最終話・辿り来た道、向かい往く道(前編)

 「それで結局、どういうことになったのかしら?」

 「どういうことになったんだ?」

 「どういうことになったの?」

 「緒妻センパイやチー坊が聞くなら分かりますけど、なんで麟子センパイが聞くんすか」

 「や、その、それは流れというか…ボケの一環?」

 「センパイのボケは分かりづらいんすよ。次からはあらかじめ打ち合わせてから言ってください」


 そんなネタ合わせするみたいに言われても。第一、わたしはお笑いの道で身を立てていくと決めたわけじゃ無いし、と緒妻さんと大智に、ここしばらくの間に起きた出来事を話している秋埜の横顔を見ながら、わたしは次回の模試に向けた検討を頭の中で開始してるのだった。遊びに来ているときにすることじゃないのは分かってるんだけれど、流石に焦りってものがね…。


 「それ結局アキは何にもやってねーじゃん。リン姉が全部お膳立てしただけで」

 「…うるっさいなあ。センパイの愛があるんだから別にいいの」

 「秋埜ちゃん、事情は分かったけれど、お麟ちゃんに頼りっぱなしはだめよ?いくら二人でやっていこう、って決めていても秋埜ちゃんの生き方は自分で決めないとね」

 「…はーい」

 「俺とオズ姉相手で返事が違い過ぎね?」

 「気のせーだ、気のせい。チー坊も考えすぎるとハゲるぞ?」

 「うぉい!」

 「そ、それは私としても望まない未来ね…」


 わたしが参加してない間に、なんだかとんでもない方角に誤爆してる秋埜だった。


 遊びに来ている、といっても半分は勉強会みたいなものだ。午前中はぱーっと一騒ぎして、お昼は秋埜の家で作って食べ(わたしと秋埜と緒妻さんが一品ずつ作り、大智が片付け担当という完璧なプランだ)、午後からは緒妻さんを先生にして夕方までみっちりと。

 ちなみに秋埜のお父さんは、今日は前半戦の天王山だとかで、朝秋埜を迎えに来たら、えらく気合い入って様子で出かけていった。よく分かんないけど、元気なのはいいことだと思う。

 わたしたち子供組とは別に、お父さんはお母さんといろいろ話し合ったみたいで、復縁するとかそんな話はまあ、秋埜の気持ちもあるのでナシとはいえ、お互い苦労したのだし、みたいな関係にはなったらしい。まだ納得してない風の先生に、そう聞いた。

 そんなところは大人だな、って感心もしたのだけれど、となると先生の感想は子供組寄りってことになるのだろうか。


 「せんぱぁい、ひとりでマジメになってないで話に混ざりましょーよう」


 …なんてことを考えてたら、隣の秋埜がしなだれかかってきてこれまた仔猫みたいな甘え声。


 「あのね、今日は勉強するって決めたでしょ。大体、緒妻さんも大智もいる前でそんなえげつない声出さないで。ヘンな気分になったらどーするの」


 流石にこればかりは教育的指導ものだと思って、ちょっときつめにお説教。わたしの肩に左頭のしっぽ側をでれーんとのっけてる秋埜の髪を軽く梳いてやりながら。うん、今日も秋埜はいいにおい。


 「ほら」

 「なるほどな」

 「なるほどねえ…」


 …そしたら、わたしの右手から逃れるように身体を起こし、そしてわたしを除いた三人が何やら納得顔をしていた。どーいうことよ。


 「…あのさあ、リン姉。いちおー俺も男なわけで、あんま目の毒になる真似控えてくれっと助かるんだけど。つーか、それ以前にやんちゃしまくってた頃のリン姉を知ってると反応に困るんだって」

 「そうよねえ。あのお麟ちゃんが…って思うとおねえさんなかなか感慨深いものがあるわ」

 「センパイ、うちでこーふんしてくれるのは嬉しいんすけど、ちょっとは場を弁えて欲しいっす」

 「え?あの、ちょっと…それどーいう意味…」


 とても理不尽なことを言われた気がする。わたしはただ秋埜を愛でただけじゃない、ってことを言ったらならば。


 「だからそれを人目もはばからずにするな、っつってんの。リン姉さあ、そろそろ学校でもバレてんじゃねーの?」

 「そうよ、お麟ちゃん。秋埜ちゃんがかわいいのは分かるし今が一番くっつきたくなる時期でしょうけど、自制出来ないようではまだまだ秋埜ちゃんをあげるわけにはいかないわね」

