めてもらおうとか、そんな都合のいいことはないとしてもね」
麟子の顔を見せたらイチコロだったけれどね、とそこは思い出し笑いのようにクスクスと相好を崩していた。確かにうちの、どちらかといえば厳しめのおばあちゃんが、孫を見て顔をくしゃくしゃにしてるところなんか想像すると、わたしだってほっこりしてしまう。実はわたしには結構甘いところもあるんだけれどね。
そうしてしばし、親娘仲良く家族のことで笑いあっていたわたしとお母さん。でもそれが収まる頃にわたしの脳裏に去来していたのは、お母さんの言った、「自分たちの親がどんな思いでいるのか、初めて考えられるようになったから」って言葉の意味だった。
秋埜のお母さんは、どんな気持ちの変遷があって、顔も合わせられないと思っていた家族に会おうと思ったんだろうか……想像すら出来ない。
ただ、ものすごく悩んだことだけは確かなのだろうと思う。秋埜とお父さんの様子を全く知らなかったわけでもなさそうだし、会いに行ってすぐ受け入れられるとは考えていなかったはずだ。
それでも、お母さんはそうした。そうしたいと思うほどの何かはあったのだろう。わたしなんかが勝手にあーだこーだと考えていいこととも思えない。
だけど、秋埜には……そんなお母さんの葛藤があったんだよ、ってことくらいは考えて欲しいなあ……。
そんなことを思った、これから夏に向かうとある夕暮れの、一幕だった。
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