 「別に緒妻さんに許可もらう必要はないと思うんですけど……って秋埜は秋埜で何やってるの」


 一度体を離した秋埜だったのだけれど、今度はわたしの股の上に頭を置いて、また妙な声をあげている。くふぅん、とかいう感じのどちらかというと悩ましげな。あーもー、秋埜かーわいーなー。なでなで。


 「………」

 「………」

 「……って、なにやらせんの、秋埜ってば」


 正面に座る二人の冷たい視線に晒されて我に返るわたし。ちなみにそれでも秋埜は起き上がらなかった。それどころかわたしのおなかのトコに鼻を埋めて深呼吸とかしてる。困る。なんかこう、たまらなくなる。


 「……………」

 「……………」

 「………じゃなくて。あー、分かってますからそんな冷たい視線くれないでください、緒妻さん」


 とーとーわたしの足の上でふがふが言い始めた秋埜をほっといて、ジト目になった緒妻さんに弁解っぽく抗議。だって、わたしと秋埜がイチャつくのが面白くないなら、隣のかわいい男の子といちゃつけばいーじゃないですか。


 「……してもいいならするけど?」


 …と言ったら、特に開き直った風でも無くケロリと言い返されてしまう。

 そんな様子にわたしは呆気にとられ…いやだって、ついこの間までキスひとつするのしないのであれだけ大騒ぎしてたひとがですよ?負けてたまるかみたく傍らの恋人に肩を抱かれてる図に収まるとかどーいうことですか。わたしの知らないうちにこの二人の間に何があったってんですか。大智が少しぎこちない辺りはまだ不慣れというか、初々しさを醸してるけど。


 「センパイ、負けてられませんっ」


 そんな二人の様子を察したのだろうか、秋埜は急に勢い込んで起き上がり、わたしの腕を抱いて対抗意識を燃やしてた。


 「いちゃいちゃの年季ならうちらのほーが先輩になるんすから、これが本場のいちゃいちゃだということを緒妻センパイとチー坊に見せてやりましょうっ、麟子センパイっ!」

 「もーどこからツッコんでいいのやら…バカ言ってないで勉強に戻るわよ、ほら」

 「なんすかセンパイ。そもそもセンパイが最近とっっってもゆるくてかわいー、って話だったんですから、一人だけマジメぶろーったってそうはいきません」

 「……は?」

 「そうねえ、秋埜ちゃんの話だけじゃあ今ひとつ信じられなかったけれど、お麟ちゃんのデレっぷりときたらもう、すっかり秋埜ちゃんに参っちゃってる、って感じるわ。よかったわね、ふたりとも」

 「まあ見せつけられるのは困るけど、アキもリン姉も楽しそうならそれでいいんじゃねーの?あ、オズ姉、ここんとこ分かんねーんだけど」

 「あら、大智が素直に聞いてくるなんて珍しいわね。どれ?」


 なんだかいわれなき罵倒というか中傷でもされたよーな気がして抗議の一つでも、と口を開いた時だった。


 「あ、電話すね。ちょっと出てきます」


 廊下に出て行く扉の脇に置いてある電話機が控え目なメロディを鳴らし、着信を伝えてきてた。

 秋埜は胸に抱えてたわたしの腕を放し、立ち上がってそちらへ向かう。うう、秋埜の胸の感触が離れてってちょっともったいない…じゃなくて。


 「…?秋埜、どうかしたの」


 電話機の前に立った秋埜が、多分発信者の名前を確認して固まっていたのだ。

 わたしから離れてく秋埜の背中を見送ってたわたしがそれに気付かないはずもなく、怪訝に思って声をかけると、緒妻さんと大智も何ごとだ、みたくそちらに目を向けていた。

 そんな三人の様子に秋埜は一度振り返って複雑な表情を浮かべていたのだけれど、なんでもない、と言わんばかりに小さく首を振り、それから受話器を取り上げて「はい、鵜方です」とえらく他人行儀に話し始めた。


 「…なんなんすか、いったい。父さんなら出かけてる………はあ?何を今更…」


 …それで分かった。お母さんからなのだろう、きっと。

 こちらに視線を向けた秋埜にジェスチャーで、「席外そうか?」と伝えると秋埜も片手拝みでそうして欲しいとの意思を示したので、わたしは察した様子の二人を促して部屋を出て行った。

 といって、他の部屋に勝手に入り込むわけにもいかなかったから、声の届かないだろう玄関の辺りで話すこともなくしばし屯っていたら、さほど時間がかかることもなく電話を終えた秋埜がやってきて、少し深刻な様子のまま「戻りましょ」と言う。

 何があったのか、は分からなかったし秋埜も何も言わなかったのだけれど、それを訊ねる雰囲気でもなかったから、その後は真面目に勉強をして、有意義な時間を過ごしただけになったりする。


 そして、帰り際。緒妻さんと大智は少し心配顔で帰ってゆき、わたしだけが秋埜に呼び止められて、お願いをされたのだった。

 曰く、


 「……今度、センパイも一緒に会いたい、と言われたんすけど……いーすか?」


 だって。



   ・・・・・



 翌日。

 学校帰りにお母さんに会いに行くと伝えると先生は随分心配してくれた。

 何があるのか、とかどーいうつもりなのか、なんてことは秋埜は話してなかったみたいだから、もー出たとこ勝負もいい状況で、今村さんや何故か星野さんにまで随分緊張してるみたいだ、って言われてしまっていた。

 まあそりゃあそうだろう。わたしの方はお母さんにそれなりに意志を伝え、これからも秋埜と一緒にやっていくつもりだと言ってあるのだけれど、秋埜がお母さんとどう向き合うかはそれとは別の問題だ。

 そして秋埜がどうするかはわたしの問題でもある。相模湖であったことのあと、秋埜がお母さんと何か話をしたか、ってことは一切無いみたいだし、それをこうも短兵急にこれからのことを話そうって言われて緊張しないわけがない。


 「……センパイ、どします?」

 「どうって言われてもね…秋埜がどうしたいか、ってのを優先すればいいとは思うけど」

 「そうじゃなくて。センパイは、うちにこれからどうして欲しいか、ってのを聞きたいんです」

 「……それこそ秋埜の思う通りに…いや、違うか」


 わたしは、秋埜が過去のことでお母さんを憎み続けることを望んではいない。お母さんのやったことはもちろん簡単に許せることじゃないのだけど、でもいつまでもそのままでいていいとも思ってない。

 秋埜はお母さんと、お父さんのことでとても傷ついた。それでわたしと出会ってこうなって、今は一緒に並んでいる。これからどうなるか、ってことは自分たちの意志によるのだとしても、今までを全て否定することは、今の自分たちをも否定することだ。

 それだけを分かって欲しい。その上で、未来をどう迎えるかを決めたいんだ、わたしは。

 だから。


 「…うん。わたしは秋埜に考えて欲しい。わたしと秋埜が、二人きりじゃなくって、友だちとか家族とか、そんなひとたちと繋がって、その先にあるわたしたちも知らないひとたちと繋がって、誰にでも胸はって生きていけるようにするにはどうすればいいのかを。わたしたちはこの世界に二人きりなんだって、そんな風に思って生きていきたくはない。だから、そのために何をやっていけばいいのかかを考えて欲しいんだ。わたしと、一緒に」

 「……せんぱい」


 学校の裏側の、フェンスに背中をもたれかけさせながらのわたしの述懐は、当然のごとく秋埜の心に響いた…。


 「……その割にはうちに何の相談もなく進路とか決めちゃってくれましたね」


 …こともないようだった。ハッキリとそれと分かるくらいに恨みがましい口調で、前を向いているわたしの顔を斜め下から睨み上げてくる…ちょっと待って秋埜っ?!


 「あ、あのね?それは確かに秋埜に言わなかったのは悪かったって思うけど…その、なんかそーいう気分じゃなかったでしょ?わたしも秋埜も…だって、お母さんと話するにもそれ相応の説得材料が要るっていうかなんかこう、話の流れっていうかこお、緒妻さんと話している間になんかこうしたいって決めたっていうか…」

 「だったら真っ先にうちに話してくれればいーじゃないすかっ!もー、センパイは時々ひとりで決めてうちのこと後回しにして…それでかき回される方はたまったもんじゃないす!」

 「だからごめんてばっ!」


 うー…秋埜が怒る理由も分からないではないから、わたしはどうしようもなくなって、弁解と秋埜をなだめる方に回らざるをえない。うう、やっぱりわたしも秋埜の恋人としてはまだまだだなあ、と思ったところに見覚えのある古い軽自動車が滑り込むように止まってくる。


 「……秋埜、中務さん。お待たせ……どうしたのかしら?」


 助手席の窓を下げてそう声をかけてきたのは、わたしたちを迎えに来たお母さんだった。なんかもー、我ながら即物的というか調子がいいとは思うのだけれど、このばたばたが始まって以来初めて、お母さんに感謝するわたしなのだった。

